『タッグ・オブ・ウォー』(Tug of War)は、1982年に発表されたポール・マッカートニーのソロ4thアルバムです。
ポールは、1980年12月に、このアルバムの制作にとりかかったのですが、その直後、1980年12月8日に、盟友ジョン・レノンがニューヨークの自宅玄関で、25歳の妄想犯の男に射殺されてしまいました。事件の衝撃は世界中に伝わり、ポールも、このショックから、一時、アルバム制作を中断しました。
しかし、その後、ビートルズ時代のプロデューサーである旧友ジョージ・マーティンの励ましに支えられて、再び制作に取りかかり、リンゴ・スター、フィル・コリンズなどの協力も得て、翌1981年12月までに録音を済ませ、1年以上かけてアルバムを完成させたのです。リリースは翌1982年4月でした。
当然、発表された当時は、ジョンの死を乗り越えてポールが世に問うた渾身の作品ということで、大いに世間の注目を集めました。
それまで敢えて封印していたビートルズ色の強いサウンドを、解散後、初めて前面に押し出した作風が話題となり、また、先行シングルとして発売されたスティービー・ワンダーとの共作「エボニー・アンド・アイボリー」の大ヒット(全米1位/全英1位/日本26位)もあって、日本でも、かなりの話題作でした。そして、世界9カ国で1位を獲得しました。
しかし、現在では、この4thアルバムは、次の5thアルバム『パイプス・オブ・ピース』(1983)ほど有名ではありません。
というか、5thアルバムの知名度の高さは、収録されているマイケル・ジャクソンとの共作曲「Say Say Say」がメガヒット(全米1位/全英2位/日本16位)したことに関係しています。Say Say Sayは、ポールにとっては、ビートルズ解散以後の最大のヒット曲です。マイケルにとっても、ビリー・ジーンに次いで、2番目のヒット曲です。また、この曲の大ヒットの要因としては、マイケルとポールの出演したミュージック・ビデオが、全盛期を迎えつつあったMTV(1981.8〜)などで、繰り返し放送された効果も、大いにあるでしょう。当時、ポップ・ミュージックは、〝聴く〟時代から〝観る〟時代へと移行しつつありました。ですから、同時代の人なら、MTVで、Say Say Sayのビデオを観たことのない人の方が、珍しいのではないでしょうか。
このような理由から、ビジュアル重視の5thアルバムが、現在でも比較的よく知られているのに比べると、この音重視の4thアルバムは、今ひとつ知名度が低いように思われるのです。
けれども、ポールが心血を注いで作り上げた、この『タッグ・オブ・ウォー』というアルバムの完成度は非常に高く、ファンの間では、ポールのソロ代表作として、また、歴史的名盤として長く愛聴されています。


このアルバムは、当初、二枚組での完成を目指していましたが、レコード会社が難色を示し、最終的には12曲を一枚に収めて制作されました。CDの存在しなかったレコード時代の懐かしいエピソードです。CD時代であれば、ポールがすでに録音を終えていた18曲ぐらいは、なんとか1枚に収められたのではないか、と思います。
そして、当時、録音されたもののアルバムに収録することができなかった曲は、次の『パイプス・オブ・ピース』に収められています。ですから、どの曲も、ポールにとって、思い入れのない「捨て曲」ではなかったのです。
結果として、この『タッグ・オブ・ウォー』は、丁寧に録音した中からさらに厳選した楽曲を組み合わせて制作した切れ味の鋭いアルバムとして、世に出ることになりました。収録されている12曲が、全曲リスナーを退屈させないハイクオリティの傑作アルバムです。
旧友にして盟友のジョンは、射殺された1980年の夏に、アルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースし、その劇的な死の衝撃もあって、当時、全世界で大ヒットしていました。そして、このアルバムからは、「Starting Over」、「Woman」、「Watching the Wheels」、「I’m Losing You」など、多くのヒット曲が生まれ、1981年度のAlbum of the Yearも受賞しています。
こうした情勢に、ポールが刺激を受けないわけはありません。ですから、急逝したジョンへの思いも重ねて、並々ならぬ意欲を持って、この『タッグ・オブ・ウォー』は作られたのだと思うのです。このアルバム制作の期間に、ポールの意思に反してWingsも正式に解散してしまい、ポールの音楽活動もまた、ソロ・アーティストとして新しいステージに移行したと言えます。
こうして、ポールの人生にとっても、重要な別れと再出発の季節に、多くのファンや批評家が認める最高傑作アルバムが誕生したのは理由のないことではないと思うのです。
このアルバムは、2015年に、アビイ・ロード・スタジオで、ポール自身の監修のもとで、オリジナルのマスター・テープ(アナログ・マルチ・テープ)から、新たにリミックス〜デジタル・リマスタリングされて、デラックス・エディションCDとして発売されています。これによって、ようやく、往年のレコードのアナログの音質に、デジタルが追いついてきたかな、という気がしています。
世間的には、埋もれてしまった名盤という位置にあるようですが、若い世代の人にも、ぜひ聴いてもらいたいアルバムの一つです。


