ソフトブレインのシニアAです
今川義元の本隊が沓掛城(くつかけじょう)を出て田楽狭間方面に近づいて来ました
続きをどうぞ(^o^)/
午前11時ごろ、信長は善照寺砦に500人余りの兵を残し、2000人の兵力で出撃し、本街道を避け東方に迂回していく。斥候(ものみ)などから入る情報をもとに、義元の本隊が田楽狭間方面にいることを察知し、南への進軍に切り替えた。
午前11時30分ごろ、鳴海城を囲む砦の1つである中嶋砦の外に陣を構えていた、織田方の佐々政次ら30人余りの兵は、信長出陣の報を聞き士気が高ぶり、単独で今川義元の5000人の本隊に攻撃を仕掛けた。あまりに少ない人数だったため、あっという間に討ち取られてしまった。
午後12時ごろ、義元は、斥候の報告を受け、信長が善照寺砦に入ったことを知った。そこで義元は、信長が野戦にはでてきたものの、大軍を相手に善照寺砦から出てこられないと考えた。この時すでに信長は善照寺砦を出てこちらに向かっていたが、そうとは知らず、義元の本隊は見通しが良いこの小高い山で小休止に入った。
午後12時30分ごろ、信長は進軍の途中だったが、斥候の知らせにより、義元がおけはざま山にいることを知った。進軍の速度を落とし、慎重に進んでいく。
その後、おけはざま山のあたりは雲行きが怪しくなり雷鳴がゴロゴロと響きだした。少し経つと、視界が遮られるほどの豪雨が降り始めた。
信長は豪雨により人馬の音がかき消される幸運に恵まれ、一気に義元の本隊の近くの高台まで近づき、おけはざま山の様子を伺った。10分ほど経つと豪雨は一気に止み、光が差してきた。
信長は、今川軍の旗が立っているのを見て本隊に間違いないと確信した。 『いくぞ者ども、狙うは今川義元ただ1人ぞ』 信長は人馬一体となって自ら飛び出した。
同じころ、義元は陣幕の中で休んでいたが、陣幕の外で騒ぐ声が聞こえてきた。その声はだんだんと大きくなってくる。『刃傷沙汰(にんじょうざた)などはもってのほか。取り押さえよ』と数人の部下を送った。
部下がいなくなるとすぐに見知らぬ兵が現れた。義元はすぐに『何奴(なにやつ)!』と一喝した。『織田家家中、服部一忠、見参!』云うやいなや義元に斬りかかっていく。『なに織田?』義元は、剛刀を振るったが避けられて空を切り、たたらを踏んだ。
『毛利新助、助太刀いたす!』叫びながら飛び掛かった。熱い鉄槌のような痛みが走り、義元は倒れ込んだ。
義元の本隊5000人の兵は信長の本隊に蹴散らされ、雲散霧消した。信長軍の勝利の鬨の声(ときのこえ)が辺りに響き渡った。
総大将である今川義元の戦死により今川軍は戦意を喪失し、撤退を余儀なくされた。
本日はここまでです
群雄割拠の戦国の時代は、
命とは儚い(はかない)ものだということが分かりますね。
次回をお楽しみに