そこには、ただ、音楽が流れているだけ。

 

2010年代後半に始まった80sを中心とする昭和のCITY POPの再発見は、YouTubeなどのウェブソフトを媒介にして、世界的な規模で続いているようです。

特に、竹内まりやさんの「Plastic Love(1984)」は、YouTube再生回数が5000万回を超えており、その人気の高さから、今のCITY POP人気を象徴する曲とされています。2018年12月に、東京を拠点とする音楽プロジェクトFriday Night Plansが発売したカバーバージョンも、海外で評価が高いようです。1980年代、発売されていた頃には、目立たないマイナーな曲で、アルバムからシングルカットされたものの、ほとんど注目されなかった曲でした。

その他、まりやさんの夫である山下達郎さんの「Ride on Time(1980)」、松原みきさんの「真夜中のドア〜Stay with me(1979)」などが、シティ・ポップを代表する曲として注目されています。

アルバムでは、竹内まりやさんの「VARIETY(1984)」、山下達郎さんの「FOR YOU(1982)」「MELODIES(1983)」「BIG WAVE(1984)」、大瀧詠一さんの「A LONG VACATION(1981)」などが、人気が高いようです。

いずれも1970年代末から1980年代前半の楽曲やアルバムで、かつて、日本でも、一世を風靡した名盤の数々です。

 

今、日本の昭和のニューミュージック、特に80sのシティ・ポップが、世界的にカルトな人気を高めているのは、2010年代の世界の音楽の潮流、つまり、ボーカル重視の繊細でメロディアスでアコースティックな音作りが、80sの日本の大衆音楽と、親和性が高いということが、理由の一つとして考えられるのではないか、と思います。

現在、海外の音楽には、Ed Sheeran、Lewis Capaldy、Little Big Town、Lady A、Ruth Bなど、歌い手の息遣いが感じられるような、素朴で温かくストレートな歌が、多いのです。ちょうど、1970年代までの日本を含めて、かつて世界の音楽がそうだったように。

こうした状況を、50s、60sへの回帰現象と言ってもいいかもしれません。その潮流から、日本だけが外れているのは皮肉なことです。

そう考えると、日本の80sのシティ・ポップが、むしろ、現在、日本を含めて世界の一部の人々には、これまで聴いたことのない、次元の違う新鮮な音楽に感じられるのかもしれません。

 

1980年代の日本社会は、70sの空気感にあった〝せつなさ〟や〝閉塞感〟や〝社会正義への渇望〟や〝もののあわれ(弱者への共感)〟を、すべて置き去りにして、円高景気とバブルの中へ軽やかに飛び込んでいきました。

その〝明るさ〟と〝軽快さ〟が、80sシティ・ポップの特徴です。そして、その〝おしゃれ〟な感覚の根底には、重苦しく無機質な現実からの逃避という側面が、間違いなくありました。

しかし、その後、私たちは、バブルの崩壊、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災などによって、新たに苦い現実に直面することを強いられることになりました。重い現実を軽快に飛び越えて、直面すべき真実の自分から逃げて、どこまでも〝本当のこと〟を無視し続けることなど、できなかったのです。遅かれ早かれ、私たちは、避けようもない重苦しい現実にぶち当たります。

「失われた20年」は、冷戦の終結という1990年の世界情勢の大変革を前にしながら、現実を無視して、真摯に真正面から取り組むことを怠ったために、支払されることになった重い代償です。

 

私たちは、安易な逃避の代償として、財を失い、活力を失い、互いの絆や未来への展望を見失いました。その結果として、〝歌〟を喪い、〝夢〟を喪い、深い虚無感の中で、現在に至りました。

ところが、世界は、今日、もはや、日本人にとっては、遠い過去に消えてしまっていたはずの日本の80sを再発見したというのです。

それほど大きなムーブメントというわけではないでしょうが、現代人の感覚が、一周巡って、また、そこに戻ってきたのか、と思うと、なんだか不思議な感じがします。

さらに、その先、遡って、70年代や60年代や50年代の日本の音楽も、世界に再発見されることになるのでしょうか。

それに伴って、私たち日本人は、もう一度、勇気を奮い起こして、夢や情熱や展望を持って、現実を生き始めることができるようになれるのでしょうか。

私たちは、もう一度、やり直せるでしょうか。

軽やかに〝他者と自分自身の真実〟を無視するのではなく、一歩、一歩、踏みしめるように、心で世界と自分自身と向き合いながら。

 

 

山下達郎さんのアルバム「POCKET MUSIC(1986)」の中に、THE WAR SONGという印象的な曲があります。1980年代のシティ・ポップ・アルバムに収められている曲としては珍しく、当時の追い詰められた閉塞感と焦燥感と切迫感をよくあらわしていると、感じられる曲です。

 

見上げれば 一面に しどけない闇が拡がり
テーブルのテレビジョン 瞳の無い顔が笑う
悲しみの声は世界に満ち溢れ 夜が近付いて来る

本当の事なんて 何一つ届きはしない
幸せの振りをして むせ返る街のざわめき
悲しみの声に答える術もなく 僕はどうすればいい

愛よ、教えておくれ
どうぞ、このまま僕等は
すぐに、何処へ行くと言うの

名も知らぬ友達よ 君の国はなんて遠い
道端の子供達 叫び声は風に消える
誰一人知らぬ間に 鋼鉄の巨人が目覚め
老人は冬を呼ぶ キャタピラの音が轟く
悲しみの声は世界に満ち溢れ 夜が近付いて来る
悲しみの声に答えるすべもなく 僕はどうすればいい

WE JUST GOTTA GET UP RIGHT NOW!
WE MUST SAVE THIS WORLD SOMEHOW!