先日病気仲間と会って話をしました。

基本的には病気仲間というのは病気が共通項であるので、病気やその対処法、療養生活など、そういった話がどうしても中心になってしまいます。

 

そこで、そこにいた仲間とは他の人の行動についてなどを話したのですが、どうも言い過ぎたかと反省しています。

 

病気の症状に関しては、その人の人格とは別にどうしても避けようのない事もあるので、あまり責めないようにしていますが、今回は割と人格的な話について言及しました。

 

ただ、そうするとどうしてもその人を否定する部分が出てきてしまいます。

私は分析、評価するという習慣があります。

そうするとこちらが意図しない所で他人を批判していることにもなってしまいますよね。

私としては何でも白黒つけずに、この点は白、あの点は黒、と明確に分けて指摘しているつもりなのですが、どうもそれが伝わっていない可能性も大きいなと思った次第です。

 

簡単に言うと、ただの悪口としか捉えられていない可能性が高いです。

 

それから、病気仲間の間での話というのは、答えを欲しているのではなく、聞いてほしい、話をするだけで良いと思っている人もいると思うので、明確な答えをこちらも用意する必要もないのではないかと思いました。

 

ちなみに私は世の中のほとんどの事は白や黒ではなく、グレーだと考えています。

 

少し前に胃腸系の急病のため近くの内科に行きました。

普段内科にいく事はないので初めて行った個人病院です。

 

受付で持病や現在飲んでいる薬を記載しました。

 

その時の病気自体は検査が出来ないので他の大き目の病院に行くように指示されたところで、

「統合失調症?」

と聞かれました。

「いえ、双極性障害です。」

と私は答えました。

 

すると医者は

「重いね。」

と言ったのです。

 

さて、私は多量の薬を飲んでいる訳でもないにも拘わらず、私の症状を薬の種類だけで判断出来る専門外の医者というのも凄いなと(もちろん皮肉です。)思いましたが、”重い”と言ってしまうその態度に精神疾患に対する強いスティグマ、偏見を感じたのであります。

 

はたして、その医者は自分の医院に通院している内科系疾患の患者が、仮に”重い”病状であった時に「あなた、”重い”ね。」

と言うのでしょうか?

言えるのでしょうか?

 

気軽に切り捨ててしまえる人間だと思われているのでしょうね。

私は躁状態にあまりならないので、(といってもなったことはあるし、良く分かる。)激しく他人に迷惑をかけたりとかないので見た目普通です。

 

病気だと言ってある友人にも普通の様に見られます。

 

しかし、双極性障害の症状とは別に体力が致命的にありません。

これがクリアできれば少しは社会の中で何らかの有意義な活動を出来るのではと思うのですが、なかなか難しい所です。

 

これがなかなか理解されないのですよね。

 

普段は家でゴロゴロしている日々ですが、そのおかげもあってたまに外出する事は出来ます。

先日も病気仲間と会ったのですが、私より体力のあるその仲間はどうも体力がないので行動できないということが理解できないようでした。

 

「ジム行ったらどう。」

 

などと言われてしまいます。

いや~、それが出来るのならしているのですよね。

そしてもっと生産的な活動に時間を使ってます。

それが出来ないから困ってる訳で。

 

でもそういう発想って普通のことなんだと思います。

社会で活動していくだけのエネルギーが足りないということなど思いもよらないのだと思います。

 

そこで、

「ジムへ行くのは体を鍛えるためで、私はその鍛えるための力もない。」

と一応説明しておきましたが、どうも納得していなかった様子でした。

 

精神疾患特有のこの疲れやすさというのものの正体が何なのかは分かりません。

しかし、現実にそれと向き合わなければならない者としてこれが他人から理解され難い原因の一つなんだろうなと思います。