人は、文学・小説・物語を、いったい何のために読むのだろうか。
学術書や思想書やノンフィクション・ドキュメントなどと違って、少なくとも、知識や教養を増やすために読むのではない。教科書や参考書や辞書などと違って、勉強や受験のために読むのでもないし、エッセイや新書などと違って、何かの知恵や技術や発想を得るために読むのでもない。
一言で言うなら、文学・小説・物語は、楽しむために読むのだと言えるだろう。
しかし、物語の読書を好まない人の中には、「楽しむと言っても、いったい何を楽しむのか?」と疑問に思う人もいるだろう。
物語を読む時、人は何を楽しむのだろうか。
それは、端的に言えば「ここではないどこか別の世界で、別の人生を生きること」を楽しむのだと言えるのではないだろうか。
今流行りの言葉で言うなら、異世界転生や転移を楽しむのである。
①すべての読書は、異世界転生である。
「誰も知らない小さな国(佐藤さとる/1959)」という名作がある。私が、小学校1年生の時、初めて、読んでいて時間を忘れた本だ。学校の小さな図書室でひとりぼっちで読み始めた。読み終わった時、日がとっぷり暮れていた。びっくりした。読んでいる間、私は別世界にいたのだ。私の最初の異世界転生の体験である。
②親のいない子になる
「家なき子(マロー/1878)」で、私は初めて親のない子になった。親だけではない。家もないし、兄弟も親戚もいないのだ。引き取ってくれた旅芸人のおじいさんとの旅は、とてつもない冒険だった。冒険なんだけど、その旅が日常生活なのだ。実に得難い体験だった。
「小公女(バーネット/1887)福音館」では、孤児として、もっとつらい生活を体験した。意地悪で冷酷なミンチン先生に虐め抜かれて、それでも空想の世界で楽しみを見つけて自分を保つセーラと一緒に、私も地獄を潜り抜けた。
「黒い兄弟(リザ・テツナー(1940)」では、初めて実の親に売られた。それでも、親に売られた仲間も誰も親を恨んだりしていなかった。家畜同様の扱いを受けながら、それでも、心が通じるヤツはいる。ハードボイルドの社会を初めて体験した。
③ピンとキリを体験する
「王子と乞食(マーク・トウェイン/1881)」では、大英帝国の王子の生活とロンドンの貧民窟の乞食の生活を、同時に体験した。
「モンテ・クリスト伯(デュマ/1844)」では、貧しい船乗りと囚人と億万長者の貴族を体験した。
こうして私は、世の中のピン(頂点)とキリ(最下層)の世界の両方を知ったのだ。
「王のしるし(サトクリフ/1965)」では、コロッセオの剣闘士(奴隷)からケルト(ピクト人)の王になった。奴隷から王、しかも偽王だ。劇的な人生である。さまざまな激動を乗り越えた末に、最後に真の王となれた時、はたして私はそれを本人として体験できたのかどうか、怪しいのだが…。※ハインラインのヒューゴー賞受賞長編「ダブル・スター」にインスパイアされて書き上げた傑作。
④人間以外のものになる
「ピノッキオの冒険(コッローディ/1883)福音館」では、ゼペットじいさんにつくられた木の人形になった。でも、なぜかゼペットじいさんは、本当の親より僕を大切にしてくれた。それなのに僕は、じいさんを置いて旅に出てしまった。本当の人間の子どもになるために。
「バンビ(ザルテン/1923)」では、森の中で鹿として生まれた。子鹿として、森の生活に浮かれてはしゃいでいたが、なぜか、現実の父親やお祖父ちゃんより、いかめしい堂々とした雄鹿が現れて、「落ち着きがない」とたしなめられた。かっこいい威厳ある立派な雄鹿だった。
「冒険者たち ガンバと十五ひきの仲間(斎藤惇夫/1972)」では、ネズミの世界で、人間でも滅多に体験しないような過酷な冒険をすることになった。しかも、理由は引っ込みがつかなくなったから…。ちょっとヤバかった。
「さすらいのジェニー(ギャリコ/1950)」では、猫になってしまう。死ぬほどお腹が減っていた時、雌猫のジェニーが取ってきたネズミを食べたのだが、これが美味いというのが、ちょっと信じられなかった…。
