日本人は、世界で最も不安遺伝子を持つ人の割合が高いと言われます。

この不安遺伝子には、脳内ホルモンの一つである「セロトニン」が関係しています。セロトニンには、不安を鎮め、満足感を与える機能があり、別名「幸せホルモン」とも言われます。

精神の安定に寄与するホルモン「セロトニン」を、脳内で再回収する「セロトニントランスポーター」には、セロトニンの回収・生成量の多い「L型」と、セロトニン回収・生成量の少ない「S型」の2種類があります。遺伝子型では、セロトニン生成量の多い方から、「LL型」>「SL型」>「SS型」の3種類となります。

L型のセロトニントランスポーターを多く持つ「LL型」遺伝子の人は、楽天的・楽観的で、ストレス下でも精神が安定しやすく、S型のセロトニントランスポーターを多く持つ「SS型」遺伝子の人は、悲観的で、緊張症で、ちょっとしたことでも不安やパニックに襲われやすいということです。この「S型」遺伝子が、不安遺伝子と呼ばれるものです。

この遺伝子型の違いによるセロトニン供給量の差は、個人間の差であると同時に、民族差や人種差も観察されます。

一般に、脳内セロトニンの量は、黒人>白人>黄色人種、アフリカ人>欧米人>アジア人の順で、前者が多く、後者が少ないようです。その理由は、「S型」遺伝子保有率の違いにあります。具体的には、黒人(20〜30%)<白人(40〜60%)<黄色人種(70〜90%)と、「S型」不安遺伝子の割合が相当に違います。

特に、日本人は、L型トランスポーターを持つ人が極端に少なく、総人口の3割程度しかいないのに対して、S型を持つ人は、総人口の9割を超えています。それだけ、セロトニン供給量が少ないわけです。

詳細に見ると、日本人の遺伝子型は、「LL型」が2%、「SL型」が28%、「SS型」が70%という調査があります。このうち「SL型」と「SS型」を合わせて、『S型』不安遺伝子保有と呼ぶわけですが、この場合の『S型』不安遺伝子保有率は、日本人では98%と、世界でも突出しているのです。

アメリカの場合、「LL型」が32%、「SL型」が49%、「SS型」が19%ですから、比較して、日本人が、圧倒的にセロトニン不足であることがわかります。特に、日本人の7割を占める「SS型」の人は、慢性的なセロトニン不足に陥っているのです。

脳内のセロトニンが不足すると、向上心や意欲が低下し、イライラ感や慢性的な疲労感が強まり、不眠やうつ症状が現れるようになります。

さらに、脳内のセロトニン分泌量は、視床下部のストレス中枢の興奮によって、抑制されてしまうので、直接的には、ストレスの増加によって、脳内のセロトニンが欠乏します。そうなると、心のバランスが不安定になり、パニックに襲われやすくなったり、暴力的になったり、ボーッとしてしまったりするほか、慢性的な寝覚めの悪さや姿勢の歪み、慢性的な身体の痛み、自律神経失調症などの原因となります。

このため、日本人は、神経質で、何かと悲観的になりがちで、些細なことで、常に不安に苛まれる人が多いと考えられるのです。

環境要因としては、日光を浴びる時間の短さや更年期障害なども、セロトニン不足の原因となります。逆に、ランニングやサイクリングなどのリズミカルな運動によって、脳内セロトニン分泌が促されます。

もっとも大切なことは、感情を揺すぶられる体験を味わうことです。それによって、セロトニンが多量に分泌され、心が鎮まり、ゆったりと寛ぐことができるようになります。

 

 

今回のコロナ禍においても、日本人の神経症・不安症の側面が顕著に現れています。

多くの日本人が、過剰にコロナを恐れる傾向があり、メディアがその不安を煽るので、政府も世論に押されて、必要以上に経済を失速させる政策を打ち出さざるを得なくなります。しかし、そもそもウイルスを国民生活の自粛によって完全に抑えるのは不可能であるため、いつまで経ってもコロナは終息しません。その結果、経済活動の抑制を強いる政府の支持率は下がります。

