2020年11月5日、フジテレビBS放送のプライムニュースを観ていて、日本共産党政策委員長の田村智子参議院議員の発言に唖然とさせられた。
反町キャスターの「共産党の考えでは、全方位外交を進めていく上で、現在の防衛費は増やすべきでしょうか、減らすべきと考えているのでしょうか?」という質問に対して、田村智子参議院議員の回答は明快なものだった。
「現在の巨額の防衛費は無駄遣いです。国の安全は、軍事力ではなく、外交力によって成し遂げるべきです。」
しかし、2019年度の日本の国防費は世界第9位で476億ドルであり、GDPでは日本の1/3以下である第10位の韓国(439億ドル)の防衛費と、総額ではそんなに変わらない。その一方で、第4位のロシアは650億ドル、第2位中国は表向きの額面上は当てにならず、軍事研究費や海警局、武装警察の予算を含めると、推計2610億ドル、日本の6倍と言われる。GDP比で考えても、中国・韓国・ロシアの方が、日本の3〜6倍の軍事費を使っている。さまざまなデータを総合して観ても、巨額の軍事費を費やしているのは、明らかに、日本ではなく周辺諸国の方なのである。
しかし、共産党は、10年一日の如し。冷戦の終結も国際情勢の激変も、まったく意に介さない。彼らの意識は70年前と何も変わらない。あくまでも「日本政府が軍事大国化を目指している」と思いたいらしい。不動心とは、こういうことであろうか。
ごく基本的な疑問なのですが、共産党やその支持者たちがよく言う「軍事力・経済力・科学力の裏付けのない外交力」って何ですか?
上記三つの柱を国力と言います。三つの柱は、どの一本が欠けても、その国の外交は力を持ち得ません。この三つの力を持たない者の外交力は、国際関係において〝無〟です。何の力もない。外交力ゼロです。
なるほど、共産党の考える、日米同盟を解消し、自衛隊の費用を削減し、その上で行う全方位善隣外交というのは、それは外交というよりも、「相手の言うがままに奴隷になる」ということなのですよね。それなら、外交力ゼロでも、何の不都合もありません。争うことなく、ただ、相手の言いなりになっていれば良いのですから。
争いがないから、安全ですよね。
しかし、これは「奴隷の安全」というもので、いつの世も、奴隷の安全は、ご主人様のご機嫌次第です。
共産党のみなさんは、よく言いますよね。
核兵器や軍事力で威嚇するよりは、威嚇される方がいい。
経済的に支配するよりは、支配される方が良い。
銃で撃つよりは撃たれる方がいい。
経済的・政治的・軍事的に侵略するよりは、侵略される方がいい。
占領するよりは、占領される方がいい。
自分が核兵器を使用するよりは、相手に核兵器を投下される方がいい。
奴隷にするよりは、奴隷にされる方がいい。
やられたら、やられっぱなしがいい。
国際社会のいじめられっ子となったとしても、どこまでも耐え続ければいい。
でも、世の中には〝いじめ自殺〟というのも、あるんじゃないでしょうか。
「いじめはいけない!」とどんなに声を張り上げて訴えても、世の中のいじめは無くなりませんよね。
ねえ、共産党さん。
日本に、いじめられっ子になって自殺して欲しいのですか?
この国は、その気になりさえすれば、世界第3位の経済力と世界トップクラスの科学力を有しており、それなりに実効力ある軍事力を備えることが可能です。いじめられっ子にならなくてよい潜在力を持ちながら、わざわざ自ら弱体化を続けて、脅され、言いなりになる立場に、なぜ好き好んでならねばならないのでしょうか。そんな道をゆくのは愚かなことです。
ところが、任命されなかった6人の学者のみなさんは、上記の共産党の特異な国防意識を共有している珍妙な感覚の持ち主たちです。また、彼ら以外にも、学術会議のメンバーには、多くの共産党メンバーや親派の人がいらっしゃいます。
共産党の思想的影響下にある日本学術会議は、日本にその愚かな道を行くように導こうとしているハメルンの笛吹(※)です。自殺幇助罪で訴えたいくらいです。早く解散させて欲しいものです。
ところが、立憲民主党の蓮舫氏や辻元氏も、上記の奇妙な国防意識に強い共感を持つ方たちです。メディアにも、朝日・毎日・東京新聞・沖縄タイムズ・琉球新報など、同じ意識を共有している疫病神のようなメディアは数多くあります。これが、この国のリベラルの実態です。
よってたかって、この国を滅ぼす人たちです。
※ハメルンの笛吹の話は、ハメルンのマルクト教会のステンドグラスに書かれていた記述にある。「ある日、奇妙な格好をした男が現れた。彼が笛を吹くと、130人の子供が自らついていき、二度と帰ってこなかった」という内容である。
上記の喩えでは、奇妙な笛吹き男が、日本共産党とその思想的影響下にある知識人・学者・メディア・政治家・教育者であり、笛吹き男の笛の音に惹かれて破滅へ向かって導かれた130人の子供たちが、日本国民である。
外国人労働者に頼るのも、アメリカや欧州の轍を踏む滅びの道である。短期的な経済成長や人手不足より、もっと重要な問題があるのだ。それは、この国の安全と自立が脅かされているということだ。
国は、内側から崩壊することもある。外からの侵略で滅びることもある。大抵の場合は、内と外からの両方の作用で崩れていくのだ。
生きる力を失った日本の若者たち、その子供たちを無為に育てた能無しの日本の大人たち、そして、内にストレス多く、外からの力に無防備な危機感なき社会、それらが渾然となって、国の遺産を食い潰していく。
皇室では、小室圭問題も解決できぬまま、秋篠宮殿下が正式に皇太子になれらたが、これも行く末を考えるとあまりに不安である。
それから、常々、思うのだが、なぜ、京都の人たちは、天皇陛下を要した日本の都と自負し、千年の歴史と伝統を重んじるなら、天皇陛下を否定し、日本の解体を目指す共産党を、あれほどのさばらせるのか。京都大学や立命館大学や京都精華大学など、反日本的な左翼学者の巣窟を放置し、あまつさえ、擁護し続けるのか。まったく理解できない。
また、京都で学ぶ学生たちも、あれほどの歴史と伝統の中で学びながら、なぜ安易に反日サヨクに引きずり込まれるのか。愚かというにも程がある。