①ドラゴンヘッド(全10巻)作者望月峯太郎

平成の漫画ではあるが、昭和の雰囲気を色濃く感じさせる作風。

▶︎連載雑誌「週刊ヤングマガジン」(1994年10月〜1999年

世紀末(90年代)を代表する「地球大絶滅の物語(カタストロフ・ストーリー)」。奇しくも連載開始直後の1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災を予言するかのような物語でもあった。

地球中心部の内核近くから表層に向けて、急激に上昇するマントル対流(スーパープルーム)が及ぼす地殻大変動によって、世界各地で火山活動の活性化と致命的な地表破壊が生じ、人類の文明が全面的に崩壊する。日本でも、富士山と関東平野を中心とするスーパープルームが、関東圏をまるごと呑み込む超巨大噴火口を出現させ、それによって東京大都市圏が壊滅し、国内のほとんどの国家的・組織的・社会的機能が消失する。

主人公の高校生テルとアコの2人は、修学旅行で東海道新幹線に乗っている途中、静岡で列車がトンネルに入った直後、富士山噴火に伴う巨大地震に遭遇した。列車は脱線し、トンネル内で横転して無惨にひしゃげた車両は、血まみれの乗客たちの阿鼻叫喚の地獄と化し、さらに、トンネルの出入り口は、瓦礫で埋もれてしまう。

7万5000年前に人類の総人口を数千人規模にまで減少させた破滅的な超巨大噴火による大絶滅「トバ・カタストロフ」に匹敵する、極限の天変地異のもたらすパニック状況の中で、偶然、生き残った2人の高校生が、その後の狂気の世界を生き延びていく、リアルでダークなサバイバルの物語。

「この世が終わりだったとしても、独りじゃなくてよかった。」

 

 

②最終兵器彼女(全7巻)作者高橋しん 

▶︎連載雑誌「ビックコミックスピリッツ」(掲載期間1999年12月〜2001年10月)

これも、世紀末を代表する地球破滅の物語(カタストロフ・ストーリー)。連載終了直前に起こった2001年の9.11同時多発テロを予言するような物語である。

北海道の小樽(?)に住む高校生の主人公シュウジの彼女ちせは、日本の自衛隊の誇る最終兵器にされてしまった。

常軌を逸した世界規模の巨大な政治的大変動によって、日本は〝敵〟の侵略に晒されることになる。突如、札幌の空は、〝敵〟の重爆撃機の編隊によって覆われ、無差別空爆によって街が破壊され、市民が虐殺されていく。この強大な敵を迎え撃つ自衛隊の切り札が、高度なナノテクノロジーの結晶であるサイボーグ兵器に生まれ変わった〝普通〟の女子高生ちせだった。

ちせは、自衛隊最強の進化する生体兵器として、国防の最前線で戦うことを強いられる。それを知りながら、ちせを愛し続けるシュウジ。ちせを気遣うシュウジと、シュウジの生活を守りたいから、世界最強の兵器として、世界各地の過酷な戦闘に身を投じるちせ。

ただの無知で平凡な高校生であるシュウジとちせの目線で、不合理で非日常的で救いのない戦争体験が語られ、不気味で何も希望のない地球滅亡の物語が淡々と語られていく。2人には、日本を侵略する〝敵〟が、具体的には何なのか、すらわからない。

ただ、ありふれた日常が跡形もなく破壊されていく、親友が、幼馴染が、家族が、わけもなく死んでいく。そして、かつての平和な光景は、2度と取り戻すことはできない。そのことだけは、2人にもわかっていた。

圧倒的な絶望しかない状況の中、高校生シュウジとちせの純愛が、どんな結末を迎えるのか、ただそれだけを抒情的に描いていく。

救いも希望もない無機質な終末の世界に、まったくそぐわない〝かわいい〟という感覚を持ち込んだ先駆的な作品。世界の破滅と一個人の日常の極端すぎるギャップが印象的。

 

 

