コーカサス山脈とウクライナ | 命をつなぐ

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 2019.10..末期がんを宣告され気力が乏しくなった。
1回目 アルカディアを求めて 五色風 2008.01.011~12.02.10.
2回目 先祖を尋ねて 光源氏 2012.2.11~2020.07.03.
3回目・今回「命をつなぐ」新H.N(青い海)2020.7.14,~
 『乾坤一擲』の心構えで参ります!!

コーカサス山脈とウクライナ
テーマ:世界・社会・歴史

 後半に述べたが賛否両論に別れる要素がウクライナにもある 
しかし大嫌いなロシアのプーチン大統領をもう一度叩くには 
どうしても触れておきたい

Fig.01.コーカサス山脈
    
 この山脈は『12.08.(木)人種について』の時に 使った絵だ
ユーラシア大陸をヨーロッパとアジアに分ける分水量と
理解しているのは間違いか?

正確には下記の通りらしい 

『コーカサス山脈を南北の境界として北コーカサスと
南コーカサスに分かれ、南コーカサスは旧ソ連から独立したエ・ラ・リ
即ちエストニア国ラトビア国リトアニア国の3共和国からなる。
= 北ヨーロッパ (Fig.02.参照)

北コーカサス(ロシア)はヨーロッパに区分され、
南コーカサスは西アジアに区分されることもあるがヨーロッパに
区分されることもある。

全体的に山がちな地形で、山あいには様々な言語、文化、宗教を
もった民族集団が複雑に入り組んで暮らしており、
古代から地球上でもっとも民族的に多様な地域であると言われる


ウクライナ人はしばしば「歴史なき民」と形容されてきた。
19世紀の国民国家形成の時代において東ウクライナは帝政ロシア、
西ウクライナはハブスブルグ帝国(スペイン、オーストリア、チェコ、
ポルトガル、ハンガリー、ドイツを含む)の支配下にあり、
自らの独立国家を持っていなかったからである。
結局、民族を担うべきウクライナの貴族はロシア化もしくは
ポーランド化していた。


Fig.02.バルト三国の鉄道網

 僕は青線のここを2008.7.19.~23日まで5日間でぬけた。
(「アルカディアを求めて」2008.09.25.~に詳しく述べた)
ウクライナが可哀そうと同情するか、ロシアのプーチンが憎いとするか
意見が二つに分かれるところであろう。