浜比嘉島は、沖縄本島の勝連半島と橋で繋がっている島の一つです。浜比嘉島は、さらに、平安座島、宮城島、伊計島とも橋で繋がっています。

 

この4つの島が、沖縄本島と繋がったのは、本島と平安座島の間にある広大な干潟に、全長4.75Kmの「海中道路」と呼ばれる埋め立ての道を通したことによります。

この「海中道路」開通の条件は、平安座島に、石油備蓄基地を建設することを島民が受け入れることでした。開発当時、島は、賛成派と反対派に分かれて激しく対立しました。反対闘争は長く続きました。しかし、今になってみると、海中道路のない生活など、島民には考えられないでしょう。実際、道路ができる前には、干潟を歩いて渡る島民が、満ち潮の渦に巻かれて、よく亡くなったそうです。

当時、平安座島の石油備蓄基地建設反対運動に関わった人たちは、その後、石垣島の新空港建設反対運動などを経て、辺野古基地建設反対運動に加わっていきます。

「海中自体は、今では観光名所の一つになっている感があり、クリスマス・シーズンにも、寒空の下、パラセーリングを楽しむ若者が集まります。

 

さて、浜比嘉島への道順ですが、沖縄本島の東海岸にある勝連半島から「海中道路」を通って、まず最大の島である平安座島に入ります。平安座島は、巨大な石油備蓄基地がある島です。平安座島からは、2つの島に橋が架かっています。そのうち島の最奥にある橋の一つは、四つの島の中で最も小さい宮城島へと繋がります。そして、宮城島はさらに橋で伊計島へと繋がります。伊計島には、橋のすぐ近くに伊計ビーチ、奥へ進んだところに大泊ビーチと、2つのビーチがあります。そのうち、大泊ビーチには、姓名判断で有名な占い師の方がいて、予約が半年先まで埋まっているそうです。それから、伊計島の一番奥には、お客さんがほとんどいないことで有名な巨大な〝幽霊ホテル〟があります。

宮城島、伊計島は、観光客がほとんどいない静かな島です。

この4島だけに限った話ではなく、一般に、沖縄本島の東側の海岸は、観光地としての開発が、ホテルや店舗が乱立する西海岸に比べて、あまり進んでいません。その分、落ち着いた佇まいを見せてくれます。

 

平安座島から橋が架かっているもう一つの島が浜比嘉島で、浜比嘉島へ向かう浜比嘉大橋は全長900mで、この4島を結ぶ橋の中でも最長の美しい橋です。

浜比嘉島は周囲6.5Kmほどの小さな島ですが、島には二つの集落があります。橋を渡って浜比嘉島に入るとT字路になっていて、右に向かうと浜、左に向かうと比嘉という集落に着きます。

比嘉集落の港付近には、沖縄開闢の祖とされる女神アマミキヨ(アマミチュー)の墓があり、さらに奥に向かうと、アマミキヨが男性神シルミチューと過ごしたとされる「シルミチュー」と呼ばれる霊所があります。「シルミチュー」は、沖縄本島の東西南北を司る四つの霊所のうち、『東の霊所』にあたります。

「シルミチュー」は、大きな鳥居をくぐり、108段の石段を登った先にある岩の洞窟です。この洞窟に、今日も、沖縄中のユタなど、多くの人々が〝ウガン(御願)〟に訪れます。

 

霊場の多い沖縄県の中でも、浜比嘉島は特別な島の一つです。また、有名な霊所やスピリチュアルなパワー・スポットが、比嘉集落に多いので、観光客も浜よりも比嘉に向かう人が多いです。

ところが、歴史的には、浜の方が古く、浜の人に言わせると、『浜には600年前から人が住んでいましたが、比嘉の方は400年前に島外から人が集まってきて生まれた寄留民の部落で、よそ者の集落なのだ』と言うのです。そのため、今でも、浜と比嘉では、言葉のイントネーションも違うし、交流も少ないそうです。顔立ちも、集落によって、それぞれ少しづつ異なっているように思います。

