昔、私は15歳の時、中学三年生の受験生だったが、受験の近づく冬休みに、受験勉強そっちのけで、三つの短編小説を書き上げた。
ジャンルで言うなら、どれもSF小説になるだろう。
別に小説家として身を立てようと決心していたわけではない。だが、私なりの書かねばならない必然の理由はあったのだろうと思う。
一作目は「戦争ごっこ」というタイトルだ。
ストーリーは、地球ではない惑星で、惑星全域を支配する三つの大国が終わりのない戦争を続けている。その三大国の一つで、ある小学校が卒業式を迎える。
この世界の小学校の卒業式は、単なる式典ではない。卒業生たちが紅組と白組に分かれて、草原の二つの中世風の砦に入り、よく切れるホンモノの剣や槍や盾を手にして、合戦を行うのだ。生徒たちの半分以上が死ぬことになるが、この世界では必要な通過儀礼とされているのだ。
先生たちは中央の展望台から戦場を見渡し、「今年はどちらが勝ちますかな」「白が強そうかな」「いや、赤もなかなか」などと興奮した様子で話が弾んでいる。
けれども、早くも草原に点在する子どもたちの血まみれの遺体を目にして、真っ青になる先生も一人はいるのだ。彼は「この世界は狂っている」と思いながら、込み上げてくる吐き気を抑えて、素知らぬふりをしている、そうしなければ、自分も教師として生き残れないからだ。
白い鉢巻を結んだ主人公の男の子は、最初は中世風の武器を身につけて気分が膨らんでいたが、実際に合戦が始まって、赤組の男の子に切り付けると、鋭い切先が相手の身体を切り裂き、悲鳴と同時に血が噴き出した。切りつけた少年はそれを見て真っ青になる。「何だこりゃ、本当に死んじゃうよ。」
何かが根本的に狂っている恐ろしい事態に至っていることを感じて彼は立ちすくみ、後は逃げることしか考えられない。その時、幼馴染の女の子が姿を現した。彼女は赤組で斧を持っていて、彼の姿を見てニヤッと笑った。
「おい、ボクだよ。やめろよ!」「マサカリ持ってどうするつもり」「ウッソだろ、くるな!くるな!」
けれども女の子は彼に向かって思いっきり斧を振り下ろし、もう一方の手でナイフを彼の腹に突き刺した。
男の子は目の前が真っ赤になって気がつくと地面に倒れていた。女の子は斧を男の子の首に振り下ろした。
そのうち紅組の優勢が明らかになってきた。白組の子は狩り出され、倒された。
赤組の子達が勝鬨を上げる。
展望台の先生たちも「どうやら勝負が決まったようですな」「今年も赤が強かったか」と感想を言い合っている。
この作品に影響を与えたのではないかと思われる本は、ゴールディングの「蝿の王」、ヴァンスの「竜を駆る種族」、ルイスの「ナルニア国物語」、オーウェルの「1984年」、ストルガツキー兄弟の「神様はつらい」などだと思う。
私が書いたのは「バトルロワイヤル」や「リアル鬼ごっこ」が書かれるより、はるか以前の話だ。
どうして影響を与えた本ではなく、与えたと思われるというあやふやな言い方をしているかというと、私が書いていた時、無心というか、無意識から言葉が勝手に出てくる感じだったので、自分でも、それまでに読んだ、どの本にインスパイア(刺激)されたのか、よくわからないからだ。
二作目はタイトルは忘れたが、一作目と同じ世界を舞台にした作品で、敵の捕虜になったが、捕虜交換で戻ってきたのだが、その際、体内に時限爆弾を仕掛けられた男の話だ。
爆弾はいつ爆発するか、まったくわからない。男は故郷に帰ってくるが、友人や家族を道連れにはしたくない。だから、なるべく一人でいる。最初は気が狂いそうなほどの恐怖にどうにかなってしまいそうだったが、ある時点で吹っ切れて、一人で防波堤の上を歩くのが日課になる。そして、ある日、防波堤の上で爆死する。一人ぽっちで。
この作品に影響を与えた気がする本は、グラスの「ブリキの太鼓」、マシスンの「地球最後の男」、クーパーの「アンドロイド」、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、三原順の「はみだしっ子」などだと思う。
浜田省吾の「防波堤の上」は、まだリリースされておらず、聴いていなかった。
コードウェイナー・スミスの「スキャナーに生きがいはない」を含む短編集「鼠と竜のゲーム」もまだ刊行されていなかった。ギブスンの「ニューロマンサー」もまだ書かれていなかった。
三作目はタイトル「オーロラ群生」で、前二作とは、まったく別の惑星の物語だ。
