京都精華大学という私立大学があります。

1979年に設置された大学ですが、その前身は1968年に開設された京都精華短期大学です。

初代学長岡本清一氏は、同志社大学法学部長だった方で、憲法問題研究会に参加されており、社会党推薦で、京都市長選に立候補されたこともある方です。

2000年に、マンガ学科を創設し、2020年まで竹宮恵子氏が教授を務めたことでも有名です。

2018年から、アフリカのマリ共和国出身で、中国の北京に留学し、南京で建築デザインを学び、その後、京都大学で博士課程を終了したのちに、2002年に36歳の時、日本国籍を習得したウスビ・サコ氏が、学長を務めています。

 

京都精華大学は、外国人留学生を多く受け入れており、現在、在学中の外国人学生は655名で、その内訳は中国人360名、韓国人239名、台湾人18名、その他38名です。留学生の9割は中韓から来ています。また、学部生の25%、大学院生の80%が、外国人留学生であるという最新データもあります。

北京の名門清華大学と名称が似ているためかもしれませんし、あるいは、マンガ学科のおかげかもしれません。あるいは、学長が中国語が堪能なこともあるかもしれません。

また、興味深いのは、人文学部です。准教授に佐々木中氏、客員教授に内田樹氏、教員に白井聡氏がいます。

この3名の共通点は、思想的・政治的に極端な反自民、反安倍政権の立場に立つ論者であることです。この3名の言動は、非常に過激です。

 

参考までに、最近の御三方の公的な発言を列挙してみると、

佐々木中氏のツイートから「自民党に政権担当能力はありません」「行き着くところはアウシュビッツ」「アウシュビッツなんて大袈裟?当時もドイツが敗戦して真相が明らかになるまでみなそう思っていました」

内田樹氏のブログから「安倍政権7年8カ月をどう総括するかと問われたら、私は『知性と倫理性を著しく欠いた首相が長期にわたって政権の座にあったせいで、国力が著しく衰微した』という評価を下す

白井聡氏の朝日新聞社の「論座」電子版の記事(2020.8.30)から「安倍政権の7年余りは日本史上の汚点」「私たちの再出発は、公正と正義の理念の復活なくしてあり得ない」「数知れない隣人たちが安倍政権を支持しているという事実、私からすれば、単に政治的に支持できないのではなく、己の知性と倫理の基準からして絶対に許容できないものを多くの隣人が支持しているという事実は、低温火傷のようにジリジリと高まる不快感を与え続けた

白井聡氏本人の安倍首相辞任会見後のツイッターから「俺は、たとえ安倍さんが亡くなっても、鞭を打ち続けるぜ。必要な限りな」

と、まあ、三者共に、似たもの同士という観があります。

 

最近、白井聡氏のフェイスブックの投稿が物議を醸しました。

事の始まりは、松任谷由美さんが、8月28日深夜のラジオ番組で、安倍首相の辞任会見について「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった。切なくて」「私の中ではプライベートでは同じ価値観を共有できる。同い年だし、ロマンの在り方が同じ。辞任されたから言えるけど、ご夫妻は仲良しです」「(今後は)もっと自由にご飯に行ったりできるかな」と発言したことです。

この発言は、人間である安倍晋三への親近感を表明した言葉で、必ずしも政治的発言とは言えないでしょうが、反安倍の人たちから見れば、親安倍の発言とはみなされるでしょう。

この松任谷さんのコメントに対して、白井聡氏が自身のフェイスブックで「荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」と投稿したのです。さらに「老いとは残酷なものだ」「戦後日本の劣化と共に(松任谷由美さんも)劣化していったということかもしれませんね」などとコメントしています。

この白井氏の発言に対して、橋下徹氏がツイッターで「こんな発言を俺たちがやれば社会的に抹殺だよ。白井氏は安倍政権をボロカスに言っているが、安倍さんもさすがに白井氏のようなことは言わない」「内田樹氏も相田和弘氏も山口二郎氏も同じタイプやな。朝日新聞も毎日新聞もこのタイプから早く脱却しないと」「京都精華大学は、さすがにこんな教授を雇い続けるのはまずいだろ」「この白井氏も、内田樹氏、想田和弘氏、山口二郎氏らと同じ匂いのするタイプ。そして朝日新聞や毎日新聞が重用するタイプ」と批判しました。

 

想田和弘氏と山口二郎氏は、京都精華大学の関係者ではありません。また、実際には、白井聡氏は講師であって教授ではありません。ただ、京都精華大学の人文学部の先生たちは、上記したように、内田樹氏含めて、かなり偏向している観はあります。

