「孫悟空は日本で生まれた」の意味は、世界的に有名な漫画「ドラゴンボール」の主人公孫悟空の生みの親は日本人の鳥山明氏だとか、そういうことが言いたいわけではない。

そうではなく、もともとの孫悟空の物語である「西遊記」の話である。


西遊記は、「16世紀末、明代後期に呉承恩が、それまで長い年月をかけて伝承されてきた講談や演劇を編集して一冊の長い物語とした」とされる中国三大奇書の一つである。

この文学作品の主人公が、如意棒を持ち、金斗雲に乗る孫悟空という妖怪猿なのだが、この妖猿はどこで生まれたのだろうか。


西遊記では、東勝神州という東の果ての大陸の海岸部にある傲来国の先の海に浮かぶ孤島にある花果山の山頂にある仙石が割れて、石の卵が生まれ、その卵が割れて、中から飛び出した石猿が、後の孫悟空であったと記されている。

花果山は、四季を通じて美しい花が咲き誇り、果実が実る美しい島にあり、山には巨大な滝があり、猿たちが飢えることなく幸せに暮らす幸せの島(桃源郷?)にある霊山である。

さらに花果山は、世界の大地のあらゆる山脈をつなぐ竜脈の中心であり、仙人の住む三つの聖なる島へ大地のエネルギーを送り出している源流である。

花果山の山頂には、天地開闢以来、何億年もかけて、太陽、月、宇宙の陰陽五行の霊気を吸収し続けた仙石があった。この霊気が極限まで溜まった時、仙石がばかっと割れて石の卵が姿を現し、その石卵に風があたった瞬間、まばゆい光を放って卵の中から石の猿が飛び出してきたのだ。

その後、石猿は、山の猿たちの王となり、楽しく暮らしていたが、ある時、どんなに楽しい日々も、いずれは終わってしまうという世の無常を儚み、死んでしまえばすべては終わりだと嘆いて、はらはらと涙を流す。

そして、不老不死を目指して仙人に教えを乞うために石猿は筏に乗って旅に出る。

その後、いろいろあって、三蔵法師と共に、仏教の教えを学ぶために、西域(天竺・インド・ガンダーラ)へと長い冒険の旅をして、中国(長安・大興善寺)へとサンスクリット語の仏教経典を大量にもたらした。


この物語について考えると、孫悟空が石猿として生まれた孤島は日本列島であり、花果山は、日本アルプスから富士山にかけての山々ではないかと推測される。

理由は四つある。


①地殻構造から考えて、日本列島は、ユーラシアプレートと北米プレートという二つの大陸プレートの下に、太平洋プレートとフィリピン海プレートという二つの海洋プレートが潜り込むという、四つのプレートがぶつかり合う、世界的にも唯一無二の構造を持つ、大地のエネルギーが集中する島々である。

四つのプレートの連結点は、フォッサマグナ(糸魚川-静岡構造線)であり、日本列島をブーメラン型に折り込む強大な力がかかっており、その力によって日本アルプスや富士山が生まれている。つまり、富士山は、地球上の巨大な地脈である環太平洋造山帯の北端にあって、プレート同士の圧力がひしめき合っている、世界的にも稀なエネルギー集積地であり、地震・火山地帯である。

この地学的事実が、世界の龍脈の中心という西遊記の記述と一致する。


②日本列島は南北に細長く、亜寒帯の北海道から亜熱帯の沖縄まで、四季を通じて花が咲き、果実が実る上に、猿が生息する北限の地であるという事実が、西遊記の花果山のある東の果ての孤島に関する、四季を通じて花が咲き、果実が実り、猿が飢えないという記述と一致する。


③10世紀頃、成立した「竹取物語」の記述には、かぐや姫が帝に残した不老不死の妙薬を、帝が富士山の山頂で焚き上げしたが、その煙が尽きることがなく、それ以降、不死山と呼ばれるようになったとある。

これは「西遊記」で、石猿が不老不死を求めて仙人の教えを乞いに旅立ち、その後、仙桃を食べて、不老不死となって花果山に帰ってくるという記述と重なる部分がある。


④「東の海の果てに蓬莱という孤島の理想郷がある」という中国古来の言い伝えがある。これは蓬莱🟰日本と捉えるべきである。そして、この蓬莱伝説に見られるような、当時の中国人の日本への憧れが、西遊記の成立に影響を及ぼした可能性がある。