自民党政府打倒を目的とする左派メディアの狙いはそこにあるわけです。政府を叩くために、コロナも、国民経済も、天皇陛下すら利用しようというのです。政治権力との闘争に勝つために国民を犠牲にして省みない、そのメディアの独りよがりな独善の姿勢は、本末転倒の極みです。

また、日本医師会などは、コロナ患者を扱いたくないので、医師会会長中川氏、尾崎氏ら、いわゆる〝専門家〟たちは、自分たちの既得権益を守るため、また、保身のために、日本のコロナ病床数が少なすぎるとか、コロナ患者を扱う病院が少なすぎるといった不都合な事実を問題とせず、欧米の1/10以下のレベルの感染者数で、「医療崩壊だ!」と国民を不当に脅します。

さらに、その不要で理不尽な医療業界からの脅迫を、専門家コンプレックスの強いメディアが意味もなく増幅させ、不安症の国民を焚き付けて、世論を政府批判へと誘導します。

しかし、政府には、都市を完全封鎖(ロックダウン)する権限もないし、医療業界にコロナ患者を看るように強要する権限もありません。それで、政府は、仕方なく、人流抑制のために、国民に自粛を求め続けることになります。しかし、それでは感染を抑制しきれない。必ず、次の波が来る。その度に、政府への国民の支持は弱まる。メディアの目論見通りです。

一方で、「世界一権限の弱い日本政府に、パンデミックや情報戦やサイバー戦など安全保障と私権制限に関わる問題に際して、より強い権限を与える必要性」についての公の議論は、一番肝心の議論であるにもかかわらず、これまで同様に回避され続けるのです。この情けない状況には、亡国の危険すら感じます。

自粛要請や休業要請によって、国民が経済的に追い詰められるのは、根本的には身勝手に騒ぐ専門家とメディアのせいです。しかし、容易に不安を掻き立てられ、情報の印象操作によって、たやすく誘導されがちな日本国民の不安症の問題でもあります。

これもまた「万事に悲観的で何かと過敏で神経質な国民性」によるものか、「コロナ関連で1万5千人が亡くなった1年半の間に、実は、コロナ関連の2倍の3万人が自殺している」のが、この国の実情です。統計的には、コロナより自殺の方が、問題として深刻です。

さらに、自殺者のほとんどは、うつ病などの気分障害、統合失調症などの精神障害を抱えています。ですから、脳内のセロトニン不足が、自殺の主要な原因となることは明らかです。

「不安」による負のスパイラルが、この国の活力を奪い、国民に生きる希望を見失わせ、死に追いやっているのです。

創業141年(明治13年/1880年創業)の浅草の老舗すき焼き屋「ちんや」が、来月8月16日からコロナ騒動で閉店に追い込まれることになりました。その他にも、昭和の大恐慌や敗戦、大正期の関東大震災やインフルエンザ・パンデミックを生き延びてきた、江戸期・明治期創業の老舗の名店が、次々と廃業に追い込まれています。これは、人災です。

利己的かつ独善的な思い込みと策略によって、ただでさえセロトニン不足で不安症に陥りがちな日本国民の不安を煽りたて、神経症に追いやるマスメディアと専門家たちの凝り固まった偏向姿勢は、長い目で見て、この国を滅ぼす元凶となるに違いありません。コロナへの不安に駆り立てられた市民による自粛警察とか、マスク警察とか、ワクチン強制とか、何もかもが愚かしい限りです。

このように国民を操ることに、罪の意識を感じられない彼らメディアと専門家の精神こそ、サイコパス的と言わざるを得ません。

 

 

私は、オリンピック開催に絶対賛成です。有観客で結構です。

「政府を批判することが正義」「あらぬ不安を掻き立て、国民を反政府に扇動することが使命」という、この国のメディアの左に偏ったあり方には、もう愛想が尽きかけています。

