長崎出身のさだまさしさんは、1953年生まれで、細坪さんの1年後輩、天野さんの1年先輩になります。デビューはN.S.Pと同期で、1973年(20歳)にフォーク・デュオ「グレープ」としてデビューしました。その後、グレープを解散し、1976年(23歳)からは、ソロでの活動を始め、現在に至ります。

小田和正さん、松山千春さん、桑田佳祐さん、浜田省吾さん、長渕剛さん、矢沢永吉さんなどと並んで、今も現役で、第一線で活躍し続けています。

しかし、私は、その活動のすべてを追ってきたわけではありません。ここでは、私がリアルタイムでさださんを聴いていた1973〜1981年(28歳)までの9年間の曲から主に選曲しました。

独断と偏見によるベスト24です。曲順は、発表年時順です。

つくづく思うのですが、昭和の20代は、大人過ぎです。今とは、比べものにならない気がします。

 

 

①雪の朝

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1973年発表/1st/ー)

◯アルバム「わすれもの(1974年発表/グレープ1st/20位)」初収録。

グレープのデビュー曲です。幻想的な、素敵な曲です。

 

②精霊流し

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1974年発表/グレープ2nd/2位)

◯アルバム「わすれもの(1974年発表/グレープ1st/20位)」初収録。

グレープ最大のヒット曲で、初期のさださんの代名詞的な曲です。

「去年のあなたの思い出がテープレコーダーからこぼれています。あなたのために、お友達も集まってくれました。」

 

③朝刊

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1975年発表/グレープ4th/ー)

◯アルバム「コミュニケーション(1975年発表/グレープ3rd/7位)」初収録。

コミカルで明るいタッチの家庭的なラブソング。

「君は早起きしたのが、さも得意そうに、寝ぼけまなこの僕を朝食に追い立て、ねえ、また巨人が負けたってさって、高田の背番号も知らないくせに。」

 

④無縁坂

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1975年発表/グレープ5th/12位)

◯アルバム「コミュニケーション(1975年発表/グレープ3rd/7位)」初収録。

これも初期の代表曲。

「母がまだ若い頃、僕の手を引いて、この坂を登るたび、いつもため息をついた。ため息つけば、それですむ。後ろだけは見ちゃダメと、笑ってた白い手は、とても柔らかだった。運がいいとか悪いとか、人は時々、口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見てて、そう思う。」

 

⑤縁切寺

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「コミュニケーション(1975年発表/グレープ3rd/7位)」初収録。

シングル化されていませんが、無縁坂に次いで有名な同系統の曲です。

「今日、鎌倉へ行ってきました。二人で初めて歩いた街へ。今日、鎌倉は人影少なく、思い出にひたるには十分過ぎて。源氏山から北鎌倉へ、あの日と同じ道のりで、辿り着いたのは縁切寺。」

 

⑥フレディもしくは三教街ーロシア租界にてー

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「コミュニケーション(1975年発表/グレープ3rd/7位)」初収録。

さださんに大きな影響を与えた祖母の実話ロマンスに基づいた名曲。

「フレディ、あなたと出逢ったのは漢口(ハンカオ)、揚子江沿いのバンドで、あなたは人力車夫をとめた。フレディ、二人で初めて行ったレストラン。三教街を抜けて、フランス租界へとランデブー。」

 

⑦線香花火

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1976年発表/1st/38位)

◯アルバム「帰去来(1976年発表/1st/3位)」初収録。

ソロとしてのデビュー曲です。繊細で美しい曲。

「あれはカシオペア、あちらは白鳥座。ぽつり、ぽつりと、僕が指差す。君はひととおり頷くくせに、見つめているのは僕の顔ばかり。君は線香花火の煙にむせたと、ことりと咳して、涙を拭って、送り火のあとは静かねって。」

 

⑧夕凪

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「帰去来(1976年発表/1st/3位)」初収録。

このファーストアルバムの中で、一番好きだった曲。

「今は、こうして膝を抱えて、寄せては返す波の思い出に身を任せていよう。あの日、同じ水際で君は、消えていく足跡が悲しいと、だからそばにいて、と言った。」

 

⑨雨やどり

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1977年発表/2nd/1位)

さださん、最初の1位獲得シングル曲です。さださんのらしいユーモアあふれるコミカル・ラブ・ストーリー。

「それは、まだ、私が神様を信じなかった頃、9月のとある木曜日に雨が降りまして、こんな日に、素敵な彼が現れないかと思ったところへ、あなたが雨やどり。」

 

⑩最終案内

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「風見鶏(1977年発表/2nd/1位)」初収録。

セカンドアルバムでいちばん好きな曲。

「掲示板が君の飛行機を示す。あと25分で君は舞い上がる。引き留めるのならば、今しかないよと、壁のデジタル時計が、また一コマ進む。あの頃は、止まれとさえ祈った時間を、知らず知らずのうちに、君は持て余している。」

 

⑪案山子

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1977年発表/4th/15位)

◯アルバム「私花集(1978年発表/3rd/1位)」初収録。

さださんの代表曲のひとつ。

「お前も都会の雪景色の中で、ちょうど、あの案山子のように、寂しい思いしてはいないか、身体をこわしてはいないか。手紙が無理なら電話でもいい。「金たのむ」の一言でもいい。お前の笑顔を待ちわびるおふくろにきかせてやってくれ。元気でいるか、街には慣れたか、友達できたか。さびしかないか、お金はあるか、今度いつ帰る。」

