神は無限大かゼロか
テーマ:宗教、芸術、科学、
神様を論じることは予想も計画もしてなかった。
ところが、令和3年6月上旬に偶然に必要になった。
普段考えないテーマなので、ブログに纏めるのを躊躇していた。
Fig.01.
①科学技術と対立する学問や思想は宗教である。芸術は対立せず共存できる。
現在の日本で宗教が変な形で問題化して、議論されている。
このことは馬鹿らしくて、ここでは論じない。
②宗教は人類が発祥した何万年も昔からあっただろうと思う。
対立する科学技術は、恐らく前エジプト時代、ギリシャ・ローマ時代に人類によって
開発されたのであろう。だから古さでは宗教が桁違いに古いものだろう。
しかも宗教は西洋では中世時代に人間を支配した宗教裁判が残される。
キリスト教などは現在の政治にも活用されている。
日本の神道や仏教などは現代は信仰の自由となっており、強制も否定もされない。
だから神社も仏閣も共存している。
大抵の個人宅には、神棚、仏壇とも準備されているだろう。(若い人は不明)
Fig.02.右に倒せない??
③非常に高い山に登り、はるか下の雲の中に雷雨がとどろく経験をした。
周囲に誰もおらず何か恐ろしく神秘的なものを感じた。神の存在だったかな?
よって、
神=無限、無限大、=∞ と信じている。
宗教を持ち出すのはタブー視される科学者でも、厳しい競争を勝ち抜いた瞬間、
なお、その先にある不可思議なものを想像し、無限大の神の存在を感じるらしい。
無限大は遠く、ギリシャ時代のアルキメデスが発見した概念で、もっと古くヒンドウ教
でも定義されている。紀元前400年頃のインドのシナイ教では、無限を5分類してる
即ち、{①一方向無限、②二方向無限、③面積の無限、④あらゆる場所の無限、
⑤永久無限ーーー⑤は愚老には理解できてない言葉です}、
Fig.03.
④ところが、数直線の考え方からだったか、目盛りを想定し出発点のゼロ、0が
神だと主張するブロガーさんが現れた。
神=ゼロ、=0 である。
これを評論してくれと言うことだった。(令和3.6.6.)
Fig.04.
ギリシャ数学、ローマ数学にも「ゼロ」の概念も記号もないが、古代インドで3~5
世紀ごろ発明されたようだ。ころゼロの歴史もWEBに詳しく報告されている。
⑤面倒なので、胡麻化してきたが、愚老の結論は今や
「無限、無限大は状態を表し、数字ではない。一方、ゼロは5世紀または3,4
世紀に古代インドで発明された数字である。「状態」と「数字」のようにまったく別の
ものを比較するのは意味がない、ナンセンスである」 以上を回答とする。
⑥話はくどくなるが、「ゼロ=0」は計算に使えるが、
無限大=∞は数字が拡散し広がってゆく現象「状態」をしめすので「∞」は
不変であり、計算に使えないのも両者が別物である一例だろう。
反論、異論を大歓迎します。