ソフトブレインのシニアAです
前回は元康が丸根砦へ総攻撃を開始したところでした
続きをどうぞ(^o^)/
永禄3年(1560年5月19日)、午前3時に、松平元康の三河軍は丸根砦へ、大高城守備軍は鷲津砦へ、総攻撃を開始し、戦いの火蓋を切って落とした。
午前4時ごろ、清洲城で眠っていた織田信長は、最前線である丸根砦、鷲津砦が敵軍に攻撃されているという報告を聞いて飛び起きた。お気に入りの幸若舞(こうわかまい)『敦盛(あつもり)』の一節を舞う。
幸若舞は能や歌舞伎の原型で日本最古の語りと踊りを行う曲舞(くせまい)であり、36曲のうち一ノ谷の戦い(平敦盛と熊谷直実)の『敦盛』は特に多くの人に好まれ、信長もその一人だった。
人間五十年、化天(げてん)のうちを比ぶれば
夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり
一度生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか
信長は、舞い終わると、具足(甲冑、鎧と兜)を身に着け、立ったまま湯漬(ゆづけ、現代で言うお茶漬けみたいなもの)をかっこんだ。小姓(側近、戦時は主君を命を懸けて守る)に陣貝(じんがい、ほら貝のこと)を吹かせると、小姓衆の5騎のみを連れて清洲城から出陣した。
「殿、出陣!」の知らせが織田の家中に響き渡り、武具を付けて馬で追うもの、武器を取って駆け足で追うものが後を絶たなかった。
午前8時ごろ、信長は尾張国の三宮の熱田神宮に到着し、続々と集結する兵を待っていた。そして熱田神宮に戦勝祈願をおこない、鬨の声(ときのこえ)を挙げた。「えい、えい、おーッ! えい、えい、おーッ! えい、えい、おーッ!」
午前10時ごろ、今川軍の先鋒三河軍の猛攻を受けていた丸根砦の500人余りの守備軍は、城外に討ってでて白兵戦を展開、大将の佐久間盛重は討死して兵は敗走した。
また鷲津砦は籠城戦をおこなっていたが、織田秀敏などが討死して陥落した。大高城周辺の2つの砦の制圧が完了した。
ほどなく今川義元率いる本隊が沓掛城(くつかけじょう)を出発し、大高城に向けて西に進んでくる。この段階では、義元の大軍は、各地に分かれて戦っており、荷駄兵を除けば、義元率いる本隊は5000人の兵に限られていた。
午前10時すぎ、信長は大高城へ向かう本街道で、丸根砦、鷲津砦から逃れてきた兵から情報を仕入れる。敵本隊の位置を推察しながら鳴海城を囲む砦の1つ善照寺砦に入った。ここで敗走の兵も加え、およそ2500人の兵が集結した。
本日はここまでです。
前哨戦が終わったところです
次回の決戦をお楽しみに