⑤初めて銃を撃つ
「宝島(スティーブンソン/1883)福音館」では、大人に混じって、初めて銃を撃つことになった。海賊シルバーたちと戦って生き残るためにはやむを得ないのだ。
「二年間の休暇(ヴェルヌ/1888)福音館」では、ヤバい大人たちから仲間たちを守りために銃を撃った。人を殺した。やらなければやられる。無人島には警察はいないのだから。
「モヒカン族の最後(クーパー/1926)福音館」では、滅びゆくネイティブ・アメリカンの誇り高いモヒカン族の最後の勇姿に哀愁を感じた。
⑥子どもだけの世界へ行く
「ピーターパン(バリー/1911)福音館」では、ウェンディは親を恋しく思うが、ピーターは「親なんてつまらないものは、僕は必要ないんだ」と言う。読み終わって、私はどちらだろうと迷ってしまった。
「オズの魔法使い(ボーム/1900)福音館」では、勇気とは何か、知恵とは何か、ハートとは何かを考えさせられた。
「不思議の国のアリス(ルイス・キャロル/1865)福音館」では、どこまでも落下する穴がすごかった。途中で棚のマーマレードの瓶を取ったりするのもテクニックがいるよなあと考えてしまった。
⑦宇宙へ行く
「大宇宙の少年(ハインライン/1958)」では、初めてホンモノの宇宙服に身を包み、月世界を歩いた。それどころか、極寒の冥王星まで宇宙服で歩いて凍死しかかった。まさに命懸けだった。※ハインラインの最高傑作。
「都市と星(クラーク/1956)」では、はるか未来の都市ダイアスパーから、たった一人で旅立ち、宇宙にまで飛び出した。とてつもない冒険だった。※クラークの最高傑作。
「星の海に魂の帆をかけた女(コードウェイナー・スミス/1960)」では、光子帆船をたった1人で操縦するパイロットとして、40年の実際の航行時間を1カ月の主観時間に縮める処置を受け、ブリッジで立ったまま飲まず食べず眠らずに操縦を続けられる処置を施されて、星の海に旅立つ女性船長ヘレンの物語。
⑧死後の世界へ行く
「はるかな国の兄弟(リンドグレーン/1973)」では、私は初めて死んだ。お母さんを残して。優しい兄のヨナタンが待っていることを信じて。ヨナタンに会えて嬉しかったな。
「ナルニア国物語(ルイス/1950)」では、私は初めて神に出会った。父なる神の子であるライオンに。でも、私にとってはアスランは、父なる神そのものだった。
⑨過去の世界へ行く
「アーサー王宮廷のヤンキー(マーク・トウェイン/1889)」では、中世のイギリスで、19世紀末のアメリカ人が、当時の科学の知識で魔法を起こして危機を乗り越えていく。発想にしびれた。
「ふりだしに戻る(フィニイ/1970)」では、90年前のニューヨークへタイムスリップする。過去の世界の素晴らしさにときめきが止まらなかった。
「トムは真夜中の庭で(ピアス/1958)」では、不思議な過去の庭へ迷い込んだ。過去は過去なんだけど、少し幻想的な過去との出逢いだ。
「時の旅人(アトリー/1932)」では、300年前の荘園に迷い込み、スコットランド女王メアリーの救出を計る貴族の陰謀に触れる。館の中で現代と過去の境界の薄さが幻想的で、まるで夢の中にいるようだった。
⑩剣と槍と弓で戦う世界へ行く
「剣と絵筆(ピカード/1981)」では、剣で身を立てるのか、絵で身を立てるのか、最後の最後まで迷い続ける。決め手となったのは、どちらが自分にとって幸福かだ。自分の幸せとは何か、深く考えるきっかけとなった。
「太陽の戦士(サトクリフ/1957)」では、独りでオオカミを殺せない者は一族として認められない。右腕が使えない少年がどうやって試練を乗り越えるか、絶望と孤独の後のどんでん返しが救いだった。
「ともしびをかかげて(サトクリフ/1959)」では、ローマ帝国の撤収で、故郷ブリテン島を離れなければならなくなったローマ軍の青年指揮官アクイラが、悩んだ末に軍を脱走してブリテン島に残ったが、アングロ・サクソンの侵攻で父は殺され、妹は連れ去られ、自分も奴隷にされてしまう。そこから激動の人生が始まる。ものすごく過酷な人生を生きた気分になった。
