メールマガジン(70) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

騒がしいシーズンオフから、新しい
名前での活動になるシーズンをご紹介
しましょう。

それではどうぞ。

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■平成14年
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平成13年から平成14年までのシー
ズンオフは、かなり騒がしいオフにな
っていました。

ことの発端は高知県ソフトボール協会
会長の弘瀬勝氏の、国体開催に向けて
の会議の中での発言でした。

「国体はどうしても勝たないかん。」

「審判にも協力してもらう。」


といった発言だったようです。

私はその場には居ませんでしたので、
この言葉が正確ではないと思いますが、
趣旨はこんなものだったと思います。

勝つためには、地元有利な判定もじさ
ずということです。

国体での地元有利な判定は珍しいこと
ではなくて、あって当たり前、それに
も負けず戦ってきました。

私たち自身はそんなことしなくても勝
ってみせると思っていたのですが、小
心者の会長は念には念を入れてと画策
しようとした訳です。

それをどう思ったのか、公の会議で公
言したものですから、正義感の強い人
と反弘瀬派に足元をすくわれた格好に
なりました。

これを端緒に県体育協会から高知県ソ
フトボール協会は除名されることにな
り、責任を取って会長、会長代理、理
事長が辞表を提出、組織は迷走状態に
なってしまいます。

これについては問題になった件につい
て説明を求められた会議に会長も理事
長も出席せず、雲隠れしたような感じ
になってしまったことも一因でした。

そしてついには日本ソフトボール協会
から除名されるという、異常な事態に
まで至ります。

そしてそれに変わる組織として

「高知ソフトボール連盟」

が設立され、日本ソフトボール協会に
加盟することになりました。

この連盟の会長が高知県知事だった橋
本大二郎氏で、この一連の流れに大き
な政治力が働いたことを示していまし
た。

そして闘犬センターの日本リーグへの
参加条件を、高知ソフトボール連盟登
録としました。

これで完全に弘瀬勝氏の影響下から離
されることになりました。

そしてこの高知ソフトボール連盟への
受け入れ条件が、チームの名称変更で
したので、ついに闘犬センターという
名称も消滅することになり、この1年
間は、

「オール高知」

を名乗ってプレーすることになり、ユ
ニフォームは胸に

「KOCHI」

と入った国体用のユニフォームを着る
ことを義務付けられました。

ただこのユニフォームはデザインは闘
犬カラー、闘犬そのものでしたので、
私たちはそんなことはあまり気にして
いませんでした。

もう1年プレー出来ることが決って良
かっただけでした。

下手をするともうプレーは出来なくな
るのではないかとまで考えていました
ので、ホットしたといったところでし
ょうか。

この決定は4月26日付けの高知新聞
夕刊に掲載されています。

その中で西村監督は、

「国体成功に向けて一致団結する時。
 移籍が高ソ連と県ソ協の橋渡しにな
 ればうれしい。そのためにもリーグ
 で活躍したい。」


と語っていますが、心中は複雑だった
と思います。

最悪、もうソフトボールは出来なくな
るのでないかとまで思った、オフのゴ
タゴタでしたが、なんとかソフトボー
ルだけは出来るという形になりました。

そして4月27日から鹿児島市で開催
される日本リーグに参加することにな
りました。

練習は続けていたものの出れるのだろ
うかという心配などで、なかなか調整
は進みませんでしたし、登録が直前に
なったこともあり、遠征費の問題やら
何やらで、鹿児島入直前までバタバタ
やっていた記憶があります。

ただ全員がこのメンバーでソフトボー
ルをするのは、今年が最後だという覚
悟で臨んでいました。

ですからこの年はスタートから気合が
入っていました。

初戦のデンソー戦は天敵村里投手を攻
略して2得点、投げては西村投手が完
封して、2-0で勝利しています。

2戦目は山形県庁戦でした。
この試合も大村投手から2得点、昨年
緊張感に負けて力を発揮出来なかった
大木投手も山形打線を完封し、2-0
と連勝スタートを切りました。

2日目は埼玉県庁戦でした。
西村ー植村の投手リレーで相手打線を
0点に抑え、打線も6点を取って6-
0で完勝して、第1節を同率首位スタ
ートと、開幕前のゴタゴタの影響を感
じさせないような戦いぶりでした。

