女系天皇でいいと思います。
現代の一夫一婦制の下では、男系しか認めないなんて言っていたら、皇統断絶を免れることはできないでしょう。それを、こっそり側女に産ませて皇后が産んだことにするとか、人工的に男子を産むように医学的に操作するとか、なんか違うんじゃないでしょうか。生命への畏敬の念が失われた地で、先祖神への信仰を守る意味があるでしょうか。
かといって、宮家を復活させて、男系の細い血を受け継いでいる養子で固めて、皇位継承者を増やすとか始めたら、そのうち、皇太子も養子でOKになっちゃうんじゃないでしょうか。男系の継承って、そんなんでいいんでしょうか。
加えて、結婚後も、女性皇族は皇族のままで活動してもらうとか、そんなの皇位継承とは関係のない話だし、女性を何だと思っているのか。ともかく、問題の根本的な解決にはならない話ばかりです。
皇室典範を改正しても、今のままでは、ろくな改正にならない気がします。
そもそも、どうして、これほど男系にこだわるのでしょうね。
天皇家は万世一系で男系天皇が続いてきたと、表の皇紀にはあるのでしょうが、実際、裏ではどうだったのでしょう。
卑弥呼や壱与は、当時、連合王国だった大和国家の大王だったと思うのですが、世継ぎは誰だったのでしょう。卑弥呼や壱与の子が次代の大王になった可能性はないのでしょうか。
また、女系ではなく、女性天皇であれば歴史上多くいます。推古天皇、持統天皇、元正天皇、元明天皇などたくさんいます。これらの女性天皇は、夫が亡くなった後、幼い子や孫が天皇になるまでの中継ぎという意味があったと思います。
ただし、聖武天皇と光明皇后の唯一の子として、聖武天皇の後継者として皇太子となり、天皇となった女性がいます。それが孝謙天皇(称徳天皇)です。
さらに元を辿れば、天皇家は太陽神天照大神の子孫とされています。諸外国では太陽神はギリシャ神話のアポロンのように男神であることが多いのですが、天照大神は女神です。
私は、この女神は、縄文時代には主神である大地の女神として崇められていた存在が、大陸から稲作文化と共に太陽神信仰を受容した時、主神である女神が太陽神に変質したのではないかと考えます。そして、女性を指導者とするという縄文由来の母性文化の精神が濃厚だったからこそ、男性の王を立てても国がまとまらず、卑弥呼や壱与といった女王を立てることで、ようやく人心がまとまったのだろうと考えます。
だとするなら、この国の柱たる大王が、男系を伝統とするなどという考えは、春秋戦国時代や南北朝時代以降に日本に入ってきた中国文化の影響であって、我が国のもともとの伝統などではないということになります。
女媧とか武威の禍とか、中国の男尊女卑的な価値観に、縄文の1万年前から続く伝統的な母性文化を、現代まで保っている我が国が、従わなければならないいわれはないのです。
そうであるなら、競争やら効率やら父性文化的価値観の軋轢に軋む人類史上の大激動に見舞われている今日、私たち日本人が、古代回帰の選択をしたとて、さほどおかしなことではないと思います。
現令和天皇・皇后の一粒種である愛子さまを次代の天皇として立太子しても、問題はないのではないでしょうか。
むしろ、秋篠宮家へ皇統が移ることの方が不自然で、後々、災いの種にならないとも限らないと思うのです。
その理由の一つは、皇太子として帝王学を学んで育った令和天皇の下で育つのと、秋篠宮家で育つのとでは、家族文化そのものが異なるだろうということです。
さらに言えば、長女眞子さまの結婚騒動から考えても、秋篠宮家の家庭としての価値観や教育力に、私は疑問を感じずにはいられません。疑問というか、もっと言うと不安を感じます。その不安の中心には、紀子さまのあり方への不安があります。
男系にこだわることは、究極的に言うなら、人工的に男子の受精卵を体外受精させて、男子を産めば良いということになりはしないか、それでも女系天皇を誕生させるよりは良いのか、と考えてしまうのです。
神の子孫であればこそ、子をつくるのは、自然に任せるべきであり、そこを人為に頼るのは、神(自然)への冒涜になるのではないかと。
人為とは、元を辿れば欲の世界であり、俗世の事情ではないでしょうか。男系にこだわり過ぎるのも、人間の側の我であり、都合であると思うのです。
人間が努力で何とかすべき領域と、人間が手を出してはいけない神の領域があるとはソクラテスも述べています。人工的に男子を産むのは、人間が手を出すべきでない領域を冒しているのではないでしょうか。
そんなことをするぐらいなら、自然に女系天皇が継承すべきです。
さもなければ、必ずや、この国に大きな災いをもたらす元凶となるでしょう。
以上、いろいろ考えた末に、思うのです。
次期天皇は愛子さまでいいのではないでしょうか。
人為は天意を越えてはならないのです。