「ドン・キホーテ(セルバンテス/1615)」では、時代遅れの騎士道に憧れるおじいさんが、胸に燃え上がるロマン(厨二病?)に導かれるままに、遍歴の旅を続ける。彼は狂人か、それとも、狂った世界で唯一の正しき人なのか。「起きて、夢見よ!」は生き方として成り立つのか…。
⑪妖精の世界へ行く
「風の妖精たち(ド・モーガン/1900)」では、さまざまな精霊が人間を助けたり、深い忠告を与えたり、滅ぼしたりする。精霊の世界は純粋で変わらない。変わるのは人間の心だ。「親は子どもの幸せ以上のものを求めるようになる」という雨の乙女に出てくる妖精の忠告が強い印象に残った。
「石の花(バジョーフ/1939)」では、妖精の女王さまに恋する話がたくさん出てくる。永遠の時を生きる妖精の女王さまに人間の恋は決して実らない。それなのに、その妖精の女王さまの誰も届かない心の深いところに、人の本当の幸せというものが隠されているんだ。
「トルストイ民話集(1881〜86)」では、ヤバい話がたくさん出てくる。例えば「人は何で生きるか」を読んだら、とりあえず漠然とした将来のためにいい学校に入るためにやる受験勉強がいかに無駄かわかる。そして、「人にはどれほどの土地が必要か」を読めば、本人の肥大した欲望が人を殺す業の深さが恐怖を伴って実感できる。
⑫魔法の世界へ行く
「魔法のベッド(ノートン/1957)」では、初めて魔女というものに出会った。それも定番のお婆さんの悪い魔女じゃなくて、謎めいた、一見普通の女性だ。でも、彼女のベッドは空を飛ぶんだよね。
「魔女とふたりのケイト(ブリッグズ/1979)」では、なんと主人公のお母さんが魔女で、しかも、再婚した夫と夫の連れ子を始末して、すべて娘に遺産を継がせたいという困った母親愛のある〝悪い魔女〟なのだ。そこから、主人公と母親との対決が始まる。
「クラバート(プロイスラー/1971)」では、魔法の学校に通うことになる。ただ、この学校は、ハリーポッターの魔法の学校とは違って、悪魔に支配された相当にヤバい学校だ。ここから、どうやって脱出するかが物語のテーマとなる。
「忘れ川をこえた子どもたち(グリーぺ/1964)」では、ついに世の中の歪みを正す、真の魔女に出会うことができた。魔女とは、内なる世界の専門家なんだなと気づかされる一編。
⑬内なる世界の戦いへおもむく
「モモ(エンデ/1973)」では、時間どろぼうと戦う。モモは親のいないホームレスの女の子だが、友だちはいっぱいいる。お金は持っていないが、時間だけはたっぷり持っている。モモと一緒に、不思議な世界を潜っていく旅。
「ゲド戦記 影との戦い(ル・グウィン/1968)」では、もう一つの魔法学校へと通った。今度こそ、ホンモノの素晴らしい魔法学校だった。なのに、そこでもヤバいことが起こってしまう。自分の影が、影の世界からこの世界へ出てきてしまうのだ。地球とはまったく別の惑星世界で、魔法使いゲドと一緒に、影を追いかける旅。
「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕(ディック/1965)」では、地球温暖化が進行し、人類が他惑星に強制移住させられた世界では、過酷な環境に絶望した入植者がドラックにはまりがちである。そこに、大富豪パーマー・エルドリッチがまったく新しい強力なドラックを持ち込む。このドラックを投与された者は現実と幻覚の境界が消滅した世界に突き落とされ、ドラックの効果は永続的に続く。悪夢から覚めたと思っても、実はそこも幻覚の世界の一部であり、決して逃れることはできない。それでもドラックに侵された主人公レオはこう言う。「つまり、こうなんだ。人間が塵から作られたことを忘れてはならない。その惨めな出だしの割には人間はまずまずうまくやってきた。だから、今、直面しているひどい状況も、きっと切り抜けられるはずだ。」悪夢と絶望の書でありながら、希望の書でもある名著。
