2022年2月24日、ロシア軍のウクライナ侵攻が、本格的に開始されました。現在、首都キエフ含めて、ウクライナの主要な軍事施設や飛行場は、ロシア軍の攻撃を受けています。非力なウクライナ軍にはなす術もありません。すでに、ウクライナの制空権は、ロシア軍の空挺部隊によって制圧されたようです。
翌25日、ロシア軍の戦車部隊は、早くもゼレンスキー大統領のいる首都キエフに肉薄し、26日にはキエフに侵攻、市街戦が始まりました。
キエフが陥落して大統領が拉致されれば、ウクライナが解体する恐れがあります。ウクライナは、国家として存続できないかもしれません。
開戦3日で首都が陥落寸前となるようでは、そもそも手も足も出ないということです。
今のところ、27日、開戦4日目、首都キエフの包囲戦は、まだ続いています。
それにしても、ここまでウクライナ全土に疾風のような電撃戦を展開してきた、果敢かつ断固としたロシアの意思と行動力と比べて、侵攻を阻止しようとしたアメリカ、イギリス、EU、日本など主要諸国の無力・無能・無気力ぶりが際立ちます。
第一、中国も参加しないというのに、方策は経済制裁のみとか、何の意味もありません。また、ロシア人は、経済的窮乏には慣れており、非常に逞しいので、経済的締め付けだけでは簡単には折れません。多くのロシア人が「経済制裁は何も怖くない」と言います。
加えて、西側政治家たちの「ウクライナを支持する」という声明(リップサービス?)は、言うだけタダですし、それに何の意味も行動も伴わないことは、世界中が知っています。ロシア人は、国際社会の非難の大合唱にも慣れているのです。
ロシア軍を、口先だけで止めることはできません。共に戦う以外に、ウクライナを救う術はないのです。
とは言え、結局のところ、ウクライナは、NATO加盟国でもアメリカの同盟国でもないので、主要諸国にはウクライナの防衛義務はありません。
だから、ウクライナは、助けてくれない主要諸国に文句を言うことはできません。
「この国を守るために、ロシア軍と戦ってくれ!」と、同盟国でもない諸国民に対して要求をする権利は、ウクライナにはないのです。
ウクライナが、ソ連崩壊後、大量に保有していた核兵器を放棄する代わりに、米英露が、ウクライナの主権・政治的独立・領土保全のための安全保障を提供することを約束したブダペスト覚書(1994年署名)など、結局、何の役にもたちませんでした。
英米は、ウクライナに対する安全保障の約束(ブダペスト覚書)を守る気はない。
そのことを知っているから、ロシアはためらうことなく、ウクライナ侵攻を始めました。いざとなったら、誰もウクライナを助けないことを知っていたからです。プーチン大統領も、「介入しようとする第三国には核攻撃も辞さない」という姿勢をちらつかせています。
そして、案の定、ウクライナは、アメリカ、EU、日本など、先進諸国に、すぐに見捨てられてしまいました。誰も、ウクライナを守るために、ともに戦うことなく、あっさり見殺しにしたのです。
それほどに、ウクライナの存在は、世界中から軽く見られています。
ロシアにとって、ウクライナは、まな板の鯉も同然です。
ゼレンスキー大統領は、アメリカからの国外脱出援助の申し出を「戦闘は続いており、必要なのは乗り物ではなく弾薬だ!」と拒絶し、首都キエフの大統領官邸に閣僚と留まり続けています。
ここで自分が逃げ出したら、ウクライナ軍は崩壊し、「脆弱で不甲斐ないウクライナ」の姿が歴史に刻まれる、それはすなわち、ウクライナの民族としての死を意味するということを、彼はよく知っているのだと思います。
これまでの政策はともかく、この土壇場において、ゼレンスキー大統領は、その勇気と愛国心を、命をかけて、世界に示し続けており、民族の誇りを象徴する存在となっています。
とは言え、ウクライナの健闘も、いつまでも続くものではなく、降伏は時間の問題であることは確かです。
そもそも、ウクライナがロシアの侵攻を阻止するためには、なりふり構わず独自核武装を成し遂げるだけの強権を有する独裁者が必要でした。他国が、ウクライナのために血を流すことを期待するよりは、独自核武装の方が、よっぽど現実的な自衛手段であったと言えるでしょう。「ウクライナは、1994年に、核を手放すべきではなかった」ということです。
その意味では、北朝鮮の強引な核ミサイル開発の方針は、自国防衛の手段としては、けっして間違ってはいないのです。
翻って、日本はどうでしょう。
日本は、太平洋戦争後、一度も他国の侵略にさらされたことはありません。それは、これまで圧倒的に世界最強であったアメリカ軍の軍事基地が、日本国内にあるからです。戦後、米軍基地が、敵の攻撃にさらされたことは、ほとんどないのです。これまで、米軍基地・領域を先制攻撃した国は、史上、日本とアルカイダと北朝鮮だけで、核保有国の北朝鮮を除いて、その報いを受けています。
日本は、ウクライナと違ってアメリカの同盟国ではありますが、唯一の命綱として、アメリカの軍事力だけに、未来永劫、頼り続けることはできないでしょう。
そもそも、極左プロ市民が叫ぶように「米軍は日本から出て行け!」と言うのであれば、米軍の庇護がなくなった後の自衛手段も考えておく必要があります。
日本は独自核武装すべきなのか、あるいは、通常兵力の増強だけで、中露の侵攻意思を挫けるように、本格的に軍事大国化するべきなのか?
