「人間にせよほかの生物にせよ、行動は、相互に作用しあう衝動のほとんど絶えざる葛藤の結果である。」

「早期小児期における母の愛を失う喪失体験が、その後の成長期を通して不完全な人格を発達させ、精神疾患を発症する傾向を生じさせる。」

「多くの精神疾患は病的悲哀の表現である。」

『母子関係入門』ジョン・ボウルビイ著より

 

心理学や精神医学においては、「幼児期における母子間(父子間)の愛情結合の不在や崩壊は、後年の人格障害で典型的に見られる、『互いに愛情結合を結び、その関係を維持する能力の障害や欠如』と、強い因果関係がある」と考えられている。

より具体的に言うと、生後5〜10歳までにおける母親(または父親)の存在自体、あるいは母親(または父親)から本来受けるべき愛の喪失・欠如は、小児に、愛されないことに対する欲求不満、安全基盤が揺らぐことによる分離不安、そして悲嘆を感じさせる。そして、次の段階では、愛情と信頼の回復による再結合のために、愛する対象へ向けられる当然の攻撃性や怒りの表現や執着が、充分には受け止めてもらえず、無視されたり、拒絶された場合、小児に、さらに深い悲哀と諦念を経験させることになる。そして、その時の反応のプロセス(過程)が、後年、彼らが愛情の喪失に直面した場合の個人的反応の様式(パターン)を決定するのである。

また、大人であれ、子どもであれ、愛情喪失の悲哀に直面した場合の健全な反応は、怒りや悲しみといった激しい感情的反応と、その雄弁な表現であるが、それが周囲の人々に適切に受け止められず、無視されたり、逆に、その執着や攻撃性を咎められたり、抑圧・折檻されたりした場合には、悲哀は鬱屈や諦念へと変わる。

しかし、一般に小児の精神においては、その『誰にも受け止めてもらえない苦しみと悲哀を抱えて耐え続ける時間(プロセス)』を耐え抜く忍耐と許容度がないため、この一種の極限状況において、精神の崩壊を防ぐ目的で、深層において防衛規制が働く。

すなわち、愛情の喪失に関わる一切の悲哀の感情を自我から切り離し、無意識下へと葬り去るのだ。そのような防衛規制が成功した場合、その後の小児の精神は、愛情に対して無関心・無感動になり、成長の過程において、人間的成熟から阻害されることになる。具体的には、大人になった後も、情緒が未成熟で、他者の感情に無理解・無関心な上に、自己の感情の抑制が効かず、突発的な激情に襲われやすくなる。その一方で、知的理解力についても、極めて未熟で偏向したものとなることが多い。

一般に、彼らは、いつまでたっても、精神的に成熟せず、自らの感情を揺り動かす事態において、極端に過敏か、逆に不感症であることが多く観察される。共感力は異常に低く、空気を読むこともできない。その一方で、慢性的な不安や間欠的抑うつに悩まされることもある。

上記した一連の症状がそうであるように、人間の精神神経症的障害やパーソナリティ障害の多くは、幼児期の発達途上の過誤や、それに引き続く混乱によって、愛情結合を形成する能力が冒されていることの反映である。

より深刻な症状である社会病質者、抑うつ者、自殺者、自殺未遂者の多くにも同様の傾向が見られる。

すなわち、彼らの事例においても、①「私生児や孤児である割合」、②「育児放棄や家庭崩壊の割合」、また、③「両親や片親との死別や離婚による別離があった割合」、さらに、④「養子に出されるなどして、ある家庭から別の家庭へ、幼児期に移し替えられた割合」が高いのである。

具体的には、統計的に、気分が落ち込むことが常態化している慢性的な抑うつ者は、『10〜15歳までに片親の存在(あるいは愛情)の喪失体験を経験した者』が多いが、それとは異なって、より深刻な精神の危機に直面している自殺未遂者や自殺癖のある精神病質者、社会病質者の場合には、『5歳までに両親の存在や愛情の喪失体験をしている者』が多い。

いずれにしても、『幼少児期に、親(特に母親)との愛情結合が壊されたこと(あるいは、強く結ばれなかったこと)が、その後に起こる精神障害と深い因果関係があり、むしろ、そうした疾患が発症する一次的要因である』と考えるのが、今日の精神医学の分野では一般的である。

 

 

