イスラエル国内のパレスチナ人自治区のひとつであるガザ地区を実効支配し、パレスチナ人によるパレスチナの地の解放と建国(※もともとパレスチナ人の土地であったパレスチナの地〈=イスラエル〉からユダヤ人を追い出し、パレスチナ人の手に取り戻すこと)を目標とするイスラム武装勢力ハマスは、10月7日、午前6時半頃から前例のない大規模攻撃をイスラエルに向けて行い、1000人を超す死傷者を出し、200人以上のイスラエル人や外国人を拉致してガザ地区に連れ去った。

その後、イスラエル側によるガザ地区への激しい報復攻撃が続いている。

イスラエルの現ネタニヤフ政権は極右政党と連立した史上最も右寄りのタカ派政権であり、イスラエルをユダヤ人の民族国家と規定し、ユダヤ人のみに民族自決権を認めると定め、ヘブライ語を唯一の公用語として、アラビア語を公用語から排除した政権である。

したがって、今回のハマスの襲撃に対して、政権のメンツにかけて100倍返しの報復を行うものと考えられている。

この紛争が短期間で集結する見込みはほとんどない。


この紛争は、イスラエルの同盟国アメリカと、ハマスを支援するイランの代理戦争でもある。

エジプト・サウジアラビアがイスラエルへの態度を軟化させている現状、イランは唯一の積極的なハマス支援国家となっている。

一方で、イスラエルの同盟国であるアメリカのバイデン民主党政権は、イスラエルのガザ地区への地上軍の侵攻を支持している。

ガザ地区では凄惨な民間人の犠牲が生じるのは必至だが、リベラルを信条とするはずのバイデン民主党政権に地上戦を止めようという意思はない。普段きれいごとばかり言うくせに、肝心の時には何も行動しない。民主党政権のお馴染みの態度である。


この戦争の直接的な原因として、第一次世界大戦中から第二次世界大戦中にかけて、イギリスに味方して戦うことを条件に、ユダヤ人にはイスラエル建国を、パレスチナ人には独立をと、結果として同じ土地に二つの異なる約束をしたことがある。

このイギリスの無節操さが、パレスチナ問題の実質的原因となっているのだ。

何だかんだと言って、1番悪いのはイギリスである。しかし、今回も、イギリスは、イスラエルへの支援を早々に表明し、パレスチナは無視である。ズル賢いイギリスは、相変わらず、自らの歴史的責任を放置して、強者であるイスラエル側にべったりである。

米英は、神の約束の地であるパレスチナに王国を再建しようとするユダヤ人のシオニズム運動に理解を示しているが、土地を奪われた被害当事者のパレスチナ人にとってみれば、「2000年前にユダヤ人が住んでいたのだから、ここはユダヤの土地だ」と言われても、まったく理不尽な物言いにしか聞こえないだろう。到底、納得できる話ではない。


また、中東問題の背景には、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の三者の宗教対立がある。

しかし、この3つの宗教は、元を正せば、実は3つとも同じ一神教の神を信仰する兄弟のような宗教である。

共通要素の一つとしては、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、3者に共通する同一の預言者(神の声を聴く者)の存在がある。

例えば、有名なアブラハムとノアとモーセは、この三つの宗教において、共通して預言者として認められている。つまり、アブラハムとノアとモーセは、ユダヤ教徒の祖先であると同時に、キリスト教徒、イスラム教徒の祖先でもあるということだ。

そして、ユダヤの神は、キリスト教の神と同一の神であるのと同様に、イスラム教の神とも同じ神である。対立する三つの宗教は、実は同じ神を信仰している。

ユダヤ教とキリスト教の共通の聖典は、これらの預言者が活躍する『旧約聖書』の物語だが、実はイスラム教の経典『コーラン』にも、旧約聖書と共通する記述は多く含まれている。

三つの宗教の教えには共通点が非常に多い。


だから、モーセが神から与えられた『十戒』は、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒やイスラム教徒にとっても神の戒めである。

その十戒の中に『汝殺すなかれ』という戒めがある。唯一の神は殺すことを禁じている。

それなのに、ユダヤ教徒とキリスト教徒とイスラム教徒は、共通する聖地であるエルサレムの領有権・支配権をめぐって、千数百年の間、争い続け、互いに殺し合ってきた。神の言葉を完全に無視する罪深い行いである。