蓬莱は、金銀が豊富で不老不死の妙薬が湧き出る土地で、仙人や神々が住まう東の海の孤島である。その意味では、不老不死となって斉天大聖を名乗った石猿やかぐや姫の不死の山の話とも繋がってくる。


さらに、「孫悟空が、三蔵法師と共に西域へ向かい、西域で仏教の教典(教え)を授かって帰ってくる」という「西遊記」の物語の大筋には、「東の果ての霊山を旅立った東の仙人が、西域の霊山で新たな知恵を授かって、再び東の霊山に帰ってくる」という歴史上の大きな物語が隠れているとも考えられる。

上記の「『西遊記』は、日本と西域という二大パワースポットを結ぶ旅の話である」とする推論を検証する上で、この仮説を支える三つの論拠がある。


①「西遊記」は、東の果ての霊山に生まれた荒ぶるエネルギーそのものである孫悟空が、西の果ての霊山を目指す三蔵法師と出会い、その旅を通じて仏教の教えを学び、自分自身の生命力を正しい方向へと昇華させる。つまり、東のエネルギーが西の知恵によって調和される物語である。

しかし、この物語には後日譚がある。長安に戻った三蔵法師は、大興善寺で大量に持ち帰った経典の漢訳に明け暮れる。玄奘が亡くなって140年経って、空海が唐に留学生としてやってきて、当時の大興善寺の最高指導者である恵果阿闍梨に弟子入りし、玄奘の伝えた仏教の秘伝の教え(密教)を、直接伝えられる。

玄奘が西から持ち帰った仏教の真髄は、空海によって東へ持ち帰られた。そして、帰国後、空海は、高野山という霊山に寺を開き、玄奘が西から持ち帰った知恵は、東の日本で永遠の生命力を得ることになったのである。


②Y染色体ハプログループで考えると、現在、東の島々(日本列島)の霊山(高野山・比叡山など)に密教が継承されている「東の仏教国」にはD1a2が生存し、西域の霊山(チベット)に密教が継承されている「西の仏教国」にはD1a1が生存している。

D系統は、伝統重視の超保守的な定住者で、変化と争いを嫌う平和主義者である。

加えて、インドのアンダーマン諸島の小島に生存する数百人を除けば、D系統の生存者の99.999%が、東の果ての日本と西の険しい高地チベットに、大陸を席巻・支配するO系統に分断されながら、現在、奇跡的に生存している。

この遺伝学最大の謎のひとつとされる、二つの孤島のように孤立して分布するD系統文化圏を、精神的に結びつけたのが「西遊記」の旅ではないかと考えることができる。


③縄文時代、亜熱帯ジャングルのある沖縄から北海道まで縄文文化は広がり、定住・受容・調和を志向するD1a2は、臨機応変、好奇心旺盛な冒険遺伝子C1a1と常に一定割合で共存していた。この二つの民族は1万年以上にわたって、対立や離反することなく、ひとつの縄文コミュニティーとして、融合・共生が深まっていったと考えられる。

この平和と調和と共生を特徴とし、土偶や火焔式土器に代表されるように、大地の女神に象徴される精霊信仰をもって荒ぶる自然のエネルギーと共に生きる縄文文化圏こそが花果山であると推測できる。

なぜなら、C1a1とD1a2が生き残ったのは、世界の中で縄文文化圏(日本列島)だけだからだ。

日本こそが不死の島であると言える論拠である。

また、孫悟空が、C1a1の溢れるエネルギーと冒険心を携えて、西域や天竺へと大海原や大陸を旅して、最終的にD系統の静的なエネルギーと調和していくという「西遊記」のストーリーとも重なり合う。


このように考えると、「西遊記」は、古代に共通の根を持ち、ユーラシア大陸の東の果ての霊山「日本」と西域の霊山「チベット」に分かれたD系統の血脈が、精神と生命の循環によって再び結び直されるという人類学的なオデッセイとして捉え直すことができる。

以上の理由から、孫悟空は日本で、しかも富士山頂で生まれたという推測が成り立つ。


結論。孫悟空は日本で生まれたのだ。