先週の土曜日におよそ3か月ぶりのフットサルをやりました。
3時間やってもうクタクタになり帰宅。
そして、今日(月曜日)恐れていた筋肉痛に見舞われました![]()
筋肉痛とは、一般に過負荷を与えた筋肉が
損傷し、その回復過程で起こる痛感と言われてますが、
本当のところ、そのメカニズムは解明されていないそうで、
世に出回ってる俗説は、あくまでも推測の域を脱していないとの事。
学生の頃部活で、筋肉痛でつらい時
「筋肉痛の時こそ筋肉がつくから、なおさらトレーニングしろ」
を言われ、青ざめた記憶があります。![]()
ふと思いました。
これは社会生活の中でも同じではないか!?
辛い時こそ、やり抜く事で、より大きな成長ができるのではないか!?
しかし、私自身は、この結論には違和感を感じました。
希望的観測の上で成り立つ精神論程、陳腐なものはないと思っているからです。
では、何が「希望的観測」なのか。
社会生活の中でも、辛い仕事、難しい仕事を対象とした場合は、
やり遂げて自身の成長につながるケースも多いでしょうが、
生活苦や就職難など、状況的要素から「辛い」場合は、
自身の力で打開できる状況ではないケースがあると思うからです。
ソビエト連邦崩壊の際、人民は「共産主義」から「民主主義」への
展望に多大な期待を寄せてました。
しかし、いざ共産主義が崩壊した後、人民一人一人の力では
民主主義社会を生き抜く力は持っておらず、共産主義への
依存がぬぐい去れない人々がいたのです。
民主主義という朝日が昇れば、世界が変わると信じた
人たちにとって、民主主義に変わっただけでは雲に覆われた闇の中だったのです。
同じ事が今の日本でも言えて、
「景気がよくなれば」、「雇用促進がされれば」という期待は
政府や企業に依存した「希望的観測」の域を決して出ない訳で
今の辛い時期を生き抜いた先の希望には、到底なり得ないと
気づいて欲しいです。
不況、大量解雇、デフレ、低賃金・・・
現在、生活しづらい状況が続いているのは事実だと思います。
しかし、それが現実で、私たちは不平不満を口にしながらも
今の現実を生きなければならないのですね。