ラベルが違う | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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この人


と、この人(私)


は比べるレベルではありません。

貼られている「ラベルが違う。」のです。

言葉を変えると「次元が違う。」

けれど、あえて比べてみましょう(笑)

筋力を含めてすべてのフィジカルが、
西村君が上。

センスも西村君が上。

人間性も彼が上。

これじゃ比べる意味がない(笑)

私が上なのは「年齢」だけです。

闘犬センターでも私が先輩です。

彼が高校を卒業して闘犬センターに入って
来た時は、ボールは速いけどコントロール
がなくて、その時点では社会人で通用する
感じではなかったんです。

けれど秘めたポテンシャルは尋常なもので
はなかった。

それを見抜いていたのか、オーナーはこの
不安定な新人を使い続けることにしました。

ジュニアの世界選手権の代表にするという
必要もあったんですね。

高校時代、ほぼ実績のない西村君を、ジュ
ニアの全日本のエースに据えるためには、
「闘犬センターのエース」であるというこ
とを、世間にアピールする必要がありまし
た。

それもあって、彼の入部後はオーナーが

「西村で行け!」

としか言わなくなりました。

これで私の投げる場所がなくなったという
わけです。

この時点では、まだ私の方が

「計算できるピッチャー」

だったんです。

練習も人一倍していたので、チームメイト
の信頼もありました。

新しい力に負けてピッチャーが出来なくな
ったのなら、負けを認めることが出来たの
でしょうけど、オーナーにその場所を奪わ
れたという形で、ピッチャーを辞めたもの
ですから、私自身はいつまでも負けを認め
ないという状態に置かれていました。

長く一緒にプレーもしましたし、すごく近
いところから彼を見ていましたが、それは
現役中ずっとそう思っていたような気がし
ます。

現役中は西村君に、

「俺はお前が嫌い。」

とずっと言っていました(笑)

私が彼のすごさを認め、これはかなわない
と自覚したのは、一旦チームを離れ、西村
監督となったチームにトレーナーとして復
帰してからでした。

その時には監督兼選手として頑張っている
姿、さらに長く酷使してきた体のあちこち
に故障を抱えながら、人目のないところで
コツコツ走っている大エースの姿に触れた
時に、初めて

「こいつにはかなわないな!」

と敗北を認めました。

唯一勝っていた、「練習量」や「走る」と
いう部門も危うくなっては、どうしようも
ありませんね(笑)

闘犬センター創立メンバーである、ある先
輩にそのことを話すと、

「今頃気が付いたか(笑)」

と言われましたが、私はこの時点までは
間違いなく負けを認めていなかったですね。

負けを認めたくなかったという方が正確か
もしれません。

今は正直彼がうらやましいですし、一回で
いいので、彼のようなボールが投げてみた
いと思っています。

けど、ラベルが違うのでそれが出来ないん
です。

それが悔しい!

今日はここまでにしますね。