たとえ、どんな盗聴・盗撮内容が暴露されるとしても、小室圭さんを退け、縁を切ることが、秋篠宮家を、ひいては皇室を救うことになります。

国民は、その勇気ある決断を、必ず支持するでしょう。国民を信頼することです。

 

今、皇室に関わるすべての人に求められていることは、強い意志を持って、眞子さまを説得し、破談に持ち込むことです。

それが、結果として、この国を救うことになるのです。

 

あまりにも、世間知らずすぎて、モノを知らなすぎて、人を見る目がない上に、人の言うことをまったく聞かない眞子さまの説得が、誰の言葉を持ってしても不可能であるなら、そのように眞子さま、佳子さまを育てたこと、子どもに言い聞かせることができない親子関係であることから、秋篠宮さまと紀子さまへの国民の批判は、ますます強まるでしょう。

悠仁さまの次期天皇としての未来を危惧する声も高まるでしょう。

「公」より「私」を先に考える天皇など、あってはなりません。

しかし、秋篠宮家の子どもたちに、それを期待できるでしょうか。

秋篠宮家の教育力そのものに対して、国民は深い疑念を抱き始めているのです。

 

現在、さまざまなアンケートや世論調査の結果で、ほとんどの国民(9割以上)が、小室圭さんと眞子さまの結婚に反対しています。

多くの国民の結婚反対の理由は、次第に誰の目にも明らかになってきた小室圭さんの〝人間性〟にあります。

「自分も母も、何も悪くない。悪いのは元婚約者。」

「俺は裁判になっても絶対に勝つから、争うならいつでも相手になってやる。」

「法的に負けるつもりはないから、誰にも文句は言わせない。」

「両性の合意に基づいて、自分たちの好きに結婚させてもらう。」

「世の中、どれだけ人を自分のために利用しようと、何が悪いというんだ?」

「最後は、金と権力を得て、のし上がった者の勝ちなんだよ。」

「じきに、お前ら、下々の連中には手が出せないところまで、上り詰めてやるよ。」

そう言わんばかりの、あれほど世話になった相手への感謝も思いやりも、かけらも感じられない、自分の正当性だけを誇示する態度に、国民はほとほと嫌気がさしているのです。

その厚かましい野心を、日本国の象徴である皇室にだけは向けて欲しくない。

これが、日本国国民の総意です。

 

このままの状態が続けば、あるいは、今年の秋に予定されているという眞子さまと小室圭さんの結婚が現実のものとなれば、国民は、秋篠宮家そのものを見限るでしょう。

その場合、早急に皇室典範の改正が必要になります。

女系天皇である愛子さま立太子を可能とするためです。

 

とは言え、すでに、結果は、ほとんど見えていると言ってよいかもしれません。

次代の天皇家、秋篠宮家では、ダメです。

紀子さまが、よほど改心なさらない限り。

 

沖縄では、親の世代の性情や失敗や悔いや欠陥や所業や因縁が、子や孫や曾孫の世代に持ち越され、受け継がれて、間違いが繰り返されてしまう現象を、非常に重視して、あらゆる家族の問題を掘り下げて考えていく風習があります。

この家族に受け継がれる負の連鎖を『チヂウイ(血筋継ぎ)』と言います。そして、この不幸な連鎖を、自分の代で断ち切りたくて、沖縄人は『ウガン(御願)』を行います。

しかし、多くの場合、このチヂウイを解消するのは、非常に難しく、生半可なことでは解決されないのです。

偉いユタに大金を積んでおがんでもらったとしても、そうそう簡単に解決するものではありません。

 

そして、今、秋篠宮家で起こっていることが、まさに、このチヂウイです。

少なくとも、私には、そう思えます。

この秋篠宮家のチヂウイですが、どう考えても、400万円程度の〝解決金〟で解決するものではないでしょうね。

 

『現状、皇室の存在意義が問われる事態となっている』と、ネット上の言論空間では、取り沙汰されるようになっています。

その通りなのですが、さらに言えば、『日本国が日本国のままであり続けられるか』が問われているのです。

皇室のない日本など、もう日本ではないからです。

一方で、個人の野心に容易に利用される皇室など、誰も望みません。

1800年の歴史の終焉が近づいています。

この危機を、どうしたいのか、国民も問われています。

 

皇室を、日本国を、あなたはどうしたいですか?

どのような日本に、あなたは生きたいですか?

 

さらに、日本国の国民が、皇族の方々にとって「自分の命をかけて、人生すべてを捧げて、守っていきたい」と、素直に思えるだけの存在であるのかどうか。

それが、問われているということでもあります。

「こんな国民のために、どうして自分が犠牲にならなければいけないんだ?」と、皇族の方々が、思ってしまうような国民であるのならば、皇族が「私」を優先するのも当然、ということになります。

それが、皇族に課せられた葛藤・煩悶であるならば、国民もまた、自分に課せられた義務や試練として、「日本国と皇室と国民の関係をどう考えるか、どうしたいか」を、自らに真摯に問うことは、当然のことです。

それが、他人事であるなら、私たちは、この皇族のご結婚問題に口を挟む権利など、ないのです。