『ふくろう』の舞台は、昭和四十年代の東北地方の僻地にある「希望が丘開拓村」。ここに生きる母と娘の背景には、第二次世界大戦時の満蒙開拓団から始まる凄惨な歴史があった。敗戦後、満州から、命からがら逃げ帰って来たものの、もはや住む場所はなく、再び国策の誘いにのり、不毛の土地に入植させられた二十軒の住民達は、次々とこの枯れ果てた土地を捨て去り、最後に残されたのは、母と娘の二人だけだった。そしてこの母娘が姿を消した一年後、奇妙な事件が発覚する。九名の白骨死体が出て来たのである。果たして、この白骨死体と母娘は関係があるのだろうか。森のふくろうだけが、その全てを見ていた。

十歳で終戦を迎えた私にとって、この映画は改めて戦争への怒りと無念さを蘇らせ、風化しつつある戦争の陰に隠された、名も無き人々の、苦難や悲しみを浮き彫りにし、今こそ現代に問いかけるべきとの、強い思いに駆られたのです。

そして、舞台化するに際して、この重い主題をあえてブラックユーモアに包んで提示する、新藤兼人監督の識見を忘れてはならないと、言い聞かせています。

それにしても、映像表現は、そのカメラの位置や動きによって、主観描写から、客観描写へと瞬時に変化し、時間経過も見事に解決してみせます。しかし、それらの手法を持たない舞台表現は、観客というカメラに助けられ、その視点の選択の自由を武器にして、スクリーン上では決して起きない「状態の変化」を観客と共に感じ、楽しみつつ、生々しく表現しなくてはならないのです。

これから劇団昴の将来を担う次世代の若者達と共に、厳しくも楽しい戦いの日々が始まります。