孔子を知らずに孔子をありがたがる人々のことを、『論語読みの論語知らず』と言う。
確かに孔子の実像を知らずに、孔子の教えを批判する人は多い。
特に、孔子の教えは、堅苦しい偉そうな先生によるつまらない言葉だと思っている人が多いようだ。『朝に道を知れば夕に死すとも可なり』とか『己の欲せざるところを他人に施すこと勿れ』とか、建前ばかりの綺麗事で、非現実的な道徳くさい言葉ばかりだと言うのだ。
しかしながら、そうしたイメージを持つ人は、おそらく論語を本当には読んでいないのではないだろうか。
つまり、論語読みですらないのではないか。『論語読まずの論語知らず』ということだ。
私は、論語を読んでいて、誰を連想するかというと、ギリシャのソクラテスだ。
孔子とソクラテスには、共通点が多い。
一つは、ほぼ同時期(紀元前5世紀頃)に活躍した2人は、ともに貧しい生まれであること。孔子は、母1人子1人で、母親の苦労を見ながら育った。ソクラテスも、ある意味、着の身着のままで、何の資産も持たず暮らしていた。しかし、その一方で、2人とも、良き家庭人で、子どもたちには母親を敬うようにと教えた。
孔子は、「私は、よく人にあなたは何でもできるとよく言われるが、それは貧しくて何でもやらないと生きていけなかったからだよ」と弟子に言っている。
ソクラテスも、「まず生活できなければ、綺麗事を言っても始まらない、ともかく稼がないと」と人にアドバイスしている。
もう一つの共通点は、孔子もソクラテスも、実際の戦場を知っている生粋の戦士であるということだ。当然、殺し殺される体験を潜り抜けてきている。孔子は、小国だった魯国の宰相として、自国が生き延びるために隣国を叩くこと、隣国の王を和睦の席で暗殺することさえ画策した。諸国を巡っていた時も、時には生き延びるために、弟子たちを率いて戦った。ソクラテスはアテネ軍が退却する時は〝しんがり〟を務めたこともある。2人とも、大男で、恐れを知らない勇猛な戦う男だった。
孔子は、国が維持されるために、もっとも必要なものは、武器でも食糧でもなく志だと言った。食糧がなければ人は死ぬ。けれども、もともと人はいつか死ぬ生き物だ。大切なのは互いに信じ合うことができ、命すらも犠牲にして惜しまぬ共通の目標なのだ。そうした国を想う志がなければ、たとえ武器があり、食糧があっても、民が立ち上がることはない。そういう国は、いずれ遠からず滅びるということだ。
ソクラテスは、自らの生きる意味を神(ダイモーン)に委ね、自分は十分に生きたと信じられた時には、不当な裁判による死刑判決さえも受け入れて、少しも心を乱すことなく毒杯をあおることができた。
三つ目の共通点は、孔子もソクラテスも、真に優れた一部の若者たちに深く敬愛され、生涯を共にする弟子たちに恵まれたが、その一方で、決して時の権力に迎合することなく、どれほど排斥されようと、命の危険が及ぼうと、まったく怯むことなく、一切保身による権力者への忖度をせずに、生涯、己の信じるところを曲げず、貫き通したことだ。
当時、支配階層の人々は、アテネでも、春秋戦国の中国でも、彼らの存在を疎んじていた。そして、2人は、たびたび排斥された。孔子は、弟子たちとともに諸国放浪中に、孔子を亡き者にしようとする追手との激しい戦闘を、何度も潜り抜けなばならなかった。ソクラテスは、「青少年を得体の知れない宗教で惑わした」として、アテネ市民の排斥派によって裁判にかけられ、死刑宣告を受けた。
しかし、2人とも生涯自らの境遇を嘆くこともなく、自らの運命を進んで引き受けた。
私には、孔子とソクラテスは、同時期に、中国とギリシャに別れ別れに生きた、二つの同種の魂のように感じられる。
さて、孔子と同時代の人物とされる中国の思想家で「老子」がいる。しかし、孔子と違って老子は実在しなかった架空の人物ではないか、とも言われている。あるいは孔子より後の戦国末期の人物ではないかとも言われる。
しかし、中国では、「荘子」に載っている〝孔子が老子の教えを受けた〟という記述を信じる人が多い。つまり、老子は孔子の先生であるという主張である。
しかし、この説には無理があると思う。
むしろ、孔子の教えに対する批判として後世に生まれた諸説が、伝説上の人物の言葉として創作され、それが語り継がれたものではないか。そう考える方が自然である。
一方で、中国では、老子の思想は「反権力」を象徴するものとしてイメージされる。その反対に孔子の思想は権力者にとって都合の良い「人を支配するための思想」と考えられることが多いようだ。
確かに孔子より後の時代、儒家の思想の一部が身分や地位に分相応であることを主張したことは確かだ。しかし、孔子の思想そのものは、同時代の権力におもねるものではなかったし、権力者に都合の良い思想でもなかった。
上記したように、論語によると、孔子は、国を治める上で大切なものを武と食と信と述べた。このうち大切なのは食と信であり、最も大切なものは信であると言った。食がなければ人は死ぬが、いずれにしても人は死ぬ。そして、国への信頼がなければ、国民が立ち上がることはない。信頼がなれば、国は立ち行かないと言うのだ。
孔子は戦国時代のリアルな国際政治の現場を知る大政治家だった。小国の宰相を務めたこともあった。だから、孔子の言葉は、徹底したリアリズムに貫かれている。
それに対して、老子の言葉は夢幻的で非現実的で桃源郷的でさえある。
無為自然、小国寡民、上善如水、それら老子のものとされる言葉は哲学的な魅力に満ちているが、実生活を生きる指標には適さない。
『大道廃れて仁義あり。』(無為自然の大いなる道が廃れたので、人為的な道徳を説くために仁義という概念が生まれたのだ。)
孔子の教えへの激しい批判の言葉であるが、孔子の死後、その教えが世間に広まっていた状況での批判と考えるのが妥当だろう。
教育は悪である。文明は悪である。発展は悪である。国は小さい方がいい。一生涯、自分の生まれた村の外と付き合う必要はない。道も橋も要らない。文字(文化)もお金(経済)も必要ない。商業も流通も要らない。進歩も努力も要らない。上を目指すな、下を目指せ。
それが人為を否定する老子の教えだ。
今、多くの教育熱心な中国人が、教育を重んじて学ぶことに価値をおいた孔子より、老子の方が好きだと言う。
しかし、本気とは思えない。本気だとしたら、相当に老子の教えを誤解(曲解?)しているのではないだろうか。
「老子の教えは自由の教えだ」と中国人は言う。「無為自然というのは自由にしてよいということだ」と。
「いや、違うだろう」と反論しても、「日本人は変わった捉え方をしているんだね」で済まされてしまう。
どうにも話が通じない…。