メールマガジン(32) | ソフトボールを愛する人にお届けするブログ

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ソフトボールがもっと上手になりたい、勝ちたい、テクニックが知りたい方に、カリスマたちの貴重な情報をお届けします。

昭和60年になりました。

「優勝」することが多くなった
この頃ですが、どのような戦いだった
のでしょうか。

それでは、ご覧下さい。

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第28号のメニューはこちらです。

■昭和60年
■編集後記

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■昭和60年
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昭和60年は2年連続受賞になった

「高新スポーツ賞」

の横顔紹介記事から始まりました。

昨年1年間の成績の紹介があって、
初めて参加した日本リーグでの戦い方
についてに、監督、主将が言及してい
ます。

やはり実業団勢に比べると圧倒的に少
ない練習量と、大会日程によっては
レギュラー全員が揃わないこともある
というハンディキャップを抱えた上で、
初参加、初優勝という快挙を成し遂げ
た理由なんかも語っています。

「実業団勢は作戦がパターン化してい
 るので、そこを突けばよかった。」


「訓練されてはいるが、攻めでも守り
 でも、次の手がこちらに読めるわけ
 です。」


「リーグで多用したエンドラン作戦な
 どは、相手の守りのパターンを破る
 のに、大いに効果があった。」


一般男子のトップクラスに、ほとんど
実力差はない。そうした状況の中で、
勝ち切れるかどうかは、

「二度あるかないかのチャンスを生か
 せるかどうかの集中力であり、その
 ための各選手のコンディション作り
 にかかっている。」


と、杉本監督は語っています。

加えて平松主将が、

「伸び伸びやらせた方が、いい結果が
 出ている。」


ということで、クラブチームはクラブ
チームなりに、実業団とは違う、個性
とアクの強い戦いをしていきたいとい
う構想が書かれています。

ここから何故か記録がなくて、次は
いきなり7月29日の第6回全日本クラブ
男子ソフトボール大会の決勝戦まで
飛んでいます。

山梨県の南部町で行われたこの大会は
大会初日は試合が無かったので、夜
マイクロバスで走った我々は、開会式
ギリギリに会場に到着するという強行
軍の中の大会でした。

この南部町という所は盆地ですごく
暑くて、風が吹いて来たなと思ったら
それが熱風で、とても体力的にきつい
大会でした。

決勝戦まで勝ち上がった闘犬センター
は、決勝戦で世界選手権でも一緒に
戦った日本体育大学出身の北投手のい
「山梨クラブ」と対戦します。

「西村対北」という速球派同士の投げ
合いになり、0対0のまま延長戦に。

延長10回西村投手のセンター前のヒッ
トで、サヨナラのランナーがホーム
インをして、熱戦に終止符をうちます。

この頃からクラブ大会は闘犬センター
対力をつけてきた山梨クラブの戦いと
いう感じになりましたね。

また、この頃から西村が投げて、西村
が打って勝つという、我々にとっては
とっても面白くない展開が多くなって
いきました(笑)

9月に入って初の日本リーグの高知開催
となり、スタートダッシュに失敗した
闘犬センターが、猛然と追い上げて、
最終的には逆転で優勝。

昨年に続いての二連覇を果たします。

この頃から、ツーアウトランナー3塁で
の、ノーサインのセイフティースクイズ
という作戦が行われるようになりまし
た。

実業団勢からするとツーアウトからスク
イズしてくるなんてことは考えてもいま
せんでしたから、ましてノーサインです
ので、バントがフェアならほぼ100%
の確率で成功していました。

サインはサードの位置を確認した後の
バッターとランナーのアイコンタクト
だけで、動きを決めていましたので、
この作戦はそれが出来るバッターと
ランナーじゃないと出来ないという
欠点がありました。

さてそれに引き続いて9月30日に福島県
で開催された第31回全日本一般男子ソフ
トボール大会に参加した闘犬センターは、
雨による順延の影響もあって、準決勝、
決勝は10名で戦うという過酷な戦いにな
りました。

準決勝ではホンダエンジニアリングを
2-1で破り、決勝戦では旭化成延岡を
1-0で破って、この大会も二連覇を果た
します。

レギュラーも抜けて、不慣れなポジショ
ンを守りながらの優勝でしたが、チーム
として本当の地力がついてきた証拠の
優勝だったと思います。

そして迎えた11月、この年の締めくくり
の大会、第14回日本選手権大会も順調に
勝ち進んで、11月10日決勝戦でこの年の
インカレの優勝校の東海大学と対戦しま
す。

東海大学も準決勝で群馬教員に勝って
決勝戦に駒を進めてきていましたので、
相手は大学生とは言え、気を抜くことは
出来ませんでした。

この日もベストメンバーとはいかず
、内野手の北川選手を外野で使うとか、
やりくりしながらの試合になりましたが、
1-0で何とか辛勝して、2年振り2度目の
優勝に輝きました。

これで、闘犬センターが史上初の

「4大タイトル独占!」

となりました。

これは快挙だったと思います。

そしてこの年最後の締めは

「闘犬センターのオーナーでも
 あ り、 日本ソフトボール協会副会
 長だっ た 弘瀬 勝氏が、日本ソフ
 トボール協会の会長に就任。」


という驚くべき記事が高知新聞の紙面に
載っています。

オーナーこの時45歳、日本体育協会加
盟競技団体の中では異例の若さでの会長
就任だったみたいです。

そんなことより、高知の田舎のお土産物
屋の社長が、日本協会の会長になったこ
との方がもっと異例だったと思うんです
けどね。

これによって地位も手に入れたオーナー
が、チームにとってさらにさらに面倒臭
くなったことだけは事実でした。

これからいろいろなことが起こります
(笑)

それはまたご紹介出来ると思います。

今日はここまでにしたいと思います。

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どうですか?

チームは「4大タイトル独占」

オーナーは「日本ソフトボール協会就任」

世の中まさに、

『闘犬センター時代』

に突入してしまった感がありませんか?

対戦する相手チームや日本協会の理事、
役員の皆さんもやりにくい時代になって
しまいましたが、この日本ソフトボール
協会会長就任という出来事は、私たちに
とっても面倒くさい出来事の始まりでし
た。

創部以来

「勝て。」とは言わなかったオーナーが

ついに

「勝て!」と言い出しました。

「ワシは日本一のチームを持っている
 会長なんだ。」


こんな訳の分からない事を言い出したの
もこの頃からでした。



日本リーグを2連覇した時の写真です。
拡大できる方は拡大してみて下さい。
優勝が決まった後にオーナーが、

「一つ勝ったくらいで、浮かれるな!」

みたいな事を突然言い出して、選手全員が
不機嫌になった後の記念写真でしたので、
これが優勝したチームかというくらい、
全員が恐い顔で写っています(笑)

そして気に入らない杉本さんと私と何人か
の選手が、表彰式が終わるとすぐにメダル
を首からはずしています。

何人メダルをかけていないかな?(笑)



一般男子の優勝の時の写真です。
この時はオーナーが同行していなかった
ので、選手の顔が比較的穏やかでしょう
(笑)



日本選手権2年ぶり2回目の優勝の時の
記念写真です。

オーナーの隣の杉本さんの顔が恐い!
オーナーだけが上機嫌と言った感じで
しょうかね。



そして、これがオーナーの日本ソフトボ
ール協会会長就任を伝える新聞の記事に
なります。