コロナウイルス対策にゼロリスク(感染の終息)を求めるのは誤りです。愚か者の所業です。

そもそも、総人口1億2千万人の国で、1日の感染者数が千数百人であれば、すでに「感染は収束している」と言っていいでしょう。実際、アメリカ人の多くは、人口あたりで日本の3倍の新規感染者を出している現時点で「コロナはすでに収束した」と考えています。マスクもあまりしません。アメリカだけでなく、大抵の国の人々は、不安・神経症の日本人とは、まったく異なる感覚・理解・判断で生きているのです。

しかし、いずれの国・地域においても「収束」はしても「終息」は決してしない。この手のウイルス感染の終息を期待するのがおかしいのです。コロナは風邪ウイルスの一種なのですから、この先、何年経っても、終息する見込みはありません。感染が終息しないのを、政府のせいにするのは、お門違いというものです。

実際、日本以外の国では、コロナ感染が広がっても、政府の支持率はそれほど落ちません。日本の10〜20倍の感染死者を出しながら、ドイツもスウェーデンもフランスもイギリスもアメリカも、日本より政府の感染対策への支持率が高いのです。また、諸外国には、自分がコロナに感染したからといって、日本人のように罪の意識を感じる人は、ほとんどいません。それに比べて、日本人の神経質さは世界的に見て度を越しています。ウイルス感染にまで責任を感じなければいけないというような神経症社会は、はっきり言って病んでいます。

インフルエンザで、毎年、4000〜1万人が亡くなり、その他、通常の風邪ウイルスによる肺炎で、毎年、年間10万人の死者がでる国で、コロナ関連の一年半での累積死者数1万5千人だけを、殊更に問題とするのは、どうしたことなのでしょう。これは、まさに、コロナ・ヒステリーです。

コロナで年間5000〜1万人亡くなるのが、これほど問題なら、例年、コロナと同じレベルで人の命が失われてきたインフルエンザも、同程度の問題として扱われるべきです。また、毎年コロナの10倍の人数が亡くなる〝風邪ウイルスによる肺炎〟は、コロナの10倍怖いはずです。

しかし、風邪の感染拡大で、緊急事態宣言が出されることはありません。風邪の大流行で、人流抑制のために経済を止めたりはしません。風邪の感染予防で、三密回避など気にしません。なぜ、コロナだけが特別なのでしょうか?

そもそも、たとえ仮に、コロナが「終息」したとしても、この国の死者数は、さして減少する見込みはありません。実際、昨年度は、コロナ禍の最中、実は11年ぶりに死亡者数が減少していたことが、超過死亡の減少からわかっています。コロナのおかげで、かえって死者が減っているというのに、何を怯えているのか。本当に、意味のわからない虚しい空騒ぎです。

現在、新型コロナウイルスは、変異によって、感染力は強まれど、弱毒化して、重症化率・死亡率が下がっていき、風邪ウイルス化していく過程にあると考えられます。

もし、今後、変異によってコロナが風邪ウイルス化したなら、風邪のウイルスに対して、ワクチンを打つ必要などありません。誰も打とうとは思わないでしょう。また、風邪の流行で、オリンピックを中止する国などあり得ません。あったら、その国は、歴史に恥を刻むことになるでしょう。

現時点で、コロナウイルスが、どれほどの脅威なのか、冷静に、よく考えてみましょう。

コロナを、必要以上に恐れないことです。メディアに騙されないことです。

以上、考察してきたように、我が国のコロナ禍は、自然との戦いというより、むしろ、専門家やメディアや運動家が煽る不安と疑心暗鬼による社会的混乱、医療業界の自己都合によるコロナ不対応といった人為との戦いという側面が強いのです。

公益より自分の立場を優先させる心ないメディアと専門家による煽動と情報操作と国民意識コントロールに、これ以上、踊らされてはなりません。

このままでは、我が国の国民と政府は、海外からも容易に情報操作されるようになるでしょう。「日本は情報操作に弱い国」と目されて、諸外国に、いいように操られてしまいます。

 

 

橋本聖子五輪組織委員会会長は、こう述べています。

過去のオリンピックは、どの大会も感染症と戦っています。2016年のリオ大会でも、ジカ熱で現地は大変でした。ジカ熱が怖いから、(大会に)こなかった選手もいました。私も、選手団団長として、自国の選手を守るために、独自の対策をしなければなりませんでした。リオでどれほど大変だったか、日本の皆さんには伝わっていないかもしれません。