「人間は、どの年齢層においても、何か困難が生じた際に援助してくれると信頼できる人が、自らの背後に1人以上いると確信できるときに、最も幸福を感じ、かつ能力を最大限に発揮できる。また、上記の信頼できる人物は、本人にとって愛着対象であり、一緒にいることで本人に安心の基盤を与える存在(安心の対人的基礎)である。」

「人が信頼できる仲間を失った際に恐怖反応を示すのは、自分の生存が脅かされる恐れを感じるためであり、不思議なことではない。」

『母子関係入門』ジョン・ボウルビイ著より

 

信頼は常にリスクを伴う。したがって、大人になって独り立ちした後も、上記の幸福な状況(安心の対人的基盤)を維持するためには、「その人が、はたして信頼でき、安心の基盤を与えてくれる人物かどうかを見分ける」能力、さらに、「その人間と共同で事にあたり、互いに貢献し合う関係を開始し、その関係を継続できる」能力が必要になる。

同時に、子ども時代に受けた経験は、「後年、安心の人間的基盤を、本人がどのくらい積極的に求めるか」、また、「関係構築の機会が訪れた時に、互いに貢献し合う人間関係を造り、その関係を維持する能力がどの程度あるか」に、多大に影響する。

加えて、個人の有する人間関係への期待の内容や、有している関係構築能力の程度は、本人が、その人生のあらゆる時期において、社会的に交わる人の種類や、交わる人からの扱われ方の決定に、大きな役割を果たす。

こうした相互作用のため、最初に形成された心理的・社会交流的パターンは、それがどんなものであれ、生涯にわたって持続する傾向がある。

この理由のため、子ども時代に体験した家族関係のパターンが、その人のパーソナリティ(人格)の発達に決定的な重要性を有することになるのだ。

非常に自己中心的で暴力的な父親に育てられた娘が、同じように暴力的でわがままな男性と縁して結婚するのも、そうした例の一つである。また、縁して結婚した妻の性格に、自分の母親の最も嫌な面と同じ性質を発見して動揺する男性は多い。

こうした観点からみると、健全な人格機能は、①『喜んで安心基盤を与えてくれる適切な人物を見出す能力』と、②『そうした信頼できる人と相互に貢献し合う関係を結んで共同する能力』を反映していると言える。

そして、幼少期から愛着欲求が満たされ、安心の人間的基盤が揺るがない家庭環境で育った者は、子ども時代から外部との接触と探索に積極的で、人間関係の構築スキルを身に付けやすいだけでなく、知的な発達も適度に促され、その能力の開発が妨げられることがない。

対照的に、多くの損なわれた人格機能は、①『好意的で適切な人物を認識する能力の障害・欠如』、または②『信頼できる人を見出した際に、互いに貢献し合う関係を構築し、持続して協力し合う関係を維持する能力の障害・欠如』を反映している。

これら損なわれた人格機能は、自然な愛着欲求が満たされなかったことによって生じた発達障害の結果である。幼少期から両親の適切で充分な愛情を受けられない家庭環境は、多くの場合、過剰依存や未成熟をもたらすが、その程度はさまざまで、それによってもたらされる症状も、いろいろなかたちをとる。例えば、不安なすがりつき、過多で過度の要求、無意識の感情抑圧、不合理な感情爆発、冷淡な行動、自己本位な依存・利用、反抗的独立・孤立などが見られる。さらには、今日の社会で大きな問題となっているカサンドラ症候群やミュンヒハウゼン症候群などの場合も、その根本には同じ問題が横たわっている。

そして、いずれの場合も、本人が独力でこれらの障害を克服するのは、非常な困難が伴う。

特に、本人が生まれながらにして、ADHDやASDといった脳の機能の特有の偏りを持って生まれてきている場合には、親の無理解から生じる相互不信によって、安定した親子関係の構築に失敗し、豊かな愛情結合を結び得なかったり、虐待を受けたり、孤独な環境で放置されたりすることが多い。そして、そうした様々な幼少期のつらい体験から、大人になって以降も、人を信頼することができなくなっていたり、生涯、さまざまなトラウマに苦しむことになる確率が高いのである。

この世界では、たった一人の親友をつくることのなんと難しいことか!

けれども、そうした悪条件を乗り越えて、アストリッドとラファエルのような友人関係を構築でき、持続できたなら、そのような友情は、生涯の宝となるだろう。