
この人(私)と、

この人(弘瀬拓生さん)です。
生まれは高知県の西部の山の中で同じ。
少し違うのは、弘瀬さんは子どもの頃
体が小さくて、私は大きかったという
こと。
ですから弘瀬さんは力に頼ったソフト
ボールをしていなかった。
私は大きな体と力に頼ったソフトボー
ルをしていて、子どもの中ではそれで
結構なアドバンテージがあったという
こと。
これが後々の成長に違いをもたらしま
す。
さらに弘瀬さんは大学でソフトボール
の基礎をしっかり学んで、さらに努力
することを覚えました。
私は高校を卒業後すぐに闘犬センター
に入って、ソフトボールをすることに
なりました。
私が学年では3つ下ですから、その分
も努力の期間が違ってきますね。
さらに大学卒業後、先生を目指してい
た頃、そして正式に教員となってから
は、学校で生徒と一緒に練習が出来た
(生徒以上にやっていたという声もあ
ります。)という環境が、練習量の確
保という意味では大きかったですね。
最終的には弘瀬勝氏の陰謀によって闘
犬センターでソフトボールをすること
になりましたが、宿敵鴨田体育会でソ
フトボールをしたことも大きかったと
私は思います。
ピッチャーは弘瀬さんしかいないとい
う状況ですから、投げて投げて経験し
て、キャリアをつむことと、試合で投
げて抑えてみないと獲得出来ない自信
みたいなものを獲得されたんだと思い
ます。
一方私は、さあこれからという時に、
後の日本の大エース「西村信紀君」の
登場によって、ピッチャーをすること
が出来なくなってしまいました。
これでは勝負になりません。
現在の差もここで決まったようなもの
です。
そこで残りの人生が少なくなった私は、
この弘瀬さんの経験を自分のソフトボ
ールに取り入れてみようと思ったので
す。
元々「敵」ですから、普段話しはして
も、相手の技術は認めていても、それ
を自分の中に受け入れてみようなんて
思わないものです。
しかし今回のフォーム変更は、たぶん
人生最後の挑戦になると思います。
これが成功で終わるかどうかなんて、
誰も分かりません。
私自身も「成功」するかどうかは、あ
まり意味がないと思っています。
やってみたらどうだったか、それが知
りたいんです。
そのために弘瀬さんの経験と知識を、
利用させていただこうと、ずるい考え
をしただけのことです(笑)
子どもの頃から「力に頼った体の使い
方」をしてきた私には、なかなか難し
い体の使い方を要求されます。
分かっていても出来ない自分が歯がゆ
いのですが、この不器用さも私です。
自分が納得出来るまでやってみようと
思います。
そのうち、この私と弘瀬さんの考え方
がぶつかることもあるはずです。
それが当たり前、だって違う人間なん
ですし、二人の考え方をこの私の体で
表現しようというのですから、さらに
難しいですよね。
そして、時々帰って来る大エース西村
君にお酒を飲ましながら、彼の考え方
も聞き出して、それも取り入れようと
画策しているのですから、これが完成
したらすごいことになりますよ。
まあ、やるのが私なのでそこまですご
いことにはなりそうもありませんが・・
とりあえず4年後60歳の時を楽しみ
にしたいと、個人的には思っています。
あ、二人の違いを書いてきましたが、
共通点もあります。
ソフトボールに関しては二人とも、
「おかしな人」です。
そのこだわり方が変ですし、こだわり
具合は弘瀬さんにはかないません。
それが実力の差、実績の違いになって
いますね。
普段の生活でも、他人からは
「変わっちゅう!」
言われます(笑)
これも共通でしょうか。
今日はここまでにしますね。