それにしても、こんな小さな島の中で、400年経っても二つの集落の人がほとんど婚姻などで混じらない、交流がない、仲が悪い、というのが、いかにも沖縄らしいというか、普通に考えると、逆にすごい話だと思うのです。

宮城島と伊計島など、隣の島の人同士も、基本的にあまり仲が良くないと聞きます。内地から移り住んだ人が、『「小国寡民」という面もあるのでしょうが、それよりも、むしろ、ここ沖縄は〝差別の島〟ですねえ』と言うのも、無理はないと言うか、住んでみての実感のこもった話です。

 

浜比嘉島の浜集落には、比嘉集落のように目立った有名な霊所はありませんが、向かいの平安座島が望める海岸線は非常に美しいです。夕陽の綺麗なのんびりとした浜辺です。

集落のはずれには、ふるさと海岸と名付けられたビーチがあり、12月後半に入った今も、大勢の人がテントを張ってキャンプを楽しんでいます。ビーチへの入場料もなく、テントを張るのも無料なので、家族連れなどが集まります。

沖縄のビーチは、ホテルや地主に囲い込まれて、一般の人が気安く立ち入れないところが増えています。その中で、この浜比嘉のビーチは、誰でも遊べる自由な場所として、すべての人に開放されています。

クリスマスにもお正月にも、内地から来ている若者たちが、気温21度のポカポカ陽気の中、ハンモックでうたた寝、気温15度の曇り空の下であっても、ウィンドサーフィンやジェット・パックを楽しんでいます。ダイビングに訪れる人もいます。

浜集落に入ると、沖縄の田舎特有の時の止まったような雰囲気に包まれて、癒される気もします。よそ者が、集落の一員として認められ、受け入れられることは、永遠にないでしょうが、だからこそ、ここでは「時が止まっている」のかもしれません。

 

比嘉集落では、内地から移り住んだ若い女性が、アマミチューの墓の向かいあたりでパーラーを営業しています。塩分控えめの自家製油味噌を使用した特製のポーク卵おにぎりと地元特産のもずく入り手作りクラムチャウダーがオススメです。また、比嘉集落に向かう途中の道沿いでは、これも、内地から移り住んだ若い夫婦が、見晴らしの良いロッジで「空とコーヒー うきぐも」というカフェを営んでいます。こちらも自家製ツナやチキンのサンドイッチが美味しいです。総じて県外から来て商売している人が多い印象です。

対照的に、浜集落では、地元の男性が、自宅でフレンチレストラン「むいにー亭」を営業しています。自家製の無農薬野菜を使ったサラダが美味です。それから、浜の港では、地元の女性が、沖縄天ぷら屋を営んでいます。もずく入りコロッケが美味しいです。

他に古民家食堂などもありますが、いずれも、地元の人が営んでいます。

 

 

ところで、内地からやって来る若い旅行者や移住者に、地元沖縄の人間が、驚かされることが、一つあります。沖縄天ぷらのお店では、天ぷら一袋500円とかで売っているのですが、内地の若い人は「天ぷら一つ」「天ぷら一個」という注文の仕方をするのです。本人は何も気づいていませんが、沖縄の人間からすると、失礼極まりない注文の仕方です。

30年ほど前、札幌の友人が「内地から来る観光客で、北海道のラーメンは量が多いからとか言って、お店に2人で入って一杯だけ注文する、本当に失礼な連中が増えた」と嘆いていましたが、「天ぷら一個」は、もっと酷い。それどころか「ゴーヤーチャンプルーを一つに、ご飯3つ」と3人で注文する若い子たちが普通にいるのです。

ケチというか、みみっちいにもほどがあります。30年経って、人間の質がさらに悪くなった気がします。自分のことしか考えてない。そういう身勝手な若いお母さんに育てられた子供たちは、さらに自己中心的な人間に育つでしょう。

100均、チェーン店ばかりが栄えて、個人商店が潰れていく。企業は生き残るが、個人がすりつぶされていく。

こうして、日本人自身が、日本経済をダメにしていくのです。自分で自分の首を絞めているのに、そのことに気づかない。

もっと相手のことを考えましょう。それが、実は自分の幸せに繋がるのです。