た。
メールマガジンも平成6年を振り返っ
たものになっています。
それではどうぞ。
-----------------------------------
第48号のメニューはこちらです。
■平成6年(その4)
■編集後記
------------------------------------
■平成6年(その4)
------------------------------------
激動とは言っても、私にとっての激動で
したが、チームにも少々の動揺を与えて
しまいました。
この時点でチーム創部からの生き残りは
私一人になっていました。
まさかこの年で終わりになるとも思って
いませんでしたし、かと言って若い時の
ように、
「仕事とソフト、どっち選ぶ?」
と聞かれたら、
「ソフトを選ぶ。」
なんてことを言うほどの情熱もなくなっ
ていました。
自分の実力も理解できるようになってい
ましたし、十分やらせてもらったという
充実感すら感じていました。
残りの時間は若い奴らのフォローをして、
お返しをしようと思っていた時でした。
先輩方からも、いつ辞めるかは自分では
決められないので、いらないと言われる
までやれと言われていましたし、これま
での事例をすべて見てきていましたので、
辞めるのであれば、オーナーと揉めない
と辞められないと思っていました。
図らずも相手はオーナーではありません
でしたが、チーム内でのゴタゴタの原因
を作った者として、チームを去ることを
決めました。
やり方はオーナーに手紙とユニフォーム
を送りつけて、逃亡したという形になり
ましたので、結果としてはオーナーに楯
突いて辞めたと言われることになりまし
た。
辞め方としては、これしかないというベ
ストの形となりました。
この年を含めて平成10年に西村監督が
就任することになり、ある日突然オーナ
ーが私の仕事場を訪ねてくるまでの間は、
ソフトボールと離れて穏やかな生活を送
っていました。
ただ1回だけ、この闘犬センター時代の
選手を集めて「早起き野球」に出た事が
ありました。
何故かそれをオーナーに言った人がいて、
また何故かそれが気に入らないオーナー
からイチャモンをつけられて、1回戦を
勝ち上がっていたものの、2回戦を棄権
せざるを得なくなっていまうという事件
はありました。
自分の目の届かないところで、元闘犬セ
ンターの選手が動いているのが気に入ら
なかったみたいです。
まったく関係のない「早起き野球」にま
で口出しをしてくるとは思っていなかっ
たですし、関係ないので無視しようかと
も話し合いましたが、自分たち以外に迷
惑がかかってもいけないということにな
り、早起き野球の参加料やユニフォーム
代をだしてくれていた方に頭を下げたこ
とでした。
どこまで言っても、闘犬センターと弘瀬
勝という人物がついて回る人生になって
しまっていました(笑)
で、平成7年のシーズンになるのですが、
これからの4年間については、私があえ
て闘犬センターの話題に目をつむってい
たのか、全く記憶がありません。
西村君などに聞いて少し内部事情も聞い
てはみたものの、まるで他人事にしか思
えないんですね。
ですから、これまでの詳細な振り返りと
は違った内容になるかもしれません。
このことをお断りしておいて、次号から
振り返りにもどりたいと思います。
今日はここまでにしますね。
-------------------------------------
いつもより短いメールマガジンになって
いますね。
さて、メールマガジンのご紹介も年内は
次の日曜日1回を残すのみとなりました。
いつもより暖かい12月に、なかなか年
末という気分も盛り上がりませんが、良
いお正月を迎える準備はしておきたいと
思います。