1.Tug of War
2.Take It Away
3.Somebody Who Cares
4. What's That You're Doing?
5.Here Today
6.Ballroom Dancing
7.The Pound is Sinking
8.Wanderlust
9.Get It
10.Be What You See
11.Dress Me Up as a Robber
12.Ebony and Ivory


●『Tug of War(綱引き)』は、国と国との争いを「綱引き」になぞらえて、争いのない世界を目指す強い意志を表現した、ストリングスの美しいドラマティックなバラード曲です。ブラスやバックコーラスも効果的に使われており、名盤アルバムの最初にふさわしい完成度です。
◉『Take It Away(さあ、始めよう!)』では、コンサートの旅から旅へと、ひとり成功を目指して放浪を続ける自由なミュージシャンの日常を歌っています。ビートルズの盟友ジョンの死、ウィングス解散を乗り越えて、一人で生きていくポールの強い意志を感じます。テンポの良い勢いのある曲で、厚みのあるコーラスと切り裂くようなサックスが、とても印象的でカッコいいのです。そのせいか、よくCMに使われます。
◉『Somebody Who Cares(貴方を気遣ってくれる誰か)』は、「誰かがいつも気にかけているってことを、君は知っておくべきだったんだ」という切ない思いをしんみり歌ったバラード曲です。アコースティック・ギター二本で奏でられる演奏が静かで心地よい曲。実は、このアルバムの中で一番好きな曲です。
◯『What's That You're Doing?(君は、僕に何をしているんだい)』は、ポールとスティービー・ワンダーとのセッションから生まれた曲です。ポールらしさとスティービーらしさが、ミックスした感じの曲です。
●『Here Today(今日、ここに)』は、「もし、君が今ここにいたら、何て答えるだろう」と、呼びかけるように歌っているジョンへの追悼歌です。これも静かでアコースティックな佳曲。バックの弦楽四重奏とコーラスが美しいです。
◯『The Pound is Sinking(ポンドが沈んでいく)』は、通貨の下落への恐れを歌った珍しい曲。The yen is keeping up which hardly seems surprising(円は上昇を続けているが、驚くことじゃない)という詩が隔世の感があります。硬質なThe pound is sinkingのパートと柔らかいHear me loverのパートのギャップが特徴的な曲です。
●『Wanderlust(旅への想い)』は、新たな旅立ちへの沸き立つ思いを歌った希望に満ちたバラード曲です。アレンジは、アルバム全曲中もっともシンプルで、ポールのボーカルの魅力を一番味わえる曲。
◯『Get It(それを手に入れろ!)』は、「チャンスは、しっかりモノにしろよ!」と教え諭すように歌った曲です。ロカビリーの王と呼ばれたカール・パーキンスとポールがデュエットで歌っている渋い味わいと余裕を感じさせる大人の曲。
◯『Be What You See(君が見る者であれ)』は、次の曲の前奏曲のような曲で、長い間、私は、次の曲の一部だと思っていました。歌詞もそんな感じです。その印象は、今でも変わりません。
◯『Dress Me Up as a Robber(君が僕に泥棒のような格好をさせたとしても、僕は変わらない)』は、アルバム全曲中もっともノリの良い軽快でアップテンポのフュージョン・ナンバーです。全編ファルセットで歌っていて、間奏で入るスパニッシュ・ギターがカッコよいです。
◉『Ebony and Ivory(黒檀色とアイボリー)』は、黒人と白人を、ピアノの鍵盤に例え、人種の垣根を超えて、助け合って生きることのできる夢の世界の実現を訴えるメッセージ・ソングのバラード曲です。スティービー・ワンダーとのデュエット曲で、アルバムの先行シングルとしてヒットしたこともあって、アルバム中でも一番有名な曲です。ラストを飾るのに相応しい名曲。


全曲「捨て曲」のないアルバムですが、敢えて曲にランクをつけるなら、◉が名曲レベル、●が佳曲レベル、◯が良曲レベルです。ただし、すべて、私の独断と偏見に基づいています。
このアルバム全体のテーマとコンセプトは、『別れと旅立ち』というところでしょう。そして、アルバム全編を通して伝わってくる雰囲気は『優しさと潔さ』でしょうか。