⑭未知の世界へ
「海底二万里(ヴェルヌ/1869)福音館」では、謎めいたネモ船長の潜水艦ノーチラス号で、神秘的な深海の世界へと案内される。
「ジャングル・ブック(キップリング/1894)福音館」では、オオカミに育てられた少年モーグリとして、大好きな黒豹のバギーラたちとジャングルの中で生きる。
「緑の少女(トムスン/1995)」では、未知の緑の惑星で致死性の重篤なアレルギー反応で瀕死の重体になった地球人の異星調査チームの最後の生き残りである女性生物学者のジュナは、皮膚の色で会話をする両生類型の知的生命体テンドゥに、環境に適応できるように彼らと同じ身体に変態改造され、命を救われる。意識を取り戻したジュナは、人類の精神を持ちながらテンドゥの身体で、彼らの社会や生態系や関係性を学んでいく。ファースト・コンタクト・ストーリーの傑作。
⑮素晴らしい夏休みを過ごす
「トム・ソーヤーの冒険(マーク・トウェイン/1876)福音館」では、ホームレスの少年ハックたちと素晴らしい冒険を繰り広げる。洞窟の中に迷い込んでスリリングな体験もする。
「ハイジ(スピリ/1880)福音館」では、アルプスの山の雄大な自然の中で、おじいさんの山小屋で暮らす。夜は満天の星空を見ながら眠るのだ。
「海へ出るつもりじゃなかった(アーサー・ランサム/1937)」では、知り合いになった若者のヨット〝ゴブリン号〟の係留中に、留守番で乗り込んでいたツバメ号の兄弟姉妹四人組が眠っている間に、霧に巻かれて錨を失い、強風に流されて河口から外海へ出てしまった。それから、四人組のサバイバルが始まる。
「思い出のマーニー(ロビンソン/1967)」では、心の中に鬱屈と葛藤を抱えながら、学校も行かずに、田舎町で長い夏休みを過ごしている。そこで、アンナはマーニーに出逢う。それから、素晴らしい夏休みが始まる。
⑯天才になる
「アトムの子ら(シラス/1953)」では、精神科医ピーターが、天才少年ティムに出会う。ピーターは、ティムの信頼を得るにつれて、ティムの秘密を少しづつ見せてもらえるようになる。天才少年の秘密の生活を見せてもらう。
「アルジャーノンに花束を(キイス/1966)」では、知能指数70の〝うすのろ〟から、手術によって天才へと生まれ変わる。幸せな〝うすのろ〟から不幸な天才へと。
⑰超人になってみたが、つらい
「闘士(ワイリー/1930)」では、主人公の生き様を共に歩んで、スーパーマンはとても孤独でつらいということが、身に沁みてわかった。
「人間以上(スタージョン/1953)では、異能を持つ奇形児集団の一員となって、世の中から無能と見られ、気味が悪いと排斥される中で、仲間を支える献身的愛情に救われた。
⑱ここは、ユートピアか、ディストピアか
「蝿の王(ゴールディング/1954)」では、南洋の無人島に不時着した旅客機で生き残ったのは、同じ男子校の小学生と中学生の男の子たちだけだった。そこから子どもたちの共同生活が始まった。しかし、その生活は、長くは続かず、子どもたちは、激しい対立をするようになるのだった。※元祖バトルロワイヤルの世界。
「1984年(オーウェル/1949)」では、〝偉大なる兄弟〟の支配する独裁国家で、自由と愛に目覚めたレジスタンスの若者たちの活動が始まった。しかし、やがて、その活動は当局に知られ、徹底的に潰されることになる。※読んでいて受けたショックの大きさトップランクの物語。
「オメラスから歩み去る人々(ル・グウィン/1973)」では、たった一人の子どもの犠牲を代償に永遠の繁栄を続ける幸せの都オメラスから歩み去る人々について語る。ほんの数ページで人生の道を指し示してくれた作品。※伝説的な名作短編。