加えて、山口二郎氏、想田和弘氏、白井聡氏の三人は、安倍政権を全体主義と捉える安倍政権批判本(「開戦前夜」のファシズムに抗して〜さよなら安倍政権/2015)の共著者でもあります。

それから、実は、白井聡氏は、今年の5月に、きゃりーぱみゅぱみゅさんが「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグを投稿し、安倍政権批判をした際に、ネット上で「芸能人が政治的主張をするな!」といった安倍支持派の非難・攻撃が集まった時、政治評論家・加藤清隆氏の否定的発言を受けて、 「加藤清隆氏の発言には『歌手ふぜいが政治に口出しするんじゃない』という内容を含んでいたが、それは職業差別であり人権侵害にほかならない」「何を生業としていようとも、政治的意見を持ち、それを公にすることは、日本国憲法の基本的人権に含まれる」「したがって、加藤氏は、発言を撤回し、きゃりーぱみゅぱみゅ氏に謝罪する義務があろう」との意見をツイッターで公表していました。

素晴らしい意見ですが、その一方で、安倍さんへの心情的共感を示した松任谷由美さんに対しては、「老いの醜態と劣化を世間に晒すより、せっかく築いた名誉を失うくらいなら、若いうちに死んだほうがよかったですね」と、まるで、「あなたは犯罪者だ!」というレベルの扱いで非難・中傷を公言してはばからない、というのは、いかがなものでしょうか。自分は人権侵害しても許される、という特権意識でも、お持ちなのでしょうか。

 

その後、白井聡氏がフェイスブックを更新し、次のような声明を出しました。

「松任谷由実氏についての私の発言が、物議をかもしているということですが、削除いたしました。私は、ユーミン、特に荒井由実時代の音楽はかなり好きです(あるいは、でした)。それだけに、要するにがっかりしたのですよ。偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった。そういうわけで、つい乱暴なことを口走ってしまいました。反省いたします」「偉大な詩人には偉大な知性を期待したくなってしまう。要するに私は、ひどくがっかりしたのです」

さらに「それって国政選挙で何度も安倍政権を支えてきた多数の国民を馬鹿にしてるんだよな?」というコメントに対しては、「左様ですが、正確には、『馬鹿にしている』のではなく、馬鹿者に『あんたは馬鹿者です』とわざわざ教えてあげているのです」と応じています。

それに対して、再び、橋下徹氏が噛みつきました。

「白井氏は、松任谷さんに知性がないとの言い振り。ほんとこのタイプは自分に知性がないとは全く思っていないんだな」「たった一つのラジオの発言で、しかも自分が敵視する者に味方するような発言で、その人に知性がないという言いぶりをする白井氏。社会全体がサル化していると言う内田樹氏。両名、自分だけは賢いと信じ切る同タイプ。自分に知性がなく、サルだとは気づかない」

 

ここで、橋下徹氏は、白井聡氏の発言だけでなく、同じく京都精華大学の人文学部の客員教授である内田樹氏についても批判しています。内田樹氏は上記したように安倍首相を「知性と倫理性を著しく欠いた首相」と大上段から罵倒していますので、橋下徹氏が、噛みつきたくなるのも理解できないわけではありません。ちなみに、内田樹氏と白井聡氏は、「日本の反知性主義(2015)」の共著者で、共に安倍政権とその支持者たちを〝反知性主義者〟と非難しています。反知性主義者とは、簡単に言えば〝馬鹿〟ということです。

私から観ると、内田樹氏も、白井聡氏も、佐々木中氏も、著しく偏向した精神が、せっかくの知性に歪みをもたらしている、実に残念な人たちに見えます。

京都精華大学という立派な大学が、そのように偏向した知性によって教育が行われている場となっているのは、とても不幸なことです。

さらに、朝日、毎日といった大新聞が、そのような偏向した知性に対して、無批判であるばかりか、極めて親和性が高いというのも、恐ろしいことです。

 

白井聡氏は最終的に「先日の私のフェイスブック上での発言につきまして、多くのご批判をいただきました。人の生命を軽んじる発言、暴力的な発言であるとのご指摘を受け、自身の発言の不適切さに思い至りました。深く反省をしております」「松任谷由実氏に、心からお詫びを申し上げます。また、不快な思いをされた多くの皆さまにもお詫びいたします」と謝罪しました。