異教徒との『聖戦』などというものは、神が殺すことを命じたのではない。人間が勝手に異教徒を殺すことを正義と思い込んでいるだけである。

三つの宗教が認める預言者モーセは、「殺すな」という神の言葉を伝えているのだ。殺すことは神の戒めに反する大罪である。


イエスについては、この三者で見解が異なる。キリスト教においてイエスは、それまで預言者たちが「神がユダヤの民を救うためにつかわすだろう」と繰り返し言ってきたメシア(救い主・救世主・神の子)である。そして『イエスがメシアである』と信じた者たちがキリスト教徒となった。

一方、イスラム教では、イエスはアブラハム、ノア、モーセの次の時代に現れた第四の預言者である。だから、イエスの存在についての捉え方は異なるが、キリスト教徒にとってと同様に、イスラム教徒にとってもイエスの言葉は神の言葉(イエスが神から与えられた言葉)である。だから、コーランにもイエスは偉大な預言者として描かれている。

そのイエスの有名な言葉に「己の敵を愛しなさい」「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」という言葉がある。簡単に言えば、「敵を憎むな」「敵と争うな」ということだ。

しかし、このイエスの教えは、キリスト教徒・イスラム教徒の双方によって、長年、無視されてきた。「剣か、コーランか」「十字軍よ集え」と、双方が、互いを異教徒として憎み、殺し合ってきた。それによって、彼らは、イエスの教えに反逆してきた。


一方で、ユダヤ教においてはイエスは預言者でもメシア(神の子)でもない。ユダヤ教徒にとってのイエスは、メシアを偽称した詐欺師である。ユダヤ教徒は「メシアはまだ地上に使わされていない」「メシアはこれから地上に現れる」と信じており、イエスの時代以降も、2000年の長きにわたって、辛抱強くメシアの到来を待ち続けているのである。

多くのユダヤ人は、20世紀のイスラエル建国の実現はメシア到来の予兆と考えている。

しかし、イエスに対する否定的な見方が、この2000年間、ユダヤ教徒がキリスト教徒によって迫害されてきた根本的な理由の一つである。

また、イスラム教徒は、ムハンマドを最後の預言者であるとして、これ以後、神の声を聴く者は現れないとしている。ムハンマド以降に現れた教祖は、すべて偽物の詐欺師ということだ。

一方で、ユダヤ教やキリスト教では、ムハンマドを預言者とは認めていない。彼らユダヤ教徒やキリスト教徒にとっては、ムハンマドは預言者を自称する詐欺師なのだ。


こうしたことから、共通の神を信仰し、共通する預言者の言葉を信じながら、この三つの宗教は、肝心な点でまったく相容れない教えとなっている。互いに憎み合うのも無理はない状況ではあるが、しかし、だからと言って「邪教を信じる人々を殺せ」というのは神の教えではない。

むしろ、彼らは、共通する預言者モーセによって与えられた神の戒め(『汝殺すなかれ』)に逆らう不信心者となっている。

キリスト教徒とイスラム教徒については、一方にとって神の子であり、一方にとって預言者であるイエスの根本的な教え『己の敵を愛せ』にも真っ向から逆らっている。彼らは、互いに、「己の敵を憎み、右の頬を打たれたら、相手の頭をかち割る」という態度を身につけている。

つまりは、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、イスラム教徒も、実は、誰も本質的には神を信じていない。誰もが神を恐れぬ不心得者の背教者である。


旧約聖書には、歴史上、このような背教者しかいない時代が繰り返し訪れたと記されている。

アブラハムの時代(ソドムとゴモラの都市)、ノアの時代、モーセの時代にもあった。その度に、神の怒りが神の教えに反する人々を滅ぼした。

我々のこの時代においてもまた、神を恐れぬ行為の代償を払わねばならない裁きの時が近づいているのかもしれない。

イスラエルはガザ地区に戦車部隊を侵攻させる準備が完了し、地上戦開始は秒読み段階となっている。

また、イスラエル北部ではイランの支援を受けてレバノンを支配する民兵組織ヒズボラとの戦端が開かれつつある。

戦争の拡大は避けられそうもない。