「ライアへの讃歌(マーティン/1974)」では、テレパシー能力を持つロブとライアの恋人同士が、調査に来た惑星で、意識の完全な融合を求めて巨大寄生生物に人々が進んで取り込まれていく事件に出会った。寄生された人は、巨大な幸福感と愛に包まれて、徐々に飲み込まれていくのだ。ライアは、この寄生に激しく惹かれ、自ら巨大生物に入ってしまう。ロブは、ライアに寄生状態に参加するように呼び掛けられるが、彼はライアに合流する気にはならず、独りで、この星を後にする。中編ながら、いかに生きるかの指針となった物語。※屈指の傑作中編。
⑲別世界を旅する
「風のような物語・はるかに遠い場所(ポスト/1974)」では、アフリカの大自然の中を、開拓地の壊滅で家族を失い、友人のブッシュマンのカップルに助けられた白人の少年フランソワと少女ノンニが、四人でカラハリ砂漠を逃避行していく。自分自身の生き方を予言するような雄大な魂の旅路の物語。
「所有せざる人々(ル・グウィン/1974)」では、ウラスという豊かな自然と資源に恵まれ、資本主義社会が高度に発達した惑星をめぐる、アナレスという荒涼とした砂漠の月(二連星の惑星)を開拓した無政府主義者たち(オードー主義者)が、私有財産制を否定し、所有の概念を捨てた人々が、新しい社会を築いている。このアナレスの天才物理学者シェゲェックが、数百年ぶりに母星ウラスへと旅立つ。痛みを共有することの大切さを教えてくれた物語。
「地上の旅人エイラ(アウル/1980〜2011)」では、三万五千年前、氷河期のユーラシア大陸で、地震で両親を失い、ネアンデルタール人の部族に育てられたクロマニヨン人の少女エイラが大陸を旅する壮大な物語。
⑳時空を超える旅
「ジェニーの肖像(ネイサン/1939)」では、1934年の冬、ニューヨークで、無名の売れない若い画家イーベンが、鬱屈した心を抱えて、夕暮れの凍てつくセントラル・パークを、独り歩いていた。イーベンは、そこで一人遊びをしている奇妙な少女ジェニーに出会った。ジェニーは調子外れの声で奇妙な歌を歌う。「何処から来たのか、誰も知らない、何処へいくのか、皆行くところ、風は吹き荒び、海は渦巻く、けれど誰も知らない」そして、「大人になるまで待っていて」とイーベンに言うのだった。「お前は何者なのだ」という魂への問いかけに人は答えなければならないという言葉が心の刻まれた。
「高い城の男(ディック/1962)」では、第二次世界大戦で、日本とドイツが勝利し、アメリカを日独が分割統治している世界で、日本が統治する太平洋合衆国が舞台となっている。とは言え、決して、ディストピア小説ではない。世界の破滅を救うために、重要な役割を担う日本人も出てくる。パラレル・ワールドへの最も印象的な旅。
㉑人形たちは語る
「人形の家(ゴッデン/1947)」では、二人の少女から念願のビクトリア朝風の「人形の家」をもらった人形たちが、その家とセットでやってきた高慢で冷酷な美しい花嫁人形のせいで、平和だった人形の家族の調和が乱れ、様々な事件や災いが起こってくる。邪悪というものを体験させてくれた児童書。
「七つの人形の恋物語(ギャリコ/1954)」では、田舎から女優になる夢を抱えてパリに出てきた少女ムーシュが、夢破れてセーヌ川に身を投げようとしていた時、それを止めたのは人形劇の舞台に立った少年の人形だった。それからムーシュは、人形劇の一座の一員として、七つの人形と行動を共にすることになる。極限の心の危機を救うのは無償の愛であることを教えてくれた物語。
㉒神や仏に出会う
「西遊記(呉承恩/16世紀末)福音館」では、東の海の果ての孤島にある、世界の山々の根源にして大地の霊気が充満する花果山の頂上にて、陰陽五行の気を数億年吸収した仙石が割れて石の卵が現れ、さらにその卵が割れて石猿が飛び出した。この石猿は、花果山の猿たちの王となり、猿王国は数百年の繁栄を得たが、石猿は、ある日、この生の喜びも永遠ではないことを哀しみ、永遠に生きられる仙人から不老不死の秘密を得ようと旅に出る。