ナショナリズムの問題ではなく、冷静な安全保障の問題として、はっきり言えることが、いくつかあります。
日本の人口はロシアとほぼ変わりません。経済力はロシアより上の面もあります。GDPで言えば、日本はロシアの3倍です。技術的には、その気になれば、半年で独自核武装できる科学技術力と産業基盤もあります。
地政学的には非常に厳しい位置にありますが、それでも日本には、中露に対抗して独自に自国防衛できる潜在能力はあります。
あとは、日本国民自身の意思によるのです。
中国、ロシアには、諸外国に対抗しうる強いリーダーを求める大多数の国民の意思があり、その国民の熱い支持が、習近平とプーチンの政権を支えているのです。元来、基本的に、国民性として、ロシア人も中国人も、強い男が好きなのです。習近平もプーチンも、ある意味、自国民の望む〝大人〟〝英雄〟のイメージを、意図して体現しようとしているだけです。
また、ロシア人の国民性の特色として、同志や身内や味方には非常に手厚く、決して裏切らないが、敵に対しては、冷酷で苛烈で残虐であるという面があります。実際、ロシアには「次に誰を殺す?」という有名な仲間内の合言葉があります。
ヒトラーが極めてドイツ的な指導者であり、習近平が、中国的な指導者であるのと同様に、プーチンもまた、極めてロシア的な指導者なのです。
日本の指導者もまた、極めて日本的であるということができるでしょう。国民が、指導者をつくるのです。ですから、国民が、自国を守るという強い意思を持たなければ、指導者もそうした意思を持つことはないでしょう。
日本国は、地政学的に、非常に難しい地に位置しています。我が国の周囲では、北朝鮮含めてほとんどすべての国が核武装しており、アメリカ、中国、ロシアという世界最上位の軍事大国同士が、互いを警戒しあいながら睨みあっています。日本は、ちょうどその狭間にあるのです。
しかも、日本に近接する最も近い国々、韓国・北朝鮮・ロシア・中国は、どこも日本の友好国ではありません。さらに、NATOのような日本が参加しうる信頼できる集団安全保障機構も近くに存在しません。その意味で、日本は、かなり孤立した状態にあります。
例えば、NATO諸国にしても、自国周辺にNATOがなければ、インドのように、独自核武装を目指したでしょう。イタリア・ドイツにしても同じです。ですから、日本の立場に立ってみれば、日本が独自核武装の意思を持つことを非難できる国は、どこにもないと思うのです。その立場に立てば、皆、考えることは同じです。
では、私たちは、どのような道を選ぶことを望むでしょう。私たちは、どう自国を守っていけばよいでしょうか?
窮地に陥るウクライナの現実が、私たちに警告していること、そして、私たちが、今、ロシアのウクライナ侵攻から学ばなければならない最大の教訓は、『領域の実効支配能力を有する軍事力を背景としない、または、その行使の意思を持たない〝空想的平和主義者〟の外交力は、自国防衛と平和維持のために、何の有効な力も持ち得ない』ということです。
平和憲法が、この国の平和と安全のために、重大な障害として立ち塞がっています。日本国民の多くが、日本を取り巻く国際状況について、ごく普通の理解をし、妥当な判断をするのを邪魔をしているのは、多くの日本人の脳に巣食う固定化された観念・価値観と、習慣によってパターン化された非現実的な〝平和〟妄想なのです。
そのことを、明確に意識・理解できない国民は、いずれ国を失うでしょう。その時、私たちは、自由と繁栄も、同時に失うことになります。代わって隷属と屈辱と貧苦の時代が始まるのです。
私たちが、公平に物事を考えるのを邪魔をしているのは、国民の心を縛っている戦後教育の刷り込み・洗脳によって凝り固まった極めて特異な価値観であり、平和憲法による精神的〝去勢〟の結果なのです。それが、上記の集団妄想を生み出した元凶と言えるでしょう。
共産党の志位委員長は「(日本で)プーチン大統領のようなリーダーが選ばれても、(日本が)他国を侵略できないようにする条項が憲法9条なのです」と自身のツイッターに書いています。つまり、志位氏が恐れていることは、日本がロシアのように侵略者となることなのです。それに対して「では、他国が日本を侵略しようとする時に、9条は何の役に立つのでしょう?」と、多くの国民が思い始めています。大多数の国民が案じているのは、日本がウクライナのように侵略されることだからです。
ところが、日本人は、ウクライナのように、侵略者に対して、市民が武器を取って戦うという意識が醸成されていません。
アメリカやウクライナのように、日常から、武器に触る習慣もないし、敵が攻めてきた時に備えて、市民が自主的に軍事教練を受ける習慣もありませんし、ロシアや中国や北朝鮮のように、小中学校から、教育の一環として、軍事教練で銃を撃つことを教えることもしません。
韓国やスイスのように、国民皆兵の徴兵制がしかれているわけでもありません。
この国には「いざとなれば、市民一人ひとりが国を守るために、銃を持って戦うのだ」という意識がまったく欠如しています。
憲法前文には「諸国民の正義と公正と平和を愛する心を信頼して、我らは武器を捨てることにした」と、戦力不保持を謳っています。しかし、国家の安全保障を、そのような極端に偏向した平和教信仰に基づいて構築してよいのか、という問題を、私たちは、戦後、一度も、真正面から議論したことがありません。
このように、憲法前文と9条と戦後教育こそが、我が国が現実的な安全保障政策を実現するのを阻んでいる元凶なのです。
ウクライナの悲劇から、私たちは、国際社会の現実からかけ離れた自らの妄想を退け、真実の世界を知らなければなりません。ここで目覚めなければ、本当に手遅れになります。
トランプ氏の言うように、ウクライナの次は台湾、その次は尖閣です。