自転車の大会でも、周辺地域で、エボラ出血熱が発生していて、対策して行った経験があります。(スポーツの大会は、すべての国において、常に、感染症との戦いになっているのです。

また、オリンピックは「平和の象徴」です。すでに、2019年の国連総会で、世界186ヵ国の共同提案で「オリンピック休戦決議」が採択されています。オリンピック開幕の7日前から、終幕の7日後まで、59日間は、世界が休戦するという決議をしてもらっているんです。このような休戦決議を伴う大会・イベントは、オリンピックだけです。たとえ一時的であっても、戦火に怯える人々に安らぎを与えられる。その価値は、決して小さくありません。

ところが、この休戦の意義や重さについてお話ししても、メディアはなかなかニュースにしてくれないのです。

日本が、(オリンピックを中止し)世界との約束を果たせないということになれば、非常に大きな責任問題だと思います。

困難なことをやめるのは誰にでもできます。それをどうやって克服して、日本の素晴らしい力を世界に発信していくのか、そのことが今一番大切だと思うんです。

あらゆる力を結集して前に行こう。それをしないことは、元々日本の持つ素晴らしい文化を、何か、なくしてしまうんじゃないか、という危機感さえ感じます。

 

 

私も、その通りだと思うのです。

東京オリンピック開催に向けての強い意志が感じられ、いろいろあったけど、この人が、会長になって本当に良かったと思います。

その逆に、西村宮内庁長官の発言は、天皇陛下の政治利用によって、メディアのオリンピック攻撃の片棒を担ぎ、東京オリンピック、政府、日本国に打撃を与えようという意図を持った、万死に値する亡国発言と言うべきでしょう。

「(直接そういうお言葉があったわけではありませんが)陛下は東京オリンピック開催が感染拡大につながらないか懸念を抱いていると拝察いたします。」

あの発言ではまるで、天皇陛下が東京オリンピック開催に反対の心情を匂わされたかのように、あるいはオリンピックへの国民の反発を気にして、長官の言葉を介して姑息な保身を図っているかのようにさえ、受け取られる可能性があります。しかし、それが昭和天皇のお孫さんである陛下の困難に立ち向かう姿勢とは、とうてい思われません。まさに、秋篠宮家、あるいは西村長官自身の左派的、あるいは保身的な人格の滲み出た愚かな発言です。

日本国は、東京オリンピックを、力を結集して成功させねばならない。そのために、無私の心で必死に頑張っている人たちがいます。一方では、たかだか累積感染者数が総人口の1%累積死者数が欧米の1/20の感染症に怯えて、オリンピックをするな、と叫ぶ、どうしようもない政府不信の人々や自己中心的で神経症的な不安に取り憑かれた人々がいます。

しかし、繰り返しますが、日本は、絶対に東京オリンピックを成功させなければならない。

国家のメンツというのは、それほどに重いものなのです。メンツを失うことが、結果として、その国の滅亡につながるかもしれない。そういう、ごく当たり前の大局観や危機意識を持たない、大人としての知恵の足りない、〝せこい〟〝みみっちい〟〝情けない〟〝自己中心的な〟〝神経症的でヒステリックな〟日本人が増えすぎたのかもしれません。

私の中国の友人たちは、皆、日本人の態度を理解不能と首を振っています。「オリンピックをやめろって、国のメンツを潰してどうするんだ。」「これは自由ではない、ひどいわがままだ。」「中国人にも、わがままはいるが、こんなことを言うのは許されない、いや、許してはいけない。」

その通りです。実に危ういことです。

「何が危機なのか?」を取り違えないことです。

 

 

私たち、日本人は、偏った情報と印象操作によって増幅された不安に翻弄されるのではなく、不安と闘うことを学ばなければなりません。不安から逃れようとして、かえって「ハメルンの笛吹の笛の音に操られて、一斉に崖から海に飛び込んでいく子どもたち」のような愚かな結末を招く、近視眼的な国民性を、いつまで経っても脱却できないままでは困るのです。