「青銅の弓(スピア/1961)」では、紀元1世紀、ローマ帝国支配下のパレスチナで、ローマ軍に父親を殺されたユダヤ人の青年ダニエルは、母親の死後、父親が殺される場面を幼い頃に見てしまったショックから家に引きこもって外へ出れなくなった妹の世話をしながら、ローマへの復讐心に燃えていた。地元の村の血気にはやる若者たちによる反ローマの秘密組織をつくり、リーダーとして、ローマ軍への妨害活動などを行なっていたが、その一方で、友人の勧めで、ナザレのイエスという男の話を聞きに行く。
㉓身を捨ててこそ…
「冷たい方程式(ゴドウィン/1954)」では、地球から遠く離れた辺境の植民惑星で流行する致命的な疫病の抗血清を届けるために、あらゆる積載重量をギリギリまで計算して希少な燃料を限界まで削っている乗組員一名の小型緊急輸送船が向かっている。ところが、パイロットは計算にない重量を船内に感知し、辺境惑星の兄に会う為に密航した少女を発見する。地球育ちの少女は、法を破っている自覚はあったが、まさか、自分の余分な重量のために燃料不足で船が地上に激突し、自分とパイロットだけでなく、血清を待っている感染者たちも死んでしまうことなど、まったくわかっていなかった。そのため規則では、「密航者は発見次第、即座に船外へ投棄しなければならない」と定められていたのだ。※SF史上の残る名作短編。
「たった一つの冴えたやり方(ティプトリー・Jr/1985)」では、大富豪の娘コーリイが、16歳の誕生日に両親に買ってもらった個人用宇宙船を、密かに深宇宙探査可能に改造して、内緒で人類未到の領域に向けて冒険旅行に旅立つ。旅の途中、コーリイは、脳に寄生する未知の知的生命体シビルと出会う。脳を共有したコーリイとシビルは親友になるが、幼いシビルが成長するにつれて、シビル本人も知らなかった寄生生命体の本能的衝動が目覚め始める。その本能は「宿主の脳を食い尽くし、狂わせて破壊する」という性衝動だった。シビルは、コーリイの脳を食い尽くすと、大量の胞子を空気中に噴出するので、この宇宙船が人類に発見されると人類滅亡の可能性もあり得ることがコーリイには理解できた。その時、コーリイが考えた〝たった一つの冴えたやり方〟は? ※伝説的名作中編。
㉓アンドロイドは語る
「アンドロイド(クーパー/1958)」では、ロンドン近郊の地下シェルターの冷凍庫に閉じ込められ、150年の冷凍冬眠から覚めたジョンは、核戦争後の人口激減をカバーするため、高度に発達したアンドロイドが看護師や医師として働く病院で目を覚ました。ジョンは、かつての妻そっくりの容姿に作られた最新型アンドロイドのマリオンAを付けられるが、ジョンはマリオンAに感情を目覚めさせる実験を行う。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか(ディック/1968)」では、核戦争後、自然の崩壊した地球での生活を維持するために、火星などの資源を活用するため、アンドロイドを使役していた。しかし、過酷な環境での労働から逃れて、地球に逃げ込み、人間に混じって生活するアンドロイドがいる。彼らの処理を任せられているのが賞金稼ぎのハンターたちで、その1人が主人公のリックだった。ハンターは人間とアンドロイドを識別するのに感情移入テストを行う。アンドロイドには共感能力がないからだ。
「九月は三十日あった(ヤング/1957)」では、旧世代の女性型アンドロイド教師ミス・ジョーンズを、スクラップ置き場から連れてきた主人公が、自分の子供たちに家庭教師として教えさせる。しかしながら道徳的な心の教育を行う未認可の旧式アンドロイドのミス・ジョーンズは、教育効率を乱すものとして取り上げられてしまう。※忘れられない強烈な印象を与える名作短編。
「クラウン・タウンの死婦人(スミス/1964)」では、400年前に亡くなった人間の女性の頭脳の思考回路、記憶、意思を精密にコピーした電子頭脳を持つアンドロイドが、400年にわたる人間社会の観察の結果、人類を救うために、道具として使役するために犬から人工的に人間型に進化させた犬少女の下級民ド・ジョーンに「動物から人間型に進化させられた下級民も、人間と等しく心と魂を持っている」と教える。※人類補完機構の未来史の重要な転換点を描く名作中編。
