2月13日(日)午後3時より、「劇団昴・クラブ会員感謝パーティー」が、開催されました。
これから始まる式次第の説明を、熱心に聞いてます。
受付担当係りです。
昴倶楽部会員の皆さんへ、感謝の心を込めての手作りの料理の一部です。
お客様も、ぼちぼち集まっていらっしゃいます。
後期高齢者の登場です。乾杯の音頭をとる私。
細々ながら、現在まで劇団昴が存続出来たのも、会員の皆様のお陰です。ありがとうございました。
「劇団雲」創立時以来残っている構成員は、とうとう私一人になりました。
時は嘘をつきません。嗚呼。万感交々至る。
今年の8月の劇団昴ザ・サード・ステージ公演、中島淳彦氏作『改訂版 無頼の女房』の出演者達。
左上から、遠藤純一(塚口圭吾役)、石井ゆき(多喜子役)、遠藤英惠(塚口やす代役)
そして、演出担当の私。
右下・岡田吉弘=谷雄一役、と、右上から2人目矢﨑和哉=五助役。
そして、余り2(笑)。
左前寺内よりえ(磯野フネ役)その後ろ、山口嘉三氏。
記念写真。お開きです。皆様本当にお疲れ様でした。
振りかえれば、1963年に劇団雲が創立されて、55年の歳月が経ちました。
半世紀以上が過ぎ去った事になります。
その時の早さに只、唖然とするばかりです。
1966年、作=遠藤周作『黄金の国』の集合写真。隔世の感に心が傷みます。
前列左から二人目に、故真屋順子さんの姿が見えます。
最近になって、長く辛い闘病生活の末、他界された事を知りました。
心より故人の冥福をお祈りします。
思い出がゆらゆら揺れて、懐かしさ悔しさ恥ずかしさ腹立たしさが、最早、手の届かない、時の流れにかき消され、地団駄踏んで悔しがる、そんな老人と相成りました。
とは言いつつ、結構無責任に楽しいのです。
中央、故芥川比呂志氏。左から故稲垣昭三氏と私。(『寺院の殺人』の稽古場にて)
右から、故芥川比呂志氏。一人おいて私。
朧になった記憶をたどってみるに、三島由紀夫の突然の自決の報を聞かされた衝撃は、忘れられません。
その日は、日経ホールで、T・Sエリオット作『寺院の殺人』の舞台稽古の真っ最中でした。私の躰から力が抜けていき、これが現実の世界の出来事とは、どうしても信じたくありませんでした。
1976年、劇団「雲」「欅」を統合して、劇団「昴」が結成されました。
そして、1979年10月26日『海は深く青く』―テレンス・ラテイガン作-の、韓国公演の際、韓国朴大統領の暗殺事件に遭遇しました。
北朝鮮の不測の攻撃に備え、戒厳令が敷かれ市街地を戦車が走るなか、ソウルの世宗文化ホールで、自動小銃を持った韓国兵士に護られながら上演するという、異常な経験もしました。
この時、いやが上にも、北朝鮮という国の存在を脳裏に、たたき込まれました。
命の恐怖を感じながら、芝居をする空しさと怒りを感じたことを、今も記憶しています。
中央右、小池朝雄氏。
俳優小池朝雄氏の54才という余りにも早い死は、私にとって何にも増して大きな衝撃でした。
彼が今、ここに居てくれれば、劇団の様相は今とは違っていたろうと、悔やまれてなりません。
本当に惜しい人を亡くしました。
神は悪戯が過ぎます。
私生活では、最愛の伴侶に恵まれ、舞台では、英国のウイリアム・ギャスキル演出による、チェエホフ作「ワーニヤ叔父さん」で、共演する事が出来ました。
もう少し頑張ってみます。