しかし、自らの知性や感性の性質や方向性について、根本的な疑いを抱くには至っていないようです。ですから、「自分は、馬鹿かもしれない」とは感じておられない。ですから、今後も、彼の考え方や感じ方には、なんの変化もないでしょう。

 

彼ら左派知識人や左派メディアや野党は「安倍政権が国民に分断をもたらした」と主張します。けれども、私から観ると、国民に分断をもたらしているのは、極端に偏向したメディアと知識人の影響力の方だと感じるんですよね。

その点で、「この国の国民を二分し、国民に政府への信頼を失わせたのは安倍政権だ」という内田樹氏の批判は、まったく的外れだと思います。日本国民が安倍政権を信じないように仕向けてきたのは、彼ら自身の偏った言動だからです。

 

私が、彼らの〝知性〟に疑問を抱くのは次の一点においてです。

今日の東アジア地域の軍事的なパワーバランスにおいて、日本の平和を守るため、日米同盟の維持を最重要視して、双務的な同盟に持っていくことを意図して、集団的自衛権を認めたことを、安倍政権のレガシーとして認められない者に、私は知性を感じることができないのです。

 

民主主義の国では、権力者とは首相でも天皇陛下でもありません。この国の権力者は〝国民〟です。

日本国憲法は、この国民の持つ権力に枷をはめることはできません。特に、国民を洗脳する者としての教育者や知識人やメディアの持つ権力は非常に大きく、その影響は甚大です。

私は、メディアや知識人という、この国最大の権力の暴走に、深い憂慮を覚え、国の行末に不安を感じています。

 

マックス・ウェーバーが「職業としての学問」の中で述べているように、「研究者や教育者は、自己の主張や価値基準を、学生に強要してはならない」のです。

けれども、今日、この国の知識人の多くは、「自分の価値基準を押し付けることが相手のため」であり「自分の価値基準と相容れない者は知性がない」と信じ込んでいます。

白井聡氏がその典型です。

『安倍政権はどんな政権だと考えられるか、自分で資料を見つけてまとめなさい』という課題を学生に出してみた。いま見てるんだが、辛辣なことといったらない! 『とてつもなく自分勝手』『自己保身以外ない』『うわべだけ』等々。」(←白井聡氏のツイッターより)

 

これも、マックス・ウェーバーが述べていることですが、「彼らが自分たちの学んだことを絶対化し、選民意識を持って、限られた範囲で人間関係を結ぼうとする時、極めてカルト的な狂信的集団に成り果ててしまう恐れがある」わけですが、例えば、京都精華大学の人文学部において、そのような現象が起こっている可能性を、私は憂慮します。

内田樹氏の述べる「集合的叡智」は、実は、現実には、狂信的カルトの温床として機能する洗脳機構に過ぎないものに成り下がっているのではないか、と私は疑っているのです。

同じようなことは、立命館や琉球大学でも、現実、起こっているわけですが。

 

そして、彼ら偏向知識人たちの姿は、内田樹氏自身が記している「反知性主義者たちの肖像」に驚くほどよく似ているのです。それこそ、「知識人自身がしばしば最悪の反知性主義者としてふるまうという事実(←内田氏の言)」の一端であるという気がします。

 

あなたが同意しようとしまいと、私の語ることの真理性はいささかも揺らがない」というのが反知性主義者の基本的なマナーである。(内田樹氏の言)

 

〝真理性〟というのは、ずいぶんと重い言葉です。少なくとも、安倍首相には似つかわしくない。安倍首相は、むしろ、極めて現実主義的であり、自分の責務に忠実で献身的であっただけです。自分の言葉に〝真理性〟がある、などとは思われておられないでしょう。

上記の内田樹氏の形容する反知性主義者の肖像は、知識人である内田樹氏自身や白井聡氏の言動や態度にこそ似つかわしく感じられます。これこそ、〝自画像〟というものでしょう。

日本の反知性主義者の根幹には、左派リベラルの反自民、反安倍の思想家の方々が、デンと座っておられ、今も、強烈な存在感を放っておられます。

 

私が考える〝反知性〟の特徴は、「常に自分の悪意や害意を、『自分は正義の側に立っている』と思い込むことで、容易に自己正当化してしまえる」「都合の悪いことについて、他人ではなく自分自身の心をごまかし、『自分は相手より上に立っている』と信じ込むことに長けている」」「特に、自分の知的・道徳的優位性を疑うことがない」という点です。

これは、日本の保守の特徴ではなく、明らかにリベラル左派に典型的な特徴で、同時に、韓国の左派・文在寅派の性格とも重なります。