ネアンデルタール人が滅亡したとされる4万年前に近い、4万5千年前のネアンデルタール人の人骨が、2015年にフランス南部の洞窟で発見され、そのゲノム解析の結果が、2024年9月の科学誌で発表された。
それによると、この人骨の属する小集団は、10万年前に「後期ネアンデルタール人」の系統から分かれ、その後、5万年以上に渡って遺伝的に孤立していた集団であるらしい。つまり、この人骨の属する小集団は、5万年以上もの長い間、他のネアンデルタール人の集団と交流がなかったということだ。
徒歩で10日ほどの距離にある二つのネアンデルタール人の集団が、5万年間、まったく交流することなしに並存していたという驚くべき事実は、彼らが現生人類とはかけ離れた感覚や世界観の持ち主であることを想像させる。
ネアンデルタール人は、およそ80万年前に「出アフリカ」した人種で、その後、生活圏を徐々にユーラシア大陸に広げた。30万年も時間があれば、相当な距離を移動できたろう。その間、50万年前にはシベリアでデニソワ人と分岐し、ユーラシア大陸の西側はネアンデルタール人、東側にはデニソワ人と棲み分けが進んだ。
しかし、いったん適度な生活可能な場所を見つけて、そこを生活圏に定めると、よほどのことがない限り、それ以上、移動することがなかった。
さらに、互いに近くに同族であるネアンデルタール人が住む集落があると知っていても、そこへちょっと行ってみて、交流することなど、まったく考えられなかったようだ。
老子の言うように「隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民老死に至るまで、相往来せざらん」という感覚で生きていたということだ。
現代人の感覚からは隔絶した、ありえない感覚という気もする。そう感じるのが普通だろう。
しかし、沖縄に住んでいると、このネアンデルタール人の感覚が、実は、まったくわからないというわけでもないのだ。
例えば、沖縄本島から今では橋がかかっていて車で気軽に行き来できる島のひとつに、浜比嘉島という小さな島がある。この島には、東に比嘉、西に浜という二つの集落がある。ところが、この二つの集落は、小さな島に数100年並存しながら、その間、ほとんど交流がなかったらしい。
そして、互いに「自分たちは、あいつらより二百年は先に、この島に住み始めた」「あいつらは、後から流れてきて住み着いたよそ者だ」「浜(比嘉)の奴らは、何を言っているのかわからん(言語が違うから意思疎通が困難)」と言う。
同じ島の集落でさえこうなのだ。島が違えば、交流はまったくないのが普通である。
海を隔てた沖縄本島と宮古島と石垣島では、言語も風習も、遺伝子系統すらまったく異なる。例えば、本島では「おばあ」と言えば、「おばあさん」のことだが、石垣では「おばあ」は「おばさん」を意味する。また、子どものことを、首里では「わらび」と言うが、同じ本島でも田舎では「わらばあ」と言う。そして、石垣では「ふぁ」と言う。
さらに、同じ、宮古島諸島でも、池間島と伊良部島と宮古島では、言葉だけでなく、明らかに顔の特徴が異なる。遺伝子の系統が異なるのだろう。
この間、石垣島の新川地区で、地元育ちの三十代の住人に「名蔵ダムへ行ってきた」と話したのだが、驚いたことに、その人は、すぐ隣の地区である名蔵にダムがあることを知らなかった。さらに「伊原間をまわってきたよ」と言ったのだが、その人は伊原間がどこにあるのかも分からなかった。
ネアンデルタール人の社会、または沖縄の伝統社会においては、自分が住んでいる地域の周辺に何の興味も関心もなく、隣の集落との交流もなく、むしろ、集落同士が互いに敵対的に無視し続けるのが普通である。彼らの間では、それが伝統であり、常識なのである。
そうした共通点に着目して考えると、沖縄の伝統社会は、極めてネアンデルタール人的であると言えるのではないだろうか。
ところで、こうした超閉鎖社会には、絶滅に至る主因となりうる問題がいくつもある。
その一つは遺伝的問題だ。長期にわたって孤立している集団内では遺伝的多様性が低下する。それによって、劣性遺伝が続き、障害児や遺伝病の発生確率が上昇し、環境の変化や病原体への適応力が低下する。実際、沖縄の伝統社会では白血病の発生率が高く、風土病と呼ばれてきたが、その原因は近親交配が続いたためと考えられている。
もう一つは社会・文化的な問題だ。超保守的な排他主義が当たり前となっている社会では、新しい事物に対する受容度が低く、文化の交流が生まれず、新しい知識も受け入れられない。こうして、彼らは進化から取り残される。
それが、ネアンデルタール人が滅亡した原因でもあり、同時に、沖縄が、豊かな自然環境や政府の援助など、さまざまな好条件に恵まれながら、なかなか発展できない理由でもある、と考えられる。
本題に戻るが、「ネアンデルタール人はなぜ滅びたのか?」の答えを端的に述べるとするなら、それは「超保守的な排他的差別主義による集団間の分断と交流の断絶が原因である」と言い表せるだろう。
しかも、それは、ネアンデルタール人だけの問題ではない。ホモ・サピエンスにおいても、充分に種の破滅の主因となりうると思うのだ。
例えば、デジタル化した情報機器に取り囲まれて生活している現代人は、リアルな交流を面倒で難儀なものとしてなるべく避けたい傾向が見られる。婚姻率も低下し、出生率も低下する。
また、今日のアメリカ社会に見られる政治的分断のような、二つの互いに相容れない政治勢力の間の交流の断絶もまた、社会の混乱と進化の停滞を招くだろう。
こうした状況が続くなら、長い目で見れば、ホモ・サピエンスという種は、ネアンデルタール人と似たような要因で絶滅の危機に直面することになるかもしれない。