その惑星は、一年のある季節を、毎年、分厚い小惑星帯を潜り抜けることで、天空には全面にオーロラが生じ、流星群がひっきりなしに地上を襲う。そのため人類は、その季節だけ、隕石を避けて地下で生活する。
それだけでなく、この惑星の人類は、絶えざる電磁波を浴びているせいか、非常に特殊な生態系に進化していた。この惑星では、母親が産む一次子は15歳までしか生きない。そして、一次子の体内で育った二次子が、一次子の身体を食い破って産まれる。この二次子が長生きして親となり、また一次子を産むのだ。
科学技術が発達するにつれて、15歳で死んでしまう一次子は、目覚めさせることなく、生体保存カプセルの中で脳を眠らせたまま育てるのが一般的になっている。しかし、自然主義の運動家たちは、一次子にも、たとえ15年であっても生きる権利があると主張し、昔ながらのやり方で、一次子も自分の子として差別することなく育てる夫婦も少数ながらいる。
一次子である主人公の15歳の少年の両親も、そういう進歩的な人々であった。そのため少年は、この街で学校に通い、普通に生活していた唯一の一次子だった。ただ、その事実は、ずっと隠されていたために、彼が自分の寿命が長くないということを知ったのは、二次子が体内でうごめく異物として感じられるようになった数ヶ月前のことだった。
初めは何の冗談かと思った。妹だと思っていた存在が実は姉だったとか意味がわからない。
しかも、周囲の誰もが彼の運命を自然なことだと受け入れているのだ。父親は「お前は、新しく生まれ変わるだけだ」「何も怖いことはない」と言い、妹(姉)は「お兄ちゃんは弟に生まれ変わるんだよね」「普通のことだってお母さんが言ってたよ」と言うが、だったら自分が俺の身になってみろと言いたい。
自分のお腹で蠢いているモノは、エイリアンとしか思えなかった。恐怖と悍ましさに加えて、次第に痛みが激しくなってきた。家族の誰の顔も見たくないから、痛み止めの薬瓶をポケットに入れて外へ出るが、あいにく流星群の季節なので、地下都市から外へ出ることもできない。
唯一、少年の死を受け入れられず、彼の苦しみを無視する周囲の人々への怒りと哀しみを激しく感じてくれたのは少年の恋人だけだった。
少年が手術室に入る日、絶望して自暴自棄になった彼女は、流星群到来直前の地上に出てしまった。
そのことを聞かされた少年は痛みをこらえて、地上の街の拡声器に繋がるマイクを使って彼女に話しかけ、緊急避難用シェルターへと誘導する。
その後、緊急で手術室に運ばれるが、「手間をかけさせやがって」と一次子を人間扱いしない差別的な医師たちの振る舞いに、「俺の息子だぞ、もっと丁寧に敬意を持って扱え!」と、少年の父親が怒りを爆発させる。
妹(姉)も、「お兄ちゃん、死んじゃうの!」と泣いている。少年は「俺は死ぬけど、お前の弟が生まれるから、可愛がってくれよ」と答える。
彼は、初めて、自分のお腹で強烈に暴れる二次子を、自分の一部のように感じられていた。自分は死の間際にありながら、「お前は人生をしっかり生きろよ」と素直に願うことができたのだ。
彼に救われた恋人の少女は、避難シェルターで、落下する無数の隕石と空を埋め尽くすように輝くオーロラの大群生を、涙に濡れた目でじっと見上げていた。
この作品に影響を与えたのではないかと思われる本は、リンドグレーンの「はるかな国の兄弟」、コニイの「ハローサマー、グッドバイ」、ル・グウィンの「風の十二方位」「闇の左手」、ゴドウィンの「冷たい方程式」などだと思う。
ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやり方」は、まだ書かれていなかった。
この三つの短編を高校受験直前に書き上げた後、今に至るまで私は一度も小説を書いたことはない。
だから、この三つの作品は、当時の私にとって、何としても書かねばならないものだったのだろうと考えざるを得ない。
ネイサンの名作「ジェニーの肖像」の冒頭に、「芸術家は、遅かれ早かれ神の前に立って『お前は何者か?』『お前は何のために生きるのか?』という問いに向き合わざるを得なくなるが、その時、答えられなければ、胸が潰れて死んでしまうのだ」というような意味の文章があって、当時、とても強い印象を受けていたこともある。
別に私は芸術家ではないが、人生という唯一無二のキャンバスに、自分の絵を描くという意味では、人は皆、芸術家だと思う。