③がっこうぐらし!(全12巻)原作海法紀光/作画千葉サドル

原作者(ライトノベル作家)と作画者(漫画家)の二人三脚で作品を生み出すという、2010年代に最も一般的になった制作方式で創作されている。そして、物語の内容の深刻さ・悲惨さ・救いのなさと、絵やキャラクターのかわいらしさ・明るさ・萌えとの激しいギャップが、作品の大きな特徴の一つとなっている。

▶︎連載雑誌「まんがタイムきららフォワード」(掲載期間2012年7月〜2020年1月)

2011年の3.11東日本大地震後の日本を代表する人類滅亡の物語(カタストロフ・ストーリー)。連載末期2020年1月に始まったコロナ・パンデミックを予言するような物語にも思える。アメリカのホラー作家リチャード・マシスンの「地球最後の男(このオレが最後の人間)」にインスパイアされた作品でもあるようだ。

バイオテック企業「ランダル・コーポレーション」によって製造された生物兵器(細菌orウイルス)が、社員による不注意な流出によって、世界規模のゾンビ感染症によるパンデミックを引き起こす。その結果として、文明は崩壊し、社会は完全にその機能を止め、人類はほぼ壊滅状態となる。さらに、各地に点在する、ごく僅かな生き残りたちさえもが、変異ウイルスor細菌による空気感染によって、たとえゾンビと接触していなくても発症し、やがて死んでゾンビ化していく。

こうした世界規模の絶望的なカタストロフの最中、たまたま巡ヶ丘学院高等学校の屋上にいたために生き残った同じクラスの3人の高3生、ゆき、くるみ、ゆうりと、担任の女性教諭めぐねえの、その後のサバイバルの物語。

常に周囲を圧倒的な〝死〟に囲まれながら、孤立して生き続けるしかない救いのない世界で、ある者は、ただ、今日を生き残ることだけを考える。これまで続けてきた学校の日常の中に自らを埋没させ、現実から逃避することで、過去の幻想の中に救いをみいだそうとする者もいる。また、ある者は、誰もいない死の街で、それでも、呼びかけに応える人が現れることを夢見て、毎日、独りでラジオ放送を続ける。光のない暗闇の中で、命を削りながら、それでも希望と繋がりを求める子どもたち。

「生きるために、誰かを切り捨てることは間違っている。」

 

 

④裏世界ピクニック(既刊7巻)作者宮澤伊織/作画水野英多

▶︎連載雑誌「月刊少年ガンガン」(掲載期間2017年2月〜)

異界が、現実世界を侵食していく、2010年代に相応しい極限のホラー・ストーリー。ロシア(旧ソ連)を代表するSF作家ストルガツキー兄弟の名作「ストーカー(路傍のピクニック)」にインスパイアされた作品とも言われる。

廃墟や廃屋を1人で巡るのが好きな女子大生空魚が、ある日、異界への入り口を発見する。その異界で、空魚は、もう1人の少女鳥子に出会う。

この作品は、いまだ連載中で、結末が分からず、作品世界も、必ずしも「終末の世界」を舞台としているわけではない。今後のストーリー展開で「人類滅亡のカタストロフ」が待ち受けているかどうかも、予想できない。

ただ、なんとなく、感覚的に上記の3作品と並べてみたくなっただけだ。作品の醸し出す空気が似ているというのが、その理由だ。

3作品との共通点は、物語の始まり、あるいは終わりにおいて、主人公の家族・肉親が全員死んでいるところ、そして、どの作品においても、そもそも家族・肉親の存在感が非常に希薄なこと、特に父親(父性)の不在は顕著だ。

この作品では、物語の始まりの時点で、すでに空魚も鳥子も、家族は1人もいなく、友達もいなく、互いに完全にひとりぼっちである。また、2人にとって、死んだ母親には良い記憶イメージがあるようだが、父親は、控えめに言っても「いてもいなくても、どうでもいい人」「必要のない人」、悪く言ったら「生きていて欲しくない人」「邪魔な人」である。

加えて、作品内容において、上記3作品と同様に、『極限の世界で、生と死の狭間を生き抜く、生存者の物語』であることは確かだ。