アフリカ南部のカラハリ砂漠で、自由で自律的な生活を営んでいた人類最古の種族である「サン族」は、彼らの生活圏に在る世界最大級のダイヤモンド鉱山を手に入れたかったボツワナ政府の手によって、その先祖代々の生活圏を取り上げられて強制移動させられ、狩猟採集による自給自足の伝統的生活ができなくなり、今では、ボツワナ政府の用意した居住地で、何もせずに、政府の援助と保護に頼って、怠惰に自堕落に食っちゃ寝の生活をしている。
朝から晩まで、酒を飲み、タバコをふかし、ビリヤードに興じる以外、何もしない若者たちを眺めて、サン族の長老はため息をつく。自立して生きていく術を奪われて、先祖代々営んできた生活から切り離された彼らは、人間としての誇りも気概も失ってしまった。こんな状態では、生きているとは言えない。
こうして、ホモ・サピエンスの黎明期の遺伝子であるA系統のY染色体ハプログローブを持ち、古代から自律的な生活を営んできた誇りある「サン族」の伝統文化は、今、解体・消滅しつつある。
ちなみに「サン族(ブッシュマン)」は、20世紀初頭のドイツ人による大虐殺で8割が殺され、残りが奴隷化された遊牧民族のコイコイ人(ホッテントット/ナマ人)と共に、現存する唯一のA系統最多頻度種族「コイサン人種(カポイド)」を形成する種族だ。
つまり、サン族の遺伝子は、およそ27万年前に発生した最初の「新人(ホモ・サピエンス)」の遺伝子を色濃く受け継いでいる、現在生き残っている中では、もっとも古い希少な系統の遺伝子なのである。
サン族の現在の総人口は約6万人で、北海道在住のアイヌとほぼ同じだが、現在、彼らは砂漠に暮らす唯一の採集狩猟民族である。身長は成人男子で155cm程度。平均成人身長150cm以下のピグミーとは異なる。吸着音・クリック音を子音に使用する古代言語(コイサン語)を使用する。
「サン族」は、かつては「ブッシュマン(茂みに住む人)」と呼ばれ、世界に広く知られていた。1981年に南アフリカで製作された「ミラクル・ワールド ブッシュマン」というカラハリ砂漠での彼らの日常を描いた映画が、当時、日本でも大ヒットしていて、サン族の自由で陽気で逞しい採集狩猟生活の様子が大いに話題となった。あの頃、この映画に主演して、世界中で人気者となっていたブッシュマンのニカウさんを知らない日本人はいなかった。
また、1982年にサンリオから出版されたヴァン・デル・ポストの名作「風のような物語」と続編「遥かに遠い場所」も、ブッシュマンのカップルとカラハリ砂漠を旅する白人のティーンエイジャーカップルのお話だった。
一ヶ所に定住することなく、大自然の中に溶け込んで生きる「サン族」の生き様は、当時、とても眩しく感じられたものだ。1980年代前半、昭和末期の日本は、管理と依存、利潤と効率、競争と欲望の資本主義にがんじがらめになって首まで浸かっていた。ニカウさんのカラッとした陽気さ、足るを知る充足感と幸福感に満ちた、厳しくも明るい生活は、そうした資本主義社会の対極にあるものだった。彼らの存在は、本当に眩しかった。
ところが、その「サン族」が、今、ボツワナ政府によって、種族としての息の根を止められようとしている。ボツワナ政府は、サン族の強制定住を「自然保護のためだ」と言っているが、真っ赤な嘘である。「サン族の生活圏にあるダイヤモンド鉱山を手に入れるためである」ことは、誰の目にも明白だ。
ボツワナは、総人口235万人の小国でありながら、世界第二のダイヤモンド産出国であり、それゆえに、ボツワナの経済は、ダイヤモンド産出の収入に強く依存している。ダイヤモンドの採鉱による収入は、ボツワナのGDPの3分の1を超え、輸出総額の90%を占める。外貨獲得の手段は、ダイヤモンドの他に、ニッケルや銅などあるが、いずれも鉱物資源である。そうした世界有数の豊かな鉱産資源が、カラハリ砂漠にはあるのだ。
しかし、そんなことは、貨幣経済の外で自給自足の生活をしていたサン族には、何の関係もない話である。
人間の肥大し偏った目先の欲望が、文化人類史上もっとも重要な文化を滅ぼし、ヒトの生物多様性を狭め、長い目で見て、人類社会を滅亡の危機に陥らせる結果となる。実に愚かな所業である。