奥さんと二人で、浅草に来た。
私は浅草が好きだ。
商店街の佇まいや参道の仲見世の賑やかさは、昔と変わらない。
ただ、多くの人達の中から中国語や韓国語などが、一際甲高く聞こえてくる。
これには少し驚いた。
店の中から、「病気は大丈夫?」「退院して良かったね。」と、温かい人情を感じるのもこの町だ。
ここに来ると、自然と心が落ち着き、癒される。
それは本来、日本人が持っている、祭りへの郷愁かもしれない。
自然と故郷の景色が蘇り、少年時代の追懐の情に浸っていく。
そういえば、俳優になるため青雲の志を抱いて、いざ大都会東京へと出陣したものの、洗練された建物の大きさや銀座の華やかさ、また、颯爽とした歯切れの良い突き刺すような明晰な都会の言葉に、ただただ圧倒されたものだ。
それから、50数年が経ち、世の中はすっかり変貌してしまった。
文明が進み、人間の生活は便利になったが、人はますます孤独になり、相手の目を見て離すことを避け、引きこもり、運動不足で肥え太る。
街は、針山に刺される針のように高層ビルが林立し、それらが互いにスパークを放ち、熱を生み、異常気象をおこす因となった、と言っても過言ではあるまい。
そして、私は歳を取る。
和洋折衷の中で、私は、いつも戸惑っている。