オシフィエンチウム ドイツ語で アウシュビッツ
ここには たったひとり 難関のポーランド語を習得して ガイドとして資格を取らた
日本人NAKATANIIさんが いらっしゃいます。
ガイドして いただきました。
今日は 10名ほどの 日本人が 参加でした。
2003年ころから 世界中から ここへ アウシュビッツへ 来る方が増えたそうです。
負の遺産 世界遺産です。
収容所の入り口のBの文字は 有名。 働けば自由になる Albeit macht frei
(収容者が せめてもの反抗の気持ちをあらわして Bの自体が逆さです)
ドイツの学生さん 高校生でしょうか 
先生が説明をする
だれも 無駄口をたたきません。
「自分の国の指導者が 行った」
という事実に 真正面から 向かわせる ドイツの教育姿勢。
日本の教育にはありません。
戦争の教育です。
これを知った 彼らは 同じ道をあるかない。という信念か。
これこそ 大切な 戦争戦後の教育と思います。
「遺族の方々も 60年経てやっと 見にこられている方もおられます。
靴など 遺族のものを ここで 見つける人もいるくらいですので
そのことに気を とめながら聞いてください。」 って ガイドさん
驚いたことに ヒトラーは
選挙で選ばれた人 だったのです。 国民が選んだひとです。
そして 出世したのです。
国民の支持を 国内外の支持を拡大したのです。
最初は政治犯や 自分に反対する者に対しての 取り締まりが 最初でした。
次は 正義を唱える聖職者、
そのうち ユダヤの血の 賢さ それゆえの知識人への おそれ、
そのうち 自分たち国民 だけが 汚れていないという思い込み
けがれている血 遊牧民 障害あるもの 邪魔なものを消滅するべきと、、、、、
それが どんどん ドイツ国民以外のものを潰して、、、、範囲を増やしていったのです。
これは ヒトラーだけが 悪かったのでしょうか。 ドイツ だけでしょうか。
傍観者が山ほどいた。
周りの同盟国も 止めなかった。 日本も 同盟国でした。
止める努力はしないほうが 得だったから
反対すると損だったから。
国内の 有識者も 傍観者だった。 止めると自分が潰されるから。
これは いまでも 色々な社会で あることです。
政治の世界でも 会社運営でも
学校内でも 人間社会の弱さです。
強者やその時の流れに うもれて 正義が出来ないこと。
NAKATANI ガイドさんの お話はとても とても 深いものでした。
この写真は 収容者に 川を掘らせている様子です。
この写真で ユダヤ人に暴力しているのも 同胞ユダヤ人 だそうです。
ヒトラーは ユダヤ人を使って ユダヤ人を仕切ることで
仲間意識が 団結力が 生まれないようにした
監督する者は 働き 監督する。 今の優位な立場を維持したい
( 優位とは 雑魚寝でなく一人寝れるベッド、 毛布がある。 など)
同胞なのに 収容者が 悪いもののように、 自分より 価値が下の人間に思えてくる。。。
収容者は 同胞に従うと 優位な立場になれるかもしれないと思わせる。
仲間より 抜きん出ようと する 。
そうすると 他の仲間と つるむことがない 。 内通 するものも出る。
一丸となっての 脱走も出来なくなる。
死体の処理も ガス室の作業も 全てユダヤ人や収容者の中から選ばれ者の仕事。
彼らには 毛布のある寝床を与え、 優位なこの生活から落ちないように努めさせる。
体制側のドイツ人 は
書類の上だけの仕事 苦しみの見えない仕事。
ガス室の心の葛藤や 苦しみや 良心の呵責は味わわせない。
淡々と 事を 進めるために。。。
戦後 同胞を ガス室に送り込んだ 苦しみから 逃れないままいるのも
おなじユダヤ人収容者でした。
ヨーロッパの地図です
このように ヨーロッパじゅうから アウシュビッツAUSCHWITZ に収容された。
1940年から ロシアが解放した1945年まで 130万人 の人々が アウシュビッツに 送られた
110万人のユダヤ人
15-4万人のポーランド人
2万3千のロマ(遊牧民)
1万5千のソビエトの戦争捕虜
そして 2万5千のその他のグループ 90%がユダヤ人の被害者。
「 このような 数字と文字をみて 心が震えますか。
書類上での仕事とは このようなことです。
ドイツ側は 数字と文字を処理していたら 本当のことが見えなくなってくるのです。
どんな 悲惨な 事か 見えなくなってくるのです。」 問いかけられました。
被害者の 靴 めがね 女性の髪の毛 は ものすごい量で 残っていました。
「新天地で 新しい生活をしよう」と 嘘で集められました、
信じて お鍋をもってきた 女たち。
そして その 鍋は残った。
ドイツ兵をみると![]()
普通に 談笑しています。
かれらは 淡々と 仕事をしているだけなのです。
インテリのドイツ医師たちも 健康診断を淡々と おこないました。
働けない 女性と子供は ガス室へ との指示を 淡々と下していったのです。
トップの言うままに 仕事をして
家族を 養っているだけ。。。。
「わたしたちの 今 歩いている この 砂利の道路も その当時のままです。
私たちは 彼らが汗と血をながした 道路をいま 歩いています。」 と NAKATANIガイドさん
ここは 来るべきだった。と思いました。
学ぶべき 所だ と 思いました。 避けてはいけないと。
学びなさい と 呼ばれたのかも知れない。
ショックで 胸を えぐられた つかまれた 感じでした。
色々な国の グループがいます どなたも 口を 一文字にして
じっと みて じっと聞きいって 学んでいました。
幼い男の子が 母に手をひかれ 新しい生活にお出かけする格好で、
身体検査の長い列に ちゃんと並んでいる写真がありました。
これから人体実験される 裸のこども4人
堀の深い 天使の様な 巻き毛の男の子たちの写真
それには 涙がとまりませんでした。。
収容されると 頭を丸坊主にされる
うら若きお嬢さんも 美しい奥さんも
すると
収容される自分たちも 収容する側も相手が 犯罪者のように感じてくる。
まるで 価値のない 人間のように 両方が 感じてきて
同じ同胞に こづかれても反抗しなくなってくる 人間の心理、、、、
それを 上手に ヒトラーは 利用した
人間は怖い。 集団の狂気のこわさ。
それそれ自分の物差しをしっかり持った
生き方をしなければ。
物差しがひとつになったとき
狂気となる。
辛い 見学でしたが、救いがありました。
国に背いても 6000人のユダヤ人の命を救った 外交官 杉原氏
彼は 手書きのパスポートを書き続けました。 日本経由してユダヤ人を逃がすために
私は神父ですから 家族がありません。かれのかわりに刑をうけます。
狂気 を超える 愛の力が あるのも 事実です。








