プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニアさんが8月4日に亡くなりました。享年85歳です。

お兄さんのドリーとタッグ・チーム〝ザ・ファンクス〟を組んでいた弟のテリー・ファンクは、2023年79歳で亡くなっています。

二人ともNWA世界チャンピオンになったことがあり、アメリカのトップ・レスラーとして一時代を築きました。


ドリーがNWA世界チャンピオンとして、世界の強豪と闘い始めた年は1969年でした。この年、7月にカナダのカルガリーで、全盛期のビル・ロビンソンと四連戦を行い、その激闘を通じて、ビル・ロビンソンのダブル・アーム・スープレックス(人間風車)、サイド・スープレックスを盗み、エルボー・スマッシュを研ぎ澄ませました。

そして、その年の11月、ドリーは初来日し、アントニオ猪木、ジャイアント馬場と連戦を行い、両試合とも60分フルタイムを戦って引き分けるという伝説の名試合を行っています。

伝家の宝刀スピニング・トゥ・ホールド、テキサスブロンコ・スープレックスなど技のキレ、無尽蔵のスタミナが印象付けられました。


翌1970年からはテリーも一緒にザ・ファンクスとして来日し、翌1971年にかけて、ジャイアント馬場&アントニオ猪木のBI砲と2戦行い、1戦目は敗北しましたが、2戦目ではBI砲を破り、インター・ナショナル・タッグ王座を奪取しています。

その後、馬場は全日本プロレス、猪木は新日本プロレスと団体が分かれたため、結局、この試合はBI砲の最後のタッグマッチとなりました。

1977年、全日本マットで、アブドーラ・ザ・ブッチャー&シーク組が、ザ・ファンクスを猛襲し、試合中、ブッチャーはタイツに忍ばせていたフォークでテリーの右腕を滅多刺しにするという凶行に及びました。しかし、テリーは、そのまま試合を続行し、左ストレートのナックルパンチをブッチャーとシークに連打して、孤軍奮闘していた兄を救います。

試合はザ・ファンクスの反則勝ちでしたが、その時、ファンクスのテーマ曲「スピニング・トゥ・ホールド」が流れ、観客は熱狂しました。

この時のテリーの兄想いの捨て身の反撃は、伝説的シーンとして当時の多くのファンの心に刻まれています。


ドリーの弟子として、ダブル・アーム・スープレックス、サイド・スープレックス、エルボー・スマッシュを直伝されたのがジャンボ鶴田です。

また、1982年の夏、テリーがドリーとのスパーリング中に編み出した技がテキサス・クローバー・ホールドです。

天龍は、テリーにこの技は使うなと言われていたのですが、つい使ってしまい、結局、使い手として認められたというエピソードがあります。


ともかく、プロレス史に残る偉大なレスラーが、また一人、鬼籍に入りました。