立花孝志氏や斎藤元彦氏の信者ら(「チームさいとう」など)のデマ拡散によるSNS上での誹謗中傷が原因で精神的に追い詰められていき、1月18日に自殺した竹内元県議の死について、19日に報道されると、立花孝志氏は、すぐさまX及びYouTubeで「竹内氏は警察から事情聴取を何度も受けていたし、逮捕が近づいていたので自殺したのでしょう」「(竹内氏は)明日、逮捕される予定だったそうです」「(竹内氏の自殺は)自業自得でしょう」「あまり同情できない」と発信しました。

 

しかし、20日に兵庫県警本部長が県議会で「竹内氏が警察から任意の事情聴取を受けたことはありませんし、まして逮捕するという話は全くありません」と立花孝志氏の発言を全くの事実無根と全面否定した後には、立花氏は「間違いでしたので訂正して謝罪します(ただし、竹内氏本人や遺族に対してではなく、兵庫県警への謝罪)」と発言することになりました。「死んだって自業自得でしょ」「同情はできない」と激しく誹謗中傷していたのに何の根拠もなかったことがはっきりしたわけですが、それに対する碌な反省もないようです。少なくとも、竹内氏の名誉をデマによって傷つけたことに対する謝罪も後悔も反省もないのは明らかです。

 

立花孝志氏は「竹内氏は、明日、逮捕される予定だ」と信頼できる(???)2人の人物(ソース)から聞いていたと述べています。しかし、そうすると、これまでの立花孝志氏の発言の全てが、彼が信頼できる(?)と考えていた(と本人は言っている)、本当は全く信頼できない情報源からの又聞きを根拠としたデマ情報であった可能性が濃厚になってきたように思われます。

しかも、過去の言動から考察すると、立花氏本人は、その情報が不確かであることを承知の上で、さらに勝手に話を盛って、それをいかにも真実であるかのようにまくし立てる傾向があります。その上、ウソであることがバレても、まったく気にしません。

 

それどころか立花孝志氏は、謝罪から2日後の22日には「竹内元県議が警察が把握できない、もしくは警察が裁けない悪事をしていたことは明らか」と、相変わらず根拠のない故人への非難中傷を繰り返し、「竹内元県議が警察も掴んでいない危険な状況に追い込まれていたから自殺したと考えるのが合理的な賢い人の思考」と意味不明の陰謀論を振りかざし、「竹内元県議が、SNSでの非難中傷を苦に自殺したと考える人は思考が単純過ぎる」と上から目線でのたまっています。その上、「私の言動が理由で自殺したと考える人はバカすぎる!」と責任回避の空論を言い立てて、あさましくもムダな抵抗を試みているのです。

この男、もはや、つける薬はありません。

 

こうしたことから、「斉藤知事のパワハラはなかった」「自殺した元県民局長は10年間で10人と不倫した/加えて不同意性交があった(⇦立花氏曰く、根拠なく話をもった(出来心)「十年を10人と言い間違えたけど、まあいいかと(本人言)」/つまりは、死人に口なしであることをいいことに死者を欲しいままに冒涜した)」といった立花孝志氏の悪質で確信犯的なデマに踊らされた正当性のない県知事選挙で、斉藤元彦氏は兵庫県知事に再選したのだということが、いよいよはっきりしてきたわけです。

悪質な情報操作とデマの拡散が決め手で県知事が選ばれるなど、民主主義の敗北と言わざるを得ません。

 

そして、もう一つ、気になることは、斉藤元彦氏は、県知事選で自身の選挙戦を側面援助してくれた二人三脚の相手である立花孝志氏を、決して正面から非難することができないということです。立花氏を非難すれば、デマと偽装演出と情報操作で組み上げた自身の選挙戦のあり方の正当性が、さらに揺らぐことになるからです。

その意味で、斉藤元彦氏と立花孝志氏は、盟友(同じ穴のムジナ)であると見られても仕方のない面があります。

 

