ケーシーさんが亡くなった。

二つ歳上の氏を私は、その人間としての大きさに、兄というより、むしろ父親のように慕い尊敬していました。

何の前触れもなく逝ってしまった彼を一瞬恨みもしましたが、他人に余計な心配をかけまいとする、如何にもケーシーさんらしい優しさに、今、涙します。

もう一度会いたかった。

 

彼に会い、とりとめのない話をした後、ふと、気づくと、いつのまにか勇気づけられている自分がいる、それがなんとも不思議で嬉しかった。

いつもひとに生きる勇気を与えるケーシー高峰さん、あなたはそんな人でしたね。

 

 

 

この懐中時計は、たしかに三十年も前に頂いた筈なのに、まるで昨日手渡されたように光り輝いていて、時を刻んでいます。

それが悔しくて辛いです。

 

こんな事もありましたね。

ドラマでご一緒した時、演出家から私の演技に「そうじゃないよ!」「それも違うんだよ!」とダメ出しの嵐。

内心私はパニックになりながら、なんとか演技に変化をつけようと無我夢中で五・六回、いやもっと続けたでしょうか。

「違うんだよなあ」ため息交じりの演出家の声が、マイクを通してスタジオに降ってきました。

絶体絶命!

そんな時でしたね、突然、ケーシーさんのあの声が聞こえてきたのは。

「そうちゃんは、すごいなぁ。違うと指摘されると、ちゃんと次々と変えてやれるんだもん。僕には出来ないなぁ」

貴方はその場の僕を救ってくれましたね。僕は泣いていました。

 

長い間続いていた年賀状が、今年は届きませんでした。

矢張りそういう事だったのですね。

 

合掌。