ました。
けれどやはり周りの騒音がうるさい
のは、変わっていませんでした。
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■平成13年(その3)
■編集後記
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■平成13年(その3)
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いよいよ日本リーグが始まりました。
最初の戦いの場は地元高知、春野運動
公園でした。
4月29日に開幕された日本リーグで
すが、初戦のトヨタ自動車相手に苦戦。
春先調子が上がらず敗戦を喫するのは
昔からではありますが、ホームランで
先制したものの、先発大木投手は開幕
戦先発の緊張感もあって、本調子では
なく、打線も湿ったままで2得点。
試合後西村監督が
「5点打線もが2点では。」
「大木も開幕戦で緊張感もあった。」
と振り返るように2-3で逆転負けと
黒星スタートとなりました。
雨で順延された5月1日は、まず住友
金属相手に9-0と完勝して初勝利を
上げると、続く西日本シロアリ戦も
12-0と打ちまくりました。
この2試合はこの日本リーグ前日に、
ジュニアの世界選手権(オーストラリ
ア)から帰国したばかりで、調整不足
の西村監督を登板させずに勝っていま
す。
「サインはゼロ。いつもこんな調子な
ら楽なのに。」
「打線は水物。投手を軸にした守りの
リズムが取れた。」
と西村監督に言わせた完勝でした。
大阪で開催された第2節も豪打は続き
ました。
デンソーを16-1,山形県庁を13
-0と連勝して首位に踊り出ます。
ちょっとてがつけられないといった表
情の相手チームの顔が並んでいました。
続く最終日は
ホンダエンジニアリングに4-7,ツ
ヅキグローバルを3-0とやぶって前
半戦を首位で折り返しました。
日本リーグ前半戦を終え、選手たちは
ソフトボールに集中しようとしていま
したが、年明けから始まった会社がら
みのゴタゴタは相変わらず続いていま
した。
そして高知新聞の「話題」というコラ
ムに次のような記事が掲載されました。
「ソフトボールのピッチャーズプレー
トからホームベースまでは約14m。」
「野球より4m余り短いこの距離で最速
125kmは、イチローが相対している
大リーグのエース級に匹敵する。」
「35歳の今も球速120kmを超す本県の
西村信紀投手は、間違いなく大リーグ
級である。」
「全日本のエースで、将来の全日本監督
の呼声も高い。県スポーツ界の誇れる
選手の1人だろう。」
「その西村投手が監督兼選手として所属
しているのが「闘犬センター」。」
「県政を揺るがしている「別件やみ融資」
の主役、弘瀬勝氏がつくったチームで
ある。」
「「闘犬センター」は功罪両面を持つ。
日本一のチームを作り上げたのは、誰
もが認めるところだ。」
「その一方で、強引な選手の集め方をし
てきた。誘いに乗らなかったり、チー
ムを離れるなどした選手の中には、弘
瀬氏を恐れてソフトボールをやめた人
も。」
「チーム強化にはどこもいろいろな手を
使うが、少々度が過ぎていたと思う。」
「今年2月、チーム運営は形の上で県ソ
フトボール協会の手に移された。」
「日本リーグなど遠征費は、弘瀬氏の私費
ではなく、県から協会に下りている強化
費でまかなうようにした。」
「しかし、弘瀬氏は県協会の会長である。
闘犬=弘瀬氏のチームと見る人は多い。」
「先ごろの県議会産業経済委員会でも、弘
瀬氏が「やみ融資」に至った理由の一つ
にソフトボールへの投資が指摘された。」
「チーム運営費自体は大きな額ではなかっ
たにしろ、あまり良いイメージはない。」
「西村投手をはじめ、素晴らしい選手たち
まで違う目で見られるのは悲しい。」
「選手のためにもまず、チーム名変更を考
えてはどうか。」
高知新聞運動部の顔見知りの記者の方の書
かれた記事でもあり、ありがたい言葉でも
ありますが、文中には誇張もありますし、
「今言いますか?」
「言っていることは正論ですけど。」
「私たちは長く高知新聞の運動部にはお世
話になってきましたし、その都度お叱り
も受けてもきました。」
「ただ、仰る通り弘瀬勝のチームであり、
オーナーの意向を無視した活動は出来な
いことばど、お互い分かっていましたよ
ね。」
と言いたくなるような記事でした。
ただこの記事が発端になったのかどうかは
分かりませんが、翌年にはチーム名が変更
になりましたので、「闘犬センター」を名
乗っての活動はこの年が最後となりました。
闘犬センターの活動は実質25年、ただ
「闘犬センター」を名乗っていたのは24
年間になった、きっかけの記事になりまし
た。
今日はここまでにして、この年の後半戦の
戦いは次回ご紹介します。
