このほど、10月24日、批准国が50カ国に達したことにより、核兵器禁止条約が発効することになり、90日後の来年1月22日から、批准国には公的拘束力が発生することになった。
核兵器禁止条約は、批准国に、核兵器の開発・保有・使用、さらには核兵器による威嚇を禁じる。同盟国の核に依存する核の傘による核抑止も禁止、つまり、NATOや日米同盟などの集団安全保障体制を否定するものである。
〈核兵器禁止条約 批准国 50カ国〉
アンティグア・バーブーダ 中南米
オーストリア 欧州
バングラディシュ 南アジア
ベリーズ 中南米
ボリビア 中南米
ボツワナ アフリカ
クック諸島 南太平洋
コスタリカ 中南米
キューバ 中南米
ドミニカ国 中南米
エクアドル 中南米
エルサルバドル 中南米
フィジー 南太平洋
ガンビア アフリカ
ガイアナ 中南米
バチカン 欧州
ホンジュラス 中南米
アイルランド 欧州
ジャマイカ 中南米
カザフスタン 西アジア
キリバス 西アジア
ラオス 東南アジア
レソト アフリカ
マレーシア 東南アジア
モルディブ 南アジア
マルタ 欧州
メキシコ 北米
ナミビア アフリカ
ナウル 南太平洋
ニュージーランド オセアニア
ニカラグア 中南米
ナイジェリア アフリカ
ニウエ 南太平洋
パラオ 南太平洋
パナマ 中南米
パラグアイ 中南米
セントクリファー・ネイビス 中南米
セントルシア 中南米
セントビンセント及びグレナディーン諸島 中南米
サモア 南太平洋
サンマリノ 欧州
南アフリカ アフリカ
パレスチナ 中東
タイ 東南アジア
トリニダード・トバゴ 中南米
ツバル 南太平洋
ウルグアイ 中南米
バヌアツ アフリカ
ベネズエラ 中南米
ベトナム 東南アジア
〈その他、署名はしたが、批准はしていない国 34カ国〉
アルジェリア アフリカ
アンゴラ アフリカ
ベナン アフリカ
ブラジル 中南米
ブルネイ・ダルサラーム 東南アジア
カンボジア 東南アジア
カーボベルデ 大西洋
中央アフリカ アフリカ
チリ 中南米
コロンビア 中南米
コモロ アフリカ
コンゴ アフリカ
コートジボワール アフリカ
コンゴ民主 アフリカ
ドミニカ共和国 中南米
ガーナ アフリカ
グレナダ 中南米
グアテマラ 中南米
ギニアビサウ アフリカ
インドネシア 東南アジア
リビア アフリカ
リヒテンシュタイン 欧州
マダガスカル アフリカ
マラウイ アフリカ
モザンビーク アフリカ
ミャンマー 東南アジア
ネパール 南アジア
ペルー 中南米
フィリピン 東南アジア
サントメ・プリンシペ アフリカ
セーシェル インド洋
スーダン アフリカ
東ティモール 東南アジア
トーゴ アフリカ
タンザニア アフリカ
ザンビア アフリカ
批准国50カ国の内訳→中南米20カ国、アフリカ7カ国、南太平洋7カ国、欧州5カ国、東南アジア4カ国、その他7カ国
署名国34カ国の内訳→アフリカ18カ国、中南米7カ国、東南アジア6カ国、その他3カ国
そもそも、アフリカや中南米や南太平洋の島々に住む人々は、核攻撃の現実的な脅威など感じたこともないだろう。例えば、中南米諸国やアフリカ諸国や南太平洋の島国に核による脅しを行うアホな国はない。そんな必要は全くないからだ。ちょっとした経済援助だけで、いかようにも操れる。だから、彼らは核に怯える必要がない。そのため、悩まず、躊躇うことなく、気軽に、署名・批准できる。
※核保有国(五大国→アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエル/計9カ国)は、一国も署名していない。当然、批准国はない。
※NATO加盟国(米英仏含めて30カ国→カナダ・ドイツ・イタリア・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・デンマーク・ノルウェー・アイスランド・スペイン・ポルトガル・ポーランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・トルコ・ギリシャ・チェコ・スロバキア・ハンガリー・ブルガリア・ルーマニア・北マケドニア・スロベニア・クロアチア・アルバニア・モンテネグロ)は、一国も署名していない。当然、批准国はない。