ただ周りは相変わらず騒がしくて、ソ
フトボールだけに集中出来る環境にな
るには、まだまだ時間がかかりそうな
様子でしたね。

6月1日春野運動公園で第2節が開催
されました。

初戦のツヅキグローバル戦の先発は西
村投手で、毎回に14奪三振と久し振り
の快投。

2点のリードを最終回の1失点に抑え、
2-1で勝利します。

次の西日本シロアリ戦は大木投手が先
発、無四球完投しています。

試合は初回連打で2点を先制、2回に
も1点を追加して、失点も6回の1失
点で3-1で、これで5連勝としまし
た。

2日目はトヨタ自動車戦から始まりま
した。

この日は打線が爆発して4ホームラン
で9得点。先発の大木投手が2失点し
たものの、最終回を岩見投手が無失点
で抑えて、9-2で完勝しました。

続くホンダエンジニアリング戦は西村
投手が無四球完封して、5-0と7連
勝で前半戦を首位で折り返しました。

このあたりでは、

「相手どうこうではなくて、自分たち
 のソフトボールをやるだけ。」


という西村監督の言葉を、全員が共有
していました。

9月7日に再開した日本リーグ第3節
は、愛知県安城市での開催でした。

この場所は日本選手権で何度も訪れて
いた場所でもあり、そんな感傷にも浸
りながら、戦いに臨んでいました。

初日の西日本シロアリ戦は12-0,
山形県庁戦は9-0、打線は手がつけ
られないほどの好調をキープしていま
したし、投手陣も安定していました。

これで初の日本リーグ9連勝となりま
したが、負ける気がしない感覚になっ
ていました。

2日目はトヨタ自動車戦でしたが、こ
の日も2本のホームランなどで5得点。

投げても西村投手が完封しています。

これで10連勝でしたが、ここまでや
はり負けられないという気持で無理を
してきたのでしょう。

西村投手が指のマメ潰しかけていたり、
大木投手の腰痛が悪化したりと、少し
ずつ暗雲が立ち込めて来ていました。

これを引きずって始まったのが、9月
21日から静岡県富士宮市で開催され
た第48回全日本総合男子選手権でし
た。

昨年地元開催で準優勝に終っているだ
けに、優勝して有終の美を飾りたいと
思って臨んだ大会でした。

順調に準決勝まで勝ち上がったオール
高知でしたが、準決勝のレッツフジト
戦は苦戦しました。

先発した西村投手は体調も良くなくて、
西村、岡本選手の2本のホームランで
3点を取ったものの、3失点してタイ
ブレークに突入しました。

8回は1-1,9回は梅下選手がホー
ムランを打って2-0として何とか決
勝戦に駒を進めました。

ただこれまでの戦いの中で、さらに故
障者が続出。

大木投手は腰痛が悪化して投げられな
い状態、西村投手も前の試合で指が限
界を超えて登板を回避。

さらにキャッチャーの森澤選手も指を
痛めて守れないという、ないないづく
しの中での決勝戦になりました。

出られないものは仕方ないので、やれ
る選手だけで試合をして勝ってやろう
ということになりました。

先発のバッテリーは植村ー池澤という
見たこともない組み合わせになりまし
た。

けれどこの絶体絶命の状況が、これま
でにはないまとまりを生みました。

みんなで植村投手を励まし、盛り立て
試合を進めて行きます。

打線も日新製鋼先発飯田投手を攻略で
きず、6回に連打で1点を取るのがや
っとでしたが、この1点を植村投手が
守り切って1-0で完封勝利をして、
14年振り5回目の優勝をしています。

試合後西村監督は、

「故障者も多く苦しい戦いになったが、
 決勝は若いバッテリーを中心に選手
 がよく頑張った。」


「打線も全日本級投手相手に強化して
 きた成果を出してくれたし、この優
 勝を高知国体と日本リーグへの弾み
 にしたい。」


と語っています。

ただこの決勝戦の勝利は嬉しかったで
すね。

エースは西村。

ビースは大木。

我々はシースの植村で勝った!

これが闘犬センターの実力だ!


と叫びたかったですね。

この後高知国体になるわけですが、
高知国体と日本リーグ最終節、そして
その後については、次回詳しくご紹介
したいと思います。

いよいよ次回で25年間が終了します。

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全日本総合の胴上げ投手の植村投手は、
高知県立大正高校(現四万十高校)の
卒業生で、私の後輩です。

この大正高校出身で日本一の胴上げ投
手になったのは、私とこの植村君だけ
です。

実はこの優勝の瞬間、

「こいつ余計な事しゃがって!」

と思う心の狭い私もそこに居ました。

ずっと西村投手に憧れ、一生懸命練習
しても試合で投げることが出来ないと
いう環境の中、このチャンスまで待ち
続け、そして結果を出した後輩に頭も
下がりました。

そんな嬉しさと、嫉妬の入り混じっ
最高の優勝でした。

次回は高知国体と、日本リーグの最後
の戦いの様子をご紹介します。

お楽しみに。