東京医科歯科大学(国立)の学長・院長がこうおっしゃられました。

「昨年4月、世界中が恐怖でパニックになっている時点で、コロナから背を向けることは、医療従事者の教育機関として、あり得ない選択肢だと思いました。それは、これから医師として、病気と向き合っていくことになる学生たちに、よくない影響を与えるだろうと考えました。むしろ、コロナ患者を診るという経験は、臨床医として必ず良い経験になるはずです。それで、一時的に、外来をコロナに特化した病院として、コロナ患者を全面的に受け入れることにしました。」

医師としても、教育者としても、素晴らしい見識です。

最初は、「他の病院に研修に行っている研修医は、誰もコロナ患者を診ることなど求められないのに、どうして自分たちだけが、コロナ患者を診なければならないのか、不公平だ」という不平もあったそうですが、決して無理はさせず、少なくとも、感染可能性のないリモートの診断に参加するだけでも、必ず、その経験はプラスになる、と言い聞かせて、自分がどこまで参加したいか、研修本人の意思に委ねたところ、最終的には多くの研修医たちが、コロナ治療に加わってくれたと言います。

 

感染症医の病院内でのステータスが必ずしも高くない現状で、感染症部門が、病院内のイニシアティブ(主導権)をとって、病院首脳部に対してコロナ患者を受け入れるように働きかけることが、ほぼ不可能なのが、今の日本の医療の現実です。

実際、コロナ禍以前には、感染症医になろうとする研修医は、非常に少なく、ヘタをすると〝落ちこぼれ扱い〟されてしまうという面もあったと言われています。「何で感染症なんかに行ったの?」と言われてしまうわけです。

そうした中で、政府が国立大学にコロナ受け入れを指示する権限もない日本では、院長・学長の権限による個人的判断によって、コロナ患者を受け入れるかどうかが、決められてきたのです。

その意味で、東京医科歯科大学の決断は、この大学の非常に高い見識を、内外に知らしめることになりました。

特筆すべきことは、この病院が、これまで一度も院内クラスターを出していないことです。コロナ患者と非コロナ患者の仕分けが、スムーズに行っているためです。

第一派が収束した後には、どこの医療機関よりも早く、ICUを、コロナ患者専用と、その他の患者用に半分に分けるように改修し、現在では、コロナ患者とそれ以外の患者の両方を受け入れる体制を整えています。さらに、中等症の患者は、回復し次第、系列病院や信頼関係のある病院に転院してもらうシステムが機能しているために、現在の第三波の最中にも、中等症の病床数には余裕があるということでした。

 

メディアは、このような『トップの見識の高さこそが、病院の良心を救う』ということ、そして、結果的に「善意の献身的な医療関係者を見殺しにせず、無為にせず、活かすことになる」ということを、強く強調して報道すべきです。

もちろん、私は、東大病院や慈恵医大がコロナに特化すべきだとは思いません。それぞれの病院には、それぞれの使命があって然るべきです。すべての病院が、医科歯科大のようになるべきだとは思いません。

けれども、病院同士の協力体制は、早急に構築されなければならないし、その上で、多くの系列病院を持つ大学病院の使命は大きいということは、絶対に確かなことだと思うのです。

コロナ病床手当も、国から1床につき7.1万円支給されるわけですし、中等症の患者や回復期の患者は私立病院が看て、重症者はICUの完備した大学病院などの大病院が、ICUを二つに区分けし、感染対策をしっかり講じた上で引き受けるという体制が、全国で早急に構築されることを願います。

各都道府県も、患者が退院したら72時間以内に病床手当を打ち切るなどという沖縄県のようなことはせず、確実に病床確保に向けて働きかけて欲しいものです。

 

一方で、琉球大学病院では、県の「協力金」を財源にコロナ患者対応にあたる医師や看護師へ支給される特別勤務手当を、コロナ禍での収入減を理由に、他大学の半額に当たる日額2千円を提示したことで、労使が紛糾し、物議を醸しています。ちなみに県立病院などは日額4千円です。

いずれにしても、上記の医科歯科大の話とは、意識のレベルが違いすぎ、低俗極まりない、あまりに情けない話で、言葉もありません。