※NATO以外のアメリカの同盟国(日本・韓国・台湾・サウジアラビア・オーストラリア/計5カ国)は、一国も署名していない。当然、批准国はない。
※サーロー節子さんの住んでいるカナダも、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の本部があるスイスも、ICANの事務局長ベアトリス・フィン氏の母国オーストラリアも、署名していない。当然、批准する予定はない。
そもそも、主要国は、一国も署名も批准もしていない。加えて、署名の予定もないし、わずかな署名の可能性の兆候さえ一切ない。条約に好意的なベルギーのような国でさえ、署名はしないと明言している。
以上、見てきたように、核保有国及びその同盟国、その他の主要国は、一国も署名も批准もしていないし、その予定も兆候もない。つまり、自国防衛に対する何らかの脅威(潜在的脅威あるいはその可能性も含む)があり、自国防衛のための核抑止力を検討できる経済力と科学技術を持つ国で、署名・批准した国は一国もないし、するつもりもないというのが現状だ。
逆に、上記した批准国・署名国は、人口・領域・経済規模・科学技術などの点で、他国・周辺国の軍事的威圧や侵攻に対して、現実的な対抗策を考えることが不可能な、周辺の地域覇権国家との比較において相対的に非力な国ばかりである。要するに、批准国・署名国には、署名する以前から「現実的な自国防衛の可能性」についての諦めがあるということだ。諦めているから葛藤なく署名できるのである。
その点で、人口が1億を超え、経済規模が世界第3位、科学技術も高度に発達し、潜在的軍事力は世界第5位と目されている我が国が、現実的な自国防衛の方策を諦めるわけにはいかない。
自国民を守る責任を持つ政府にとって、核抑止を全否定する核兵器禁止条約に署名することは、現状では重大かつ致命的な責任放棄を意味する。ある程度の規模と国力を持つ国家の指導者であれば、そのような決断は絶対にできない。このような無謀な条約に署名しないことは、むしろ、為政者として当然の責務である。どんな無能な為政者といえども、そこまでの暴挙は、なかなかできるものではない。
したがって、現状では、核兵器禁止条約の発効に、国際社会における現実的な効力は何もない。
この現状について、「唯一の戦争行為による被爆国でありながら、署名しようとしない日本政府の道義的責任は大きい」「核廃絶の理想を実現するために、日本は真っ先に署名すべき」というのが、国内の左派メディア、サーロー節子さん、ベアトリス・フィン氏の見解であるが、全く筋違いである。日本政府が自国民を守るために条約に調印しないのは、国の安全保障に責任ある者として真っ当な責任の取り方であり、そこに非難されるべき理由はない。
むしろ、他国に対して、国を滅ぼすに等しい選択を迫る彼らの傲慢さを非難したい。国際的な発言力を持っているだけに、その身勝手かつ軽はずみな発言の責任は重いと言えるだろう。
そもそも、地政学的に日本より核の脅威の少ないカナダやオーストラリアに住んでいながら、「被爆国のくせに、自分の住む国の政府と同じアメリカ同盟国の立場から、核抑止力を放棄できないことを理由に署名しない」といって、日本政府だけを、ことさらに非難するのは、本当に筋が悪い主張である。
フィン氏は「日本人は核の悲惨さを身に染みて知っているはずなのに、アメリカに核を使って欲しいのか?」と、喧嘩を売っているとしかとれない無神経極まりない物言いをする。
「『核を使って欲しいか?』だって?」「北朝鮮や中国やロシアの核攻撃を受けないために、何より核による威嚇を無効化するために、核の傘で国民の安全を担保する必要を痛切に感じているだけだ!」「自分はより安全なところにいて、よくもそのような侮蔑的な言い方ができるものだ!」「ICANという組織の独善性が、よくわかったよ!」と、多くの日本人は思うだろう。当然である。
