作者の意図したテーマとは関係なく、ある曲のテーマが視聴者の解釈によって世間に広く知られることがあります。

それは、作者の意図したテーマではないから、間違った解釈だと言う人もいると思います。

しかし、芸術作品というものは、作者の手を離れて世に出た時から、その解釈は、それぞれの鑑賞者に委ねられるものだと思うのです。そのため、作り手が思いもしなかった意味で作品が解釈されるということは、しばしば起こりますし、むしろ、それこそが、その作品の真価とさえ言えるかもしれません。

特に、上記の二作品については、作者の意図を超えて、より普遍的なテーマを持つに至った作品であると私は考えています。



Men at work は、1980年代前半に世界的な人気を博したオーストラリアのロックバンドです。Overkill(1983)は、ファーストアルバム『Business as usual (1982)』の世界的な大ヒットによって、バンドが爆発的な大成功を手にした直後に発表されたセカンドアルバム『Cargo(1983)』に収録され、シングルカットされた曲です。

この曲の作詞・作曲を手がけたバンドのフロントマン、コリン・ヘイは、この曲のテーマは、当時、彼自身が、バンドの成功によって体験していた「未知の世界へ踏み出すことの不安や、環境の激変による過剰なプレッシャーによって、自分自身のコントロールを喪失する恐怖や危機感から、心拍数上昇、過呼吸、不眠症に悩まされていた状況を歌ったものだと述べています。


しかし、私は、今聴いても「ベトナム帰還兵のPTSD」について歌っているようにしか聴こえません。

1983年当時は、PTSDという概念が世間に周知され始めた時期で、ベトナム帰還兵の心を苦しめるフラッシュ・バックなどの心的外傷が、映画「ディア・ハンター(1978)」、映画「ランボー(1982)」などでもテーマとなり、社会現象として注目され始めていました。

ですから、Overkillを、作詞者の意図した「考え過ぎ」のいみではなく、「過剰殺戮」の意味で曲を聴いても、何ら違和感がなかったのです。

コリン・ヘイ自身が、ベッドの上でのたうち回る不眠症の男を演じるミュージック・ビデオを観ても、ベトナム帰還兵の苦悩を表現していると、私は思い込んでいました。


歌詞から受けるイメージも、私にはPTSDとしか思えませんでした。

I can’t get to sleep …,

Night after night my heart beat shows the fear.

Ghosts appear and fade away.

眠れない。夜毎に、俺の心臓の鼓動は恐怖で激しくなる。幽霊が現れては消えていく。

At least there’s pretty lights and though there’s little variation.

It nullifies the night from overkill.

少なくとも、通りには、種類は少ないけど、かなりの灯りがある。それは、殺し過ぎた記憶に悩まされる夜の闇を消してくれる。


自分の胸の鼓動のせいで、ベッドで眠れず、夜の街をさまよう男は、夜毎に暗闇に現れる戦場で殺した兵士たちの幽霊に悩まされている。それでも、街には灯りがあるからまだマシだ。わかっている。これは殺し過ぎたせいなんだ。幽霊は夜毎に現れ、やがて消えていく。

私には、この曲は、今でもそう聴こえるのです。



Genesis は、1969年にデビューしたイギリスのプログレッシブ・ロックバンドで、ピーター・ガブリエルを中心とするバンドでした。しかし、1975年のピーター・ガブリエル脱退後は、ドラマーでリード・ボーカルのフィル・コリンズ中心となり、ギタリストのスティーブ・ハケット脱退後は、ベースのマイク・ラザフォードがギターを兼任し、キーボードのトニー・バンクスとで3ピース・バンドとなりました。

Mama(1983)は、同年にリリースされた12作目のスタジオ・アルバム『ジェネシス』の1曲目で、最初にシングル・カットされた曲です。

この曲のテーマについて、フィル・コリンズは、「少年が、年上の娼婦に対して抱く、狂気的で歪んだ愛情と強依存性の執着」と述べています。


しかし、私は、今聴いても「堕胎(妊娠中絶)」について歌っているようにしか聴こえません。

当時、この曲のデモテープを初めて聴いたバンドのマネージャー、トミー・スミスが、真っ先に「これは中絶についての曲かい?」とフィルに尋ねています。ネイティブであり、彼らの最も近くにいたマネージャーでさえ、そう感じたのですから、そこから考えても、私が英語のネイティブではないせいで、歌詞を読み間違えて、勝手に意味を取り違えたとは言えないはずです。

この曲の重苦しく冷たいドラム・マシーンのサウンド、そしてボーカルのフィル・コリンズの奇妙な笑い声や叫ぶような歌い方は、作り手の意図を超えて、お腹の中で母親に殺されそうになっている胎児の叫びを連想させる恐怖と哀切のトーンを生んでいます。


歌詞から受けるイメージもそうです。

Can’t you feel my heart?

Now listen to me mama.

You are taking away my last chance.

Don’t take it away.

It’s hot, too hot for me, mama.

My eyes they are burning and I can feel my body shake.

Don’t stop me and make the pain go away.

僕の心臓の鼓動が聴こえないの?ちゃんと聴いてよ、ママ。ママは、僕の最後のチャンスを奪おうとしている。奪わないで。熱い。僕には熱すぎるよ、ママ。僕の目は燃えているんだ。身体が震えているのも感じる。僕を止めないで。痛みを取り除いて。

これは中絶される瞬間の胎児の叫びですよね。


もう一つ、私が感じるのは、フィル・コリンズ自身の存在感そのものに濃厚に感じられる胎児的印象です。幼児的というよりもっと赤児的なイメージ、生と死の境界にいる原初的で胎児的なイメージを、彼自身が纏っているように感じるのです。その存在の醸す性質が、彼自身の鬼気迫る表現力とあいまって、中絶されつつある母胎にある胎児の叫びとしか感じようのない臨場感を生み出している気がします。