57年から80年代初めまでの長きにわたるズート・シムズとの2テナーコンビで名を馳せたのがアル・コーンだ。この二人は様々な共通点を持っているが、共に25年生まれでしかもズートの3年後に同じくガンで亡くなったというのも因縁めいている。...48年ウディ・ハーマン楽団に参加。当時のセカンド・ハードの〝フォー・ブラザーズ〟がアル&ズートの出会いだった。その後チーム結成まで9年余りを要するわけだが、49年短期間アーティ・ショー楽団に在籍してからはフリーの編曲家としてジャズやTVショウを手掛ける。また50年には初リーダー・セッションを録音。これは53年のセカンド・セッションと合わせてサヴォイがLP化した。54~6年はRCAと契約、ズートとの初双頭リーダー『フロムAトゥZ』(56年1月)を吹き込む。...世評ではズートの2番手の感を免れないコーンではあるが、スタイル的に両者共レスター・ヤング系と位置付けられているとはいっても相違点はある。まずスローナンバーに顕著なサブトーンの有無だろう。しばしばズートが(スタン)ゲッツとの親近性を指摘される根拠がこれであり、コーンの場合はあくまでもストレート。またアップ・テンポではヘヴィーなブロウも繰り出し、ヤワなイメージが見当違いだと思い知らされる。アル&ズートにまず駄作はない。『ハーフ・ノートの夜』(59年UA)、『アイザー・ウェイ』(59~60年FM)、『ユー・アンド・ミー』(60年マーキュリー)が特にいい。70年代にはザナドゥ、80年代にはコンコードというコーンに相応しいレーベルからリーダー作を発表。...

 

─ ジャズ批評71『特集テナー・サックス Volume1』より。

  ジャズ批評ブックス『JAZZテナー・サックス』にも同様の記事あり。

 

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 Zoot Sims の次は Al Cohn を紹介しようということは前から決めていたことです。自分は AL Cohn のアルバムは3枚しか手元になく、どれも Al & Zoot のアルバムだからです。そして、この3枚以外のアルバムのリリースがどうにも遅れているような気がしてなりません。日本での紹介は、黒人の、また例の3大レーベル(Blue Note, Prestige, Riverside)に偏りすぎていまして、その結果同じアルバムばかり再発されるという事態を招いています。

 Al Cohn のアルバムがどれくらいあるのか知りませんが、もっと掘り起こして再発されることを期待し、また Al Cohn が正当に評価されることを願うばかりです。