平和丸の船長・乗務員は、救助されるまで、海保に救助要請をしなかった。普通は、すでに定員ギリギリまで生徒を乗せている満員のボートで、海に投げ出されて高波に翻弄されている「不屈」乗船者の助けに向かうよりも、すぐ近くにいる海保に無線で救助を要請するのが先だろうと思うのだが…。
しかし、現実には海保への救助要請は転覆した生徒からの118番通報だった。10時16分、「船が転覆したがどうしたらいいか?」というものだった。(大人は何をしていたのだ!?)
「天井より高い波が襲ってきて、転覆して足にロープが絡まった。それを外して何とか海上に浮き上がると、また天井より高い波がきた。その絶望感わかる?」と子どもに訊かれたと、保護者会で保護者の1人が話していた。
「乗船前、救命胴衣を着用する際に、乗務員も教員も、誰も生徒たちに着用の仕方を指導しなかった。初めて身につける生徒たちの中には、ちゃんと装着できていない者もいた」ということも保護者の話で明らかとなった。
「平和丸」船長も「亡くなった女生徒はきちんと救命胴衣をつけていなかった」と話しているという。
女生徒の救命胴衣が船に引っかかったのも、正しく装着されていなかったせいかもしれない。
救命胴衣が正常に装着されていれば、船体に引っかかることなく、女生徒は助かっていたかもしれないのだ。
また「海上保安庁の船が警告に近づいた時には、保安庁の船と並走になり、ボートは競走するように、かなりのスピードを出していた」ことも生徒からの話として保護者が話している。
「まるで追いかけっこをしているようだね」という生徒の会話があったという。
スピードがあまりに速いので、生徒たちは怖くなってスマホで写真を撮る気にもならず、じっと船に捕まっていたというのだ。
この時、引率教員がいなかった罪は大きい。金井船長に「もっとスピード落として!」と言うことのできる大人が「不屈」には誰も乗っていなかった。
抗議船の船長たちは、別に異常な行動をしているつもりはなく、いつもの洋上活動時のように、〈英雄的勇敢さで〉海保の船を振り切って外洋に出た(予定にはなかった)のではないかと想像する。
しかしながら、波浪注意報発動中に、定員ギリギリまで生徒を乗せて運航している船長の行動としては、「子どもたちの命を守る」という責任感が、かけらも感じられない。
そして、外洋(リーフエッジ)に出たところで高波に襲われて転覆…。
『命どぅ宝』って何ですか?
同志社国際高校側の対応についても疑問がある。保護者説明会で、重傷を負った生徒の保護者が、16日の正午頃に、友達の携帯から、出血が止まらず救急搬送されたと連絡があり、学校にも担任の先生にも連絡したが、事件発生から5時間以上つながらず、直接学校に向かい、安否だけ知りたいと伝えると、12:36、校長含む2名が来て「12:29、死亡が確認されました」と伝えられたが、最初に沖縄の担任から連絡があったのは午後4時半頃で「ケガの詳細(遺体の状態)についてはわからない」と言われたという。その後、子どもが家へ帰ってきてからも、学校からの連絡は一度もなく、連絡が来たのは5日後の金曜日(20日)だという。
ところが、同志社国際高校の校長先生は、この緊急の時期に、保護者に連絡するより前に、木曜日(19日)に、沖縄で女生徒の出棺に立ち会ったついでではあったろうが、玉城デニー知事や「オール沖縄」の議員団に会いに行っているのだ。
よほど緊急に会う必要があったらしい。
被害者の保護者たちに会うより、沖縄に飛んで玉城デニー知事に会う方を優先したのは、校長先生、生徒の命より、政治が大切なのか?
私立学校といえど、公教育に従事する者が政治的中立性を失った教育を行うのは教育基本法第14条二項で禁じられているはずだ。
ご遺族の話では、亡くなった女生徒は「美ら海水族館に行きたいけど、水族館の後に美術館で怖い絵を見るよりは、お友だちと綺麗な珊瑚礁を見る方がいい」と言っていたという。
美ら海水族館へ行くコースは、辺野古を見てから水族館へ行くFコースと、水族館を楽しんでから佐喜眞美術館へ行くGコースしかなかった。
そして、確かに佐喜眞美術館は、左翼系の私設美術館で、戦争の怖い絵が展示の中心。
暗い戦争の絵より青い海と珊瑚礁を見たいとFコースを選んだ女生徒の気持ちはよくわかる。
彼女は辺野古の反対運動に興味や強い思い入れがあったわけではない。普通の若者として、とても自然な選択をしたのだと思う。
彼女の命は、遺族が仰っているように、運動家たちに都合の良い宣伝に利用されるべきものではない。むしろ、同志社国際高校(特に全学年週一で行われる聖書科の授業と研修旅行)の偏向教育を、今こそ問い直すべきだ。
『平和教育』って何ですか?