 

⑫主人公

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「私花集(1978年発表/3rd/1位)」初収録。

時が経つにつれて、ますます世に知られるようになった人気曲。

「メトロの駅の前には『62番』のバス。鈴懸並木の古い広場と学生だらけの街。そういえば、あなたの服の模様さえ覚えてる。あなたの眩しい笑顔と、友達の笑い声に、抱かれて私は、いつでも、必ず煌めいていた。」

 

⑬パンプキン・パイとシナモン・ティー

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「夢供養(1979年発表/4th/1位)」初収録。

この曲で歌われている喫茶店〝あみん〟が、岡村孝子のグループ名〝あみん〟の由来。

「パンプキン・パイとシナモン・ティーに薔薇の形の角砂糖ふたつ。シナモンの枝でガラスに三度、恋しい人の名を書けば、愛が叶えられると娘らは信じてる。」

 

⑭木根川橋

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「夢供養(1979年発表/4th/1位)」初収録。

4thアルバムで、いちばん好きな曲。

「先生、俺たちの木造校舎、すっかりなくなっちまったんですねえ。それに、あの暑い夏に、重いローラー転がしてならしたテニス・コートの上に、プールなんてできちまって…。先生、時の流れって、そんなもんですかねえ。」

 

⑮道化師のソネット

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1980年発表/11th/2位)

「関白宣言」と並ぶ、さだの代表的なヒット曲。

「君のその小さな腕に支えきれないほどの哀しみを、せめて笑顔が救うのなら、僕はピエロになれるよ。」

 

⑯HAPPY BIRTHDAY

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1980年発表/11th/道化師のソネットの裏面)

道化師のソネットの裏に隠れてしまっていますが、実は、隠れた名曲です。私は、こちらの方が好き。

「だからHappy Birthday、Happy Birthday、昨日までの君は死にました。おめでとう。おめでとう。明日からの君の方が、僕は好きです。おめでとう。」

 

⑰距離(ディスタンス)

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「印象派(1980年発表/5th/1位)初収録。

アルバム中、最も印象的な曲。

「都会は決して人を変えてはゆかない。人が街を変えていくんだ。人と人との距離が、心に垣根を静かに刻み始める。もうそろそろ帰ろう。帰らなくちゃいけない。僕が僕であるうちに。」

 

⑱検察側の証人

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「印象派(1980年発表/5th/1位)初収録。

歌詞が良いです。上記の「距離」「ミルクは風になった」「博物館」と並ぶ、このアルバムの代表曲。

「違うわ、別れた夜のあの娘の姿見てないからよ。一晩、私の部屋で泣いて、血を吐くほどに泣いて、謝り続けていたわ。確かに、それはあの娘の心変わりがすべてだったわ。けれども、あの娘なりに、いつも、一生懸命、いつも、生きようとしてる。生きている。」

 

⑲驛舎

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1981年発表/13th/9位)

中島みゆきさんの「ホームにて」、松山千春さんの「足寄より」と並ぶ、〝故郷〟をテーマにした名曲。

「君の手荷物は、小さな包みがふたつ。少し猫背に、列車のタラップを降りてくる。驚いた顔で、僕を見つめてる君は、昨夜一晩泣き続けていた、そんな目をしてる。故郷訛りのアナウンスが今、ホームを包み込んで、都会でのことは誰も知らないよ、話すこともいらない。驛舎に降り立てば、それですべてを忘れられたらいいね。」

 

⑳鳥辺野

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「うつろひ(1981年発表/6th/1位)」初収録。

〝鳥葬〟をテーマとした荒涼としたイメージの曲。

「前のめりのまま、無造作に投げ出された愛が、季節に追われ、転んだまま、野晒しになっている鳥辺野。」

 

㉑第三者

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「うつろひ(1981年発表/6th/1位)」初収録。

検察側の証人のアンサーソング。印象的な佳曲。

「死んだ珈琲、挟んだままで、外の信号の変わる数を、テーブルに映る黄色で数えて、ついでに思い出も数えて。」

 

㉒分岐点

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「うつろひ(1981年発表/6th/1位)」初収録。

コミカルでアップテンポの明るく楽しい佳曲。ファンに根強い支持があります。

「昔の恋人、僕を呼びつけて、また例によって失恋話。普段はまったく音沙汰もなしに、どこかの誰かと別れる度に呼び出す。悲しい時には、お腹が空くたちで、それも決まってミートパイとソーダ水。」

 

㉓不良少女白書

作詞作曲 さだまさし

◯アルバム「昨日達…(1981年発表/初ベスト/3位)」初収録。

これは、埋もれた名曲です。ほとんど知られていませんが、いい曲です。

「あの娘はいつも、悲しいくらい、ひとりぽっちで部屋の片隅でうずくまってた。誰かが自分を救いにくるのをじっと待ってるけど、誰もこないとわかってる。」

 

㉔Birthday

作詞作曲 さだまさし

◯シングル(1997年発表/52th/ー)

1990年代のさださんの名曲。

「幸せをありがとう。温もり届きました。何よりあなたが元気でよかった。宝物をありがとう。思い出届きました。生まれてきてよかった。」