㉔犯罪・殺人事件に巻き込まれて…
「皮膚の下の頭蓋骨(ジェイムズ/1982)」では、女探偵コーデリアが、不気味な脅迫状に怯える大女優クラリッサから護衛の依頼を受け、孤島の城ビクトリア館で行われる舞台の主演として招かれてたクラリッサについていく。そして、その孤立した逃げ場のない島の中で、殺人事件が起きる。ヴィクトリア美術の陰に潜む絶対的な悪と対峙する。
「レ・ミゼラブル(ユーゴー/1862)」では、飢えた姉の子どもたちを育てるお金を稼ぐために、常に飢えに苛まれていたジャン・バルジャンは、パン屋の心ない決めつけと蔑みに反応して一個のパンを持ち逃げし、捕まって投獄される。牢獄では飢えている姉の子どもたちが心配で脱獄を繰り返したために、重罪人として19年を牢獄で過ごすことになった。釈放後、どこへ行っても犯罪者として差別され、食事も宿泊も拒否される。寒空で空腹のジャン・バルジャンは、夜に教会のドアを叩き、初めて温かく迎え入れられる。それが、彼の運命を変えるミリエル司教との出会いだった。
「罪と罰(ドストエフスキー/1866)」では、「世の中に貢献しうる才能ある自分が経済的危機を脱するためなら殺人も許される」「金貸しで嫌われ者の無価値な老婆を殺しても、それで有能な自分が救われるなら、社会的には、より利があり、善であると言えるはずだ」という思いに取り憑かれた貧しい青年ラスコーリニコフが、殺害決行後、思わぬイレギュラーに動転し、さらに警察にも疑念を抱かれる。そして、心映えの優しい娼婦のソーニャに自首を勧められ、ラスコーリニコフは心理的に追い詰められていく。現代の世界の混沌を見通した予言の書。
「カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー/1880)」では、猜疑心強く、粗野で、好色で、金しか信じない欲望の権化のような男ヒョードルには、三人の息子がいた。長男ドミートリィは、粗暴だが、情に厚く、女性やお金をめぐって父親と激しくぶつかる。次男イワンは理知的で冷静な無神論者で、父親を軽蔑している。三男アリョーシャは、誠実で心優しい見習い僧で、誰からも愛されている。そして、ある夜、父親が殺され、大金が盗まれる事件が起き、長男が逮捕された。しかし、長男は「俺はやっていない!」と言う。はたして犯人は誰なのか。世界文学の頂点を極めた作品。
スティーブ・ジョブズが言うように、何が自分の将来の成功の準備になるか、誰にもわからない。
後になって、あの時のこれは、成功の基礎となったとか、人生の指針となったとか、幸福が訪れる要因となったとか、わかるのであって、将来に向けての準備が実を結ぶ保証などないのである。
だから、「この本を読んだら役に立つ」などと言える人はいない。
私も、上に挙げた七十二冊の本の中に、将来の役に立つと考えて読んだ本など一冊もない。
教養を増やそうとか、知識を増やそうとか、何らかのステイタスのために読んだ本もない。
結果として知識は増え、教養が深まったかもしれないが、何の役にも立たない知識が増えただけだし、自分の教養の厚みなど自分ではそもそも判断できない。
確実に言えることは、読書は国語力を伸ばす唯一の方法ではあるが、それならば文学・小説・物語を読む必要はない。エッセイや新聞や雑誌や新書や論文や学術書で充分だ。
だから、基本的に、文学・小説・物語の読書は、何の役にも立たないけど、なぜか〝いそいそと〟行う行為である。
これまでの人生における私のすべての物語の読書は、ただただ〝読む喜び〟を味わいたくて読んだし、そのために繰り返し何度も読んだ本も多い。
「娯楽として読んだ」と言っても、間違いではない。
ただ、今になってみると、上記の本は、どれも私の人生に大きな影響を与えたことがわかる。ある本は、私の人生の指針となり、また、ある本は、私の人格形成に大きな影響を与えた。
すべて私の魂が欲した養分だったとも感じる。
飢えていたから、その飢えを満たそうとした。それだけのことかもしれない。