当時、私の精神は15歳の壁に向き合っていて、その壁を乗り越えるために、上記の三作を言語化することが必要だったのだ。
私にとっては、受験勉強より、これらの小説を書く方が、はるかに重要度が高かった。私は直感的には、そのことを理解していた。けれども、具体的には、何のために書いているのか、何の役に立つのか、まったくわからなかった。しかも、受験校は、地域の進学校で、先生からは「君は安全圏にいるわけじゃない」と言われていた。それでも、私は受験直前の冬休みに小説の完成に向けて精神を集中した。そして、無意識の領域に蠢いていた何ものかを言語化することで、自らの内的な抑圧・危機を昇華したのだと思う。そうすることで、私は、自分の人生の方向性を朧げながらに定めたのだ。
それは、ちょうどスティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学で行った演説で言っていることと同じではないかと思う。
「将来、何が自分の役に立つのか、知ることはできない。後になって振り返ると、過去の点と点を結ぶ線が見えるようになるだけだ。だから、これがお前の役に立つとか、お前のためだというような、あらゆるドグマに惑わされるな。自分を他人にコントロールさせるな。自分の直感を信じろ。」
私はそうしたし、そうしなければ、今の自分はなかったと思う。
私は職業として、文筆家・著作家・小説家になったわけではない。では、今の自分ではいられなかったら、どうなっていたというのか、疑問に思う人もいるだろう。
15歳の当時、私は大人も子供も、他人も家族も、すべてひっくるめて、人間というものを信じることができなかった。同時に、自分の人間性についても大きな欠如を感じていた。他者への共感力に乏しく、人を愛することができない。私は自分をそのような愛情のない人間と感じていた。
ベートーヴェンの第九で、「たった一人の心通わす友もいない者は、うつむいて、ここから去るがよい」と喜びの輪から爪弾きにされる人間失格者と自分のことを思っていたのだ。
実際、小説の内容も、重く暗い。前半二作は夢も希望もない絶望的ディストピアの物語で、最後の一作は、超理不尽なオメラスのような話だ。
どうしたら自分は幸せになれるのだろう?
そのためには自分の精神を何とかしなければならないが、そもそも、そんなことが、この世界で可能なのか?
私の悩みはそういうものだった。それに比べれば、受験勉強など、個人的には、どうでもいい軽い問題に過ぎなかったのだ。
だから、合格した時、仕事を放り出して帰宅した父親に、モノも言わずに、いきなり抱き上げられたのにはビックリした。「おまえ、重くなったな!」って父親もビックリしていたけど、中3だよ、そりゃ重いよ。
ところで、私の壁は15歳の壁だけでは終わらなかった。大学で上京した後、25歳の壁にぶち当たった。
この世界で自分は何をして生きていけばいいのか、自分が何の役に立つのか、そもそも、自分はここで生きていきたいのか、生きていけるのか。
私は自分が生きていける気がしなかった。出口のない穴の中にいるような気がした。
私は、すべてを捨てて、東京を離れて、行くあてもなく放浪した。
屋根が欲しくて入ったデパートの中、電気ショップで、なぜか浜田省吾の「誰がために鐘は鳴る」が流れていた。「夏の終り」が心に沁みた。
私は数時間、この電気店をウロウロしていたのだが、その間、「誰がために鐘は鳴る」がヘビーローテーションしていた。店長さんがよほど好きだったのかもしれない。私は繰り返し「夏の終り」を聴いた。
「もう誰の心も引き裂くことなんかない、手に入れたものみんな失ったって構わない、汐風と波の音を枕に1人暮らそう。」
幸い、運命的な出会いがあって、自分はその危機を乗り越えることができた。
25歳というのは、藤井聡太さんも言っていたが、疲れ知らずの体力と頭脳、活力と精神力にあふれた生物学的にピークの時期なのだと思う。そのピークの時点で、いかに生きるか、答えを見出せなければ、ネイサンが言うように、胸が潰れてしまうのだと思う。
そうなってしまっていれば、私も「27クラブ」に入っていたかもしれない。
尾崎豊は後輩というか年下なのだが、26歳で亡くなった時、彼は壁を越えきれなかったのかなと感じた。そして、それまで一度もちゃんと聴いたことがなかったのだが、尾崎豊の「誕生」を買って聴いてみた。
「ロザーナ」が、とても良い曲だった。
今の伴侶と出会って一緒に暮らし始めていた私にとっては、深く共感できる歌だった。