人によっては、反日的行為ととられても仕方がないし、日本に対する西欧文化優位主義者からの人種差別的見解とも受け取れる。さらに、そうした発言を有効な外圧であるかのように取り上げる左派メディアの姿勢には、根深い欧米コンプレックスも感じられる。
残念ながら、その意図がどうであれ、多くの日本国民に素直な共感を呼ぶとは、とても思えない。
ロシア・中国という強力な地域覇権国家と国境を接し、独裁国家北朝鮮の核の脅威にさらされ、核武装も視野に入れて軍拡を進める韓国に隣接している我が国の安全保障の問題を、国民の命を守るという観点から責任を持って考える上で、核抑止力を安易に否定するのは、誠実な議論ではない。
「核抑止を認めることは核兵器を認めることだ」と条約批准賛成派は言うが、認めるも認めないも、核兵器は現実に各国に装備され、我が国を射程に入れている。認めようが認めまいが、核兵器は現実にそこにある。安全保障の観点を抜きにして、核廃絶を語ることは、非現実的で無責任であり、稚拙に過ぎる。
それでも、信念を持って〝丸腰〟でいるのは、無謀ではあっても個人の信念として尊重されるべきだが、それが国家の信念となるようでは困る。これは、日本国憲法の前文と第9条にも通じる問題だ。
戦力を放棄するとか交戦権を認めないとか武力による威嚇もダメだとか主張するのは、それは個人の命を賭けた信念としては尊敬されるだろうが、自衛隊も日米同盟も核の傘も憲法違反となれば、国としては立ち行かない。〝平和を愛する諸国民〟を安易に信頼して、非武装中立などしてもらっては困るのだ。
核兵器は絶対に悪であることは認めるが、この世には悪があまりにも多く蔓延っているのも現実である。我々は、この世界でサバイバルしていかねばならないのだ。無責任に核抑止を否定しないでもらいたい。
この対立と分断の時代に、調和をもたらすことを意図するのであれば、運動家の方々も、左派メディアも、野党も、もう少し違ったかたちで、核兵器の問題を取り扱うべきではないだろうか。
核兵器禁止条約の発効には、今はまだ象徴的意味しかない。隣国の核に対して核による抑止策の備えができる可能性のある主要国であれば、わざわざ、今ある(あるいは将来構築可能な)核抑止力による安全保障体制の枠の外に敢えて出たいとは、どこの国の政府も思わないだろう。また、『核の傘の庇護は要らない』と個人的信念を持って言える人が、どれほど増えたとしても、日本のように隣国の直接的な核の脅威に直面している場合には、それぞれの国内において、署名賛成派が多数派になることは絶対にないだろうと思われる。
もしも、それでも署名賛成派が、多数派を形成したとしたら、国民の愚かさが国を滅ぼす歴史の一例となるだろう。古代史においてカルタゴがそうであったように。
余談だが、「下地島空港を航空自衛隊が使用すべきだ」という議論がなぜ起こらないのか、不思議でしょうがない。「沖縄から米軍基地をなくしたいなら、自衛隊の能力を向上しなければどうにもならない」という発想には、なぜ至らないのか。そうでなければ「基地反対」の主張に何の現実味も感じられない。
さらに、余談だが、私は広島の被爆者でありながら、日本の核武装、あるいはアメリカの「核の傘」の必要性を強く主張する人たちを知っている。
一人は、東京に出た時、広島出身ということで、ずいぶんと差別されたそうだ。また、一人は、親兄弟を原爆で失くし、ただ一人、母親の兄のおじさん夫婦の家に身を寄せた時、ずいぶん辛い思いをしたと言う。母親の生きていた時は、優しかった従兄弟のお兄ちゃん、お姉ちゃんに「穀潰し、余計者」といじめられて、悔しすぎて心が引き裂かれたと言っていた。
核兵器禁止条約への参加の是非に関して、二人が共通して言っていたことは、「そんなに甘いもんじゃない」ということだ。
「人間というものは、それまで、どんなに親しく優しかった相手でも、こちらの立場が弱くなったら、途端に豹変することがあるものですよ。」
「この世で生きている以上、そういう覚悟も持っていなくてはね。」