そして、最大の問題は、立花孝志氏と斎藤元彦氏の信者たちの動向です。カルト信者というものは、教祖が警察に逮捕されようと有罪判決を受けようと、教祖の教えだけを信じ続けるものです。

オウム真理教の場合がよい例で、教祖が死刑執行されても、いまだに教団自体は名を変えて活動を続けています。

信者というものは、本当に厄介です。

大切なことは、カルトの社会的影響を最小限に抑え込むことです。そうして次に起こる悲劇をなんとか防ぎたいものです。

 

最後に、この『人間デマ発信機』立花孝志氏が応援する斉藤元彦氏を県知事に再選させた兵庫県民…。

見識がなさすぎるのでは?

 

 

※22日夜には、立花孝志氏が週刊文春の立花氏批判が原因でSNSを利用して自殺予告動画をあげるという自殺未遂(?)騒動を起こしました。

しかし、その当日午後までの立花氏の持論は「批判を受けて自殺する政治家は今すぐ辞職した方がいい」「政治家なら、SNSや街頭で非難中傷を受けようと、ひっきりなしに電凸されようと、メディアに批判されようと、自分のしていることが正当であるという自信があるならば、冷静に反論して打ち返すことができるはず」「自殺をするのは、後ろ暗いことをしていた自覚があるから逃げたのだ」「ひきょうだ」「同情はできない」というもので、これまで、そうした主張を繰り返して、自殺した故人を鞭打ってきました。

その立花氏が、マンション13階から飛び降りるという自殺予告動画をあげ、大騒ぎを起こして警察に保護され、今度は「生きていますので心配しないでください」とふざけた投稿をXにあげています。

いったい何のパフォーマンスだと呆れるばかりです。立花氏が、文春砲の砲撃によって改心したとか、意味不明なんですけど。オールドメディアなんか信じないんじゃなかったんですか?

この場合、これまでの立花氏の持論に沿って考えれば、「自殺未遂に及んだ立花孝志氏の手が、悪事に真っ黒に染まっていたのは明らかで、批判に耐える覚悟もない立花氏は、今すぐ政治活動から手を引いて、世間から姿を消した方がいい」と考えるのが合理的な賢い人の思考ということになるのでしょうね。「これくらいのことで自殺をはかるような人間は政治家しちゃいかんでしょう」と立花氏本人も20日に言っていましたし。

それにしても、自分のウソで元局長や元県議などの死者を冒涜し、遺族を傷つけ、人を自殺に追い込んだことを心から反省し、本気で死ぬ気ならば、警察や周囲を振り回さず、誰にも迷惑をかけることなく、何のパフォーマンスもなく、大人しく死んでいくでしょう。

それを、自殺予告動画で大騒ぎとか、ガッカリさせてくれるものです。同情の余地はまったくありません。それどころか、計算高く姑息なパフォーマンスとしか思えません。こんなケチな演技に誰が誤魔化されると思っているのか。国民をバカにしているのでしょうか。

 

さて、その後、結局、立花氏は、お芝居の狂言自殺だったことを動画で明らかにしました。自分だけを悪者にする文春に恨みがあったそうです。

立花氏は、ヤジであれ罵声であれ非難轟々であっても、ともかく注目を浴びていなければ気が済まない人なのかな?

例えば、竹内元県議を自殺に追い込んだデマといわれない非難中傷を拡散した中心人物として批判されても、まったく懲りることなく、ふざけた狂言自殺を演じ、大騒ぎになって、警察に保護されても、まったく悪びれるところがない。ちょっと普通の感覚ではない。

演技性パーソナリティ障害?

ともかく立花孝志氏は、何をしても許されるとたかを括って、国民をなめくさった態度で調子に乗っていますが、ここまでふんぞり返らせるに至った成功体験(兵庫県知事選挙での勝利)を与えた兵庫県民の罪は、本当に重いとつくづく思います。