ガザでもウクライナでも、アメリカが援助しなければ、戦争はとっくに終わっている。

死の商人は、やはり、死を増産するのだ。


プーチンは悪かもしれないが、ゼレンスキーだって正義とは限らない。

次男のウクライナ疑惑を封じ込めたいバイデンの支援を背景に、クリミア奪還を掲げて東部ドンバスでの攻勢を強め、プーチンの侵攻をうまく引き込んだゼレンスキーとその背後のウクライナ西部民族主義勢力こそが、ウクライナ戦争の元凶ではないか。

さらにはアフガン撤退のお粗末さで揺らいだアメリカの威信を取り戻し、NATOの結束を取り戻すために、そしてロシアの弱体化を図るため、ゼレンスキーを焚き付けて、反露行動を過激化させるように仕向け、プーチンが軍事介入せざるを得ないように巧妙に誘導したのはバイデンではないのか。

『バイデンがアメリカ大統領でなければ、ウクライナ戦争は起こっていない』というのはその通りだろう。

では、一番の悪は誰なのだ?

プーチンか、ゼレンスキーか、バイデンか?

少なくとも、プーチンだけが悪で、ゼレンスキーとバイデンは正義であるなどとは絶対に言えないはずだ。


ガザ戦争においても、同じことが言える。

ハマスは悪かもしれないが、ガザとヨルダン川西岸の政治的分断のために、ファタハへの対抗勢力としてハマスに資金援助して育てたのは当のイスラエルだ。

ハマスによるガザでの政権奪取を支援した張本人はネタニヤフなのだ。

その後、ガザを封鎖して、「天井のない牢獄」として締め付け、パレスチナ住民を苦しめて、ハマスを政治的に先鋭化させたのもネタニヤフだ。

10.07は、言わばイスラエルによるマッチ・ポンプだ。

そうして思い通りに事を運んで、ハマス殲滅を口実にガザ完全支配を目論んでいるネタニヤフこそが、ハマスを思い通りに操ってきた黒幕であり、巨悪ではないのか?

少なくとも、ハマスは悪のテロ集団で、イスラエル軍は正当な自衛権を行使しているだけ、などとは絶対に言えない。


かつて、ユダヤ人はナチスに対して弱者で犠牲者だったが、今、パレスチナ人に対しては、ユダヤ人は弱者でも犠牲者でもない。むしろ、アメリカを後ろ盾とするユダヤ人は、圧倒的強者であり、加害者である。


ディアスポラやホロコーストを体験したユダヤ人が、今度は他民族にホロコーストを体験させ、ディアスポラを生み出しているのだ。

しかも、その事実を彼らは認めない。


多くのユダヤ人は知的ではあるが、誠実ではない。

あるいは、彼らは知的で、なおかつ正直かもしれない。でも、その場合には、彼らの姿は、ナチスを彷彿とさせる酷薄なレイシストに限りなく近づいているように見える。

知的で正直で熱心な、ネオナチばりの差別主義者(極右戦争支持者)だ。


アメリカもイギリスもドイツも、イスラエルの暴走を抑える気がない。

彼らゲルマン三国の社会は、根深いムスリム差別、アジア人差別のために、パレスチナ住民の生存権をほとんど気にしていない。

一方、ウクライナ人の生存権は無視しないのだ。なぜなら、ウクライナ人はヨーロッパ人だから、ね。

ユダヤ人のゼレンスキーは、『ウクライナは欧州の一員であること』を強調して、巧みな演説で欧州を戦争に巻き込んだ。

彼の態度こそ、まさに『ヨーロッパ人にあらずんば人にあらず』だ。

逆に、欧州人の多くからすれば、ムスリムでありアジア人であるパレスチナ人が何万人死のうが、完全に他人事であり、どうでもいいのだ。


例えば、ウクライナは、ガザでの虐殺への批判が国際的に高まる中でも国民の7割がイスラエルを支持するというアメリカ並みの親イスラエル国である。

直接的には、ゼレンスキー自身がユダヤ人であるということもあるが、一般にウクライナ人自身、自らを欧州人と考え、パレスチナ人に対してアジア人差別意識と優越意識を持っていることも、背景にある大きな要因ではないか、と思う。

本当であれば、大国ロシアに翻弄される自らの弱者の立場を、圧倒的なイスラエルの力に翻弄されるパレスチナの人々に置き換えて、むしろ、パレスチナの人々に対して、同情的であってもいいのではないかと思うが、現実にはそうならないのである。これは、欧米に認められたい同化意識の強いウクライナ人による欧米への盲目的な迎合の結果とも感じられる。


しかし、ドイツ人やアメリカ人の親イスラエルに極端に偏向した態度に見られるように、その当の欧米自体の価値観や認識がひどく歪んでいるわけだ。

しかも、最悪なのは、そうした不都合な真実を覆い隠すために、パレスチナ住民に同情的な人々からのイスラエルへの当然の抗議に対して、欧州のメディア・政治家・知識人たちは、「反ユダヤ主義」であるとして沈黙を強い、自らの反知性的な差別意識を告発する正当な言論を抑圧し、臭いものに蓋をし続けていることだ。


「反ユダヤ主義だ!」という非難を振り翳して良心的な人々の声を黙らせ、理不尽で残虐な自らの本性をむき出しにして恥じないどころか、自らの根拠なき優越性を誇る身勝手な姿は、まさに『ナチス的』と言ってよいのではないだろうか。