昌也さんが逝ってしまった。取り返しの付かない、無次元の闇の中に消えていった。


高橋昌也氏は、劇団雲創立以来大変お世話になった大先輩である。



1963年劇団雲旗揚げ公演、シェイクスピア作「夏の夜の夢」を、方南町の幼稚園で稽古していた時、彼の俳優としての凄さを、初めて目の当たりにすることになる。
小躯から発するレーザービームのような言葉は、透明感に満ちて響き渡り、稽古場の窓を震わせ、同時に、軽快な身体の動きと、巧みに言葉を操る知的な器用さは、不思議な男の色気を醸し出した。
若い私の胸は、ときめいたものだ。



それから暫くして、劇団雲の分裂となる。


彼から度々電話で、円に参加するようにと進められたことが、ありがたく懐かしい。
しかし、私は、昌也さんとは袂を分かつ事になった。



あれから何十年が流れた。



数年前、偶然、緑山のTBSロビーで「総ちゃん」と声を掛けられ、振り向いた。
何年もお会いしていなかった私は、一瞬、誰だか分からず、近づくにつれて、「ああ、昌也さん!」と、思わず、叫んでしまった。
そこには、椅子に座って、奥様と向かい合って話されている昌也さんがいた。
食道癌を患って、仕事に復帰したばかりの昌也さんは、まるで別人のように、顔はやせ細り、そのやつれた姿は、もはや、僕の知っていた昌也さんではなかった。
それが、悲しく、やるせなく、思わず昌也さんを抱きしめていた。
「総ちゃん、頑張ってるな、良かったな。」という、か細い声が耳元で聞こえた。
僕は、「奥さん、よろしくお願いします。」と言うのが精一杯で、その場を去った。



それが、高橋昌也氏との最後となった。



人は死ぬ。ましてや近しい人の死は、その事実を私に叩き付ける。


福田恒存も、芥川比呂志も死んだ。小池朝男も死んだ。仲谷昇、名古屋章、有馬昌彦、西沢利明も、そして、文野朋子、新村礼子、岸田今日子、谷口香も死んだ。

文学座から分裂し、雲を結成した創立メンバーの主立った人達は、それぞれ、その仕事を終えた。




天才も生きて死んだ。凡人も生きて死んだ。

そして歴史は生まれる。



合掌