常に、深い哲学と豊かな感情を持って、自らの心を揺り動かし、セロトニンの分泌を促す術を学ばなければなりません。

自ら豊かに生きることが、この国を豊かにすることにつながるような生き方を探らねばなりません。

自分自身と、大切な人と、この国の未来のために。

まずは、せかせかと焦らず、ヒステリックにならず、ゆったりと構えてみましょう。

 

 

繰り返しますが、次々と現れるコロナ変異種は、感染力は強まりますが、その代わりに弱毒化していきます。重消化率も致死率も、次第に低くなります。症状も、風邪に近いものになっていきます。

例えば、デルタ株(インド株)は、アルファ株に対して、感染率は2倍ですが、死亡率は1/20という英国の調査結果もあります。

変異が進むと、ワクチンは効きにくくなりますが、そもそも、風邪レベルまで弱毒化したウイルスに対して、副反応の強いワクチンの接種など必要ありません。ワクチンは、まだ感染者の重症化率が高い初期の段階での緊急対処の一つに過ぎないのです。獲得免疫の抗体も、どうせ、半年程度しか持ちません。変異種には、そのうちワクチン接種で獲得した抗体も効かなくなりますし、ワクチンが唯一の希望だなんて、誤った認識にすがるのはやめましょう。ワクチン接種後の死者数(350人/7月5日現在)も増えていますしね。

感染対策として、手洗いはこまめにすべきですが、屋外ではマスクなど必要ありません。屋内でも、エチケットとしてはマスクも有用ですが、ほとんどの場合、感染対策にはなりません。現在の日本人は、血中酸素濃度をいたずらに低下させてしまうマスク神経症の状態にあります。

リラックスして、セロトニンを分泌させ、自然免疫を高める方が、感染対策としては、はるかに有用です。

たとえ感染者数が、1日に5、6000人程度にまで増えようと、何の問題もありません。

安心して、オリンピックを楽しみましょう。

 

 

歓迎、賛成、東京オリンピック開催!有観客OK!

コロナ神経症に負けるな!

 

 

〈参考〉

イギリス(総人口6665万人)ワクチン2回目接種率50%

1日の新規感染者数2万4千人(7/3) 1日の死者数(1週間平均)17人

日本(総人口1億2630万人)ワクチン2回目接種率13% 

1日の新規感染者数1884人(7/3) 1日の死者数(1週間平均)25人

※デルタ株の割合が50%を超えているイギリスでは、ワクチ接種していない若者の間に感染が広がっているが、重症化率は低く、死者数も低く抑えられている。日本は、ワクチン接種率はイギリスよりはるかに低いが、人口あたりの感染者数はイギリスの1/20以下である。

日本ではデルタ株の割合が10%未満だが、これから増えるだろう。それに伴い、感染者が若年層に若干広がることは間違いないだろうが、ワクチン接種していない若者が感染しても、イギリスの例から推測できるように、重症化率・死亡率は低く抑えられるだろう。

コロナ・パンデミックは、日本においては、これまでも、心配するほどのことではなかったし、これからも何も心配することはない。

 

※※例えば、昭和46年の交通事故死は年間1万6,000人でした。命のリスクをゼロにしたければ、高度経済成長の只中で、日本全土をロックダウンするしかなかったでしょう。

ゼロリスクってアホらしいです。

緊急事態宣言が発令された東京都及び沖縄県内のホテルは、軒並み満室に近く予約が取りにくい現状です。宿泊料金も高いです。ツアーの料金も、6月末と比べて、倍以上に値上がりしています。実際には、本当は誰もコロナなど恐れていなかった。

なぜ、無観客にするかなあ。馬鹿じゃなかろか。

デルタ株という、本来、恐れる必要のないものを恐れている。これも、すべて、ゼロリスクを求める専門家たちとメディアのせいです。感染者数が多少増えようが、重症者数が減少している以上、有観客で行うべきだったのです。