また同志社国際高校の保護者への説明も肝心の部分で発言がどんどん変わっていく。
24日の2年生保護者説明会では、引率教員が船に乗らなかったのは「体調不良」で、もう1人の教員は、少し離れた場所で居残り組を引率していたため、「先発組の引率教員が当然乗ったものだと思っていた」と話していると説明された。
ところが翌25日の他学年の保護者説明会では、引率教員は「乗り物酔いするから乗らなかった」とされ、もう1人の後発の船に乗るはずだった教員は「乗らなくても大丈夫だと思ったから乗らなかった」と、まったく違う発言をしたことになっている。
さらに2人の引率教員は、ボート出航の時点で、2人とも「波浪注意報が出ていることを知らなかった」という。
加えて、教員たちは去年の夏の沖縄下見でも「誰もボートに乗っていないどころか、辺野古に行ってすらいない」というのだ。それで何を下見して帰ったのか。
例年(2023〜)の修学旅行(研修旅行)でもボートに引率教員が乗らないことはあり、むしろ、「『引率教員はボートに必ず乗らなくてはならない』というわけではない」という認識だったようだ。
『引率責任』って何ですか?
亡くなった女生徒が乗っていた「平和丸」の船長は、「船を出したらダメなわけ?」「決めたのは金井さんで、俺が決めたわけじゃない」「死人起こして訊いたらいいさ」と言っていたとされる人物で、共産党から地方議員選挙に立候補した人物と言われているが、「俺は死のうと思ったんだから」と言いながら、遺族への謝罪などは、まだしていないようだ。
「平和丸」乗組員だった若者は、事故当日、救助直後の高校生たちに、「ここでしか飲めないコーヒーだから飲みな」と言ったとされる人物だが、事故(16日)の翌日(17日)に出された「オール沖縄会議」による反対運動の全面自粛声明を破って、直ぐに翌日(18日)から再開された座り込みに参加し、トラックの前に寝そべるという抗議行為さえ行なっていたという。喪章はつけていても、少女の死に責任ある当事者として喪に服すという意思は見られない。
この2人の行動からは、定員ギリギリの10人の生徒の命を預かっていたにも関わらず、高波の激しいリーフエッジへ無謀な救助へ向かって二次災害を起こし、乗員の命を失った「平和丸」の船長と乗組員としての、同時に過失致死罪の疑いをかけられている当事者としての責任の自覚は、残念ながら、かけらも感じていないように思われる。
『罪の意識』ってありますか?
4月4日、辺野古で抗議船を運用しているヘリ基地反対協議会のカヌーチームの担当者は、取材に対して「事故の海域は抗議活動を行う場所ではなく、2隻は通常とは違うルートを航行した」と説明した。そして「申し込みがあって、朝のミーティングを行い、万全の体制で行った。あんな不幸なことがあるとは、誰も信じていない」と述べた。
事業登録も怠り、ライフジャケットの装着も指導せず、波浪注意報の中、サポート船も付けず、定員いっぱいで出航し、警告に近づいた海保の船を猛スピードで振り切って、最も高波が予想される外洋(リーフエッジ)に出た。この体制のどこが〝万全〟だと言うのか。
「春一番というか、いきなりこの季節に急に風や波が出るようなことを後で聞いた」と担当者は言っているが、そんなことも知らずに船を運行している時点で、〝万全〟どころか、海をなめている。これだけ犠牲者が出ているのにまともな反省もできない。こんな無責任な団体に、子どもの命を預かって船を運行する資格はない。
これまで、たまたま運良く事故が起きなかっただけのこと。いずれにしても、これで〝万全〟なら、これ以上の対策は期待できないのが道理だ。
それより何より、謝罪が先だと思うのだが、亡くなった女生徒の保護者のブログでも書かれているが、ヘリ基地反対協議会及び船長・乗組員は、遺族や負傷した生徒の保護者に直接謝罪はしていないという。
何が〝万全〟だったのか?
4月4日、共産党の田村委員長は、記者会見で「平和丸」船長は共産党の関係者ではないかと言われているが誰なのかと訊かれ、「船長は誰かということは捜査中で、この場で述べることは適切ではない」と答えて、船長と共産党の関係について明らかにしなかった。
しかし、船長は誰かということは捜査中ではない。事故発生からすでに半月が経ち、「平和丸」の船長が誰か、関係者なら誰でも知っている。にもかかわらず、それについてはっきり述べることを拒絶した田村委員長の態度は卑怯に見えた。他人を攻撃する時は辛辣だが、自分の都合が悪くなるとダンマリ。そういう自己都合の姿勢に見えるのだ。
また、4月1日、自身も辺野古の抗議船に乗船したことのある社民党の福島瑞穂党首は、定例記者会見で、「事故は辺野古工事のせい」という同党の服部良一幹事長の発言について訊かれ、「別にコメントする立場にありません」「コメントは差し控えさせていただきます」と答えた。これは、私も同じ意見ですと答えたに等しい。
共産党、社民党は、亡くなった女生徒とその遺族より、身内である辺野古の活動家たちの味方をするようだ。
『説明責任』はどこへいった?