『コルベ神父 優しさと強さと』 | 明日を夢みて

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 アウシュヴィッツの聖者、コルベ神父。

 

 

 早乙女勝元さんの「母と子でみる」シリーズは、学生時代にアンネ・フランクやアウシュヴィッツに関する巻を読んだ記憶があります。


 アウシュヴィッツに関する本を読むと、コルベ神父の名前がよく出て来ますが、どういった人なのか詳しく知らなかったので、この本を読んでみました。

 

 コルベ神父は、先日紹介したヴィルヘルム・ブラッセと同じくポーランド人です。
 長崎まで伝道に来ていたとは知りませんでした。原爆を落とされた長崎というのが、何だか因縁めいていますね。

 

 ポーランドに帰国後、ニエポカラヌフ修道院長に就任。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、修道院も侵攻軍の手中に。コルベ神父は逮捕されます。
 逮捕された理由については、はっきりとしたことは分かっていないようです。

 

 囚人番号16670号。聖職者ということで、特に虐待を受けたようです。

 

 1971年7月。コルベ神父の所属する第14号舎ブロックから、1人の男が脱走しました。
 脱走者が見つからなかった場合、連帯責任として同じ班の10人が見せしめとして処刑されます。

 

 翌朝、点呼が行われ、14号ブロックの囚人たちは、炎天下の中、直立不動の姿勢で待機させられました。
 少しでも姿勢を崩せば監視兵に殴りつけられ、倒れた囚人はゴミ捨て場に投げ捨てられました。

 

 結局、脱走者は見つからず、収容所所長が10人を餓死刑に処すると宣言しました。
 その中に、妻子を思って泣き崩れた人が居ました。囚人番号5659。フランシスコ・ガヨヴィニチェク。ポーランド軍の軍曹でした。

 その時、1人の男性が、所長の前に進み出ました。その人こそ、コルベ神父です。

 

 「私は神父。妻もなければ、子もいませんし、それに年寄りです。彼を、あの若い彼を、妻子のもとにかえしてやってください」(P.108)

 

 受刑者名簿の5659が16670に書き換えられ、こうしてコルベ神父は彼の為に身代わりとなることを選んだのです。

 

 10人の受刑者は、地下の餓死室に閉じ込められました。
 通常、この地下室に閉じ込められた人々は、飢えと渇きによって錯乱状態に陥り、亡くなっていくそうです。
 しかし、コルベ神父は仲間を励まし、地下室からは讃美歌や祈りが聞こえてきました。

 

 2週間後。コルベ神父を含めて、4人が生き残っていました。結局、毒薬入りの注射を刺され、最後は毒殺。

 

 1941年8月14日12時50分。享年47歳。