2016年11月の記事ですが、「親が子を殺す」というテーマに深く関連する記事なので、再掲載しておきます。



映画「白夜行」を観ました。

「白夜行」は、1999年に刊行された東野圭吾の小説です。2000年代半ばに累計100万部を超えるミリオンセラーとなった作品だそうです。その後、続編とされる「幻夜」が、2004年に刊行され、こちらも累計で100万部を超えているようです。
さらに「白夜行」は、2005年には舞台化され、2006年には、主人公の唐沢雪穂役が綾瀬はるかさん、桐原亮司役が山田孝之さんで、テレビドラマ化されています。その後、2009年には韓国で、2011年には日本で、それぞれ映画化されました。
2011年の日本版映画では、主演が堀北真希さん・高良健吾さんでした。今のところ、テレビドラマ版と日本版映画しか見ていませんが、この両者は、基本的な構成は同じでも、中身はぜんぜん別の物語です。例えば、主演の雪穂・亮司の人物像形や性格がまったく違う上に、この2人を執念で追いかける刑事役笹垣の人物像形も決定的に異なります。
テレビ版は、より人間臭くて生活感のある、身近でわかりやすい性格の登場人物たちが紡ぐ、劇的なサスペンス・ドラマに仕上がっています。そのストーリーは、愛憎の記憶に塗り込められ、生々しい経験に根ざした、心の中のどす黒い闇を描いている点で、極めて共感しやすい〝昭和的な物語〟です。観て楽しむための娯楽作品としては、テレビ版の方が、はるかに適しています。
武田鉄矢が演じるアクの強い笹垣潤三刑事も、実に憎たらしく怖い雰囲気をまとっていて、雪穂と亮司の悪事を暴くために執念を燃やします。どれほど正論を唱えても、綺麗事を述べても、感情を吐露しても、笹垣は最後まで、二人を追い詰める嫌な悪役であり、わたしは生理的に共感できません。
逆に亮司と雪穂の関係は、ひたすら情熱的にロマンチックに描かれていて、相思相愛の大恋愛物語のようです。ボニー&クライドのように、ぴったりと寄り添う、強い感情を伴う絆に結ばれ、葛藤はあっても、二人は互いに深く理解し合い、愛し合っています。
雪穂が自らの良心によって復讐されるという結末も、非常に道徳的・倫理的で、予定調和に自己完結していて、まるで文部省推薦作品のようです。よく言えば、どこか救いのある物語となっています。
一方で映画版の方は、2時間29分という限られた時間の枠内に、物語のすべてを封じ込めるために、あらゆる説明と贅肉をそぎ落とした上、極めて抽象的で象徴的なシーンやカットを重ねています。ですから、感情移入がとても難しい物語になっているのです。
映画版では、亮司も雪穂も、まともな愛情などほとんど知りません。特に、雪穂の心の中には、人間らしい感情が希薄で、そのため、他人の心にほとんど共感できないのです。この版の二人は、生の感情に乏しい、どこか壊れた男女です。その異常性を際立たせるためか、船越英一郎演じる笹垣刑事は、底抜けに人の良い優しい男に描かれています。
二人の関係も、「この世に二人だけ」という強いものではあっても、互いに愛し合っているわけではなく、あくまでも利用する者とされる者の虚しく儚い繋がりに過ぎません。亮司には雪穂に対する贖罪意識と愛情があり、雪穂には亮司に対する絶対的な信頼があって、唯一の心の支えとしていたことは確かでしょうが、互いの思いは完全にすれ違っています。原作により忠実と言われるこちらのバージョンでは、所詮、二人の旅路は、「白夜を行く」という、作品タイトルそのままの、冷たく薄暗い道行きです。
最も象徴的なのは亮司の同棲相手栗原典子の運命です。テレビ版では、生き延びて亮司の子を育て、未来へ希望をつなぐ存在になります。けれども、映画版では、亮司の罪をかぶるために、自ら青酸カリを飲み、自殺して果てます。
テレビ版は〝生〟のエネルギーに満ち、映画版は〝死〟の呪縛に支配されています。けれども、わたしが最初に観て、奇妙に味わい深い感銘を受けたのは、映画版の方なのです。何というか、心の表層では、テレビ版の方に感情を揺すぶられ、とても共感できるのに、深層では映画版の方に強いリアリティーを感じます。

そして、思ったことは、この作品(映画版)で描かれている荒涼とした世界は、多くの現代日本人にとって、馴染み深い〝原風景〟のようなものではないか、ということです。
川向こうのスラム街は、終戦直後の日本の荒廃した風景そのものです。そこで、雪穂は母親に幼女買春を強要され、金貸しを営む亮司の父は、客として11歳の雪穂を繰り返し凌辱していました。
その後の二人の人生は、戦後日本社会の軌跡の裏と表、闇と光です。光と言っても、燦燦たる太陽の輝きではなく、鈍く仄暗い白夜の光にすぎません。一方で、闇は深く、覗き込むと、まるで底なし沼のようです。けれども、すべてを育む豊かな漆黒の闇というわけではないのです。エネルギーの乏しい、冷たく白々とした薄闇です。
この弱々しい茫漠とした光も、仄暗い心の薄闇も、少なくとも、わたしにとっては、とても身近で、昔からよく知っている世界だと感じました。経験からというより、自分の血が覚えている、そんな風に感じたのです。
親に利用され、売られ、見捨てられ、放置されて。父を殺し、母を殺し、他人を利用し、嘘をつき、生き延びて。そうして、ようやく手に入れた薄闇の中の光。タイトロープの上で、危うく煌めく見せかけの城郭。そこに閉じこもって、目を硬く閉じて、冷たい、心地よい、独りぼっちの夢だけをみて生きる。
この映画を観て、これまで見ようとしてこなかった自分自身のルーツ、心の真実を、まざまざと見せつけられた気がしました。
自分の生まれ出たところ、川向こうの陰鬱で凄惨な世界を見捨て、自分には関係ないモノとして切り捨て、自らの根をバッサリと切断してしまった。自分(あるいは親・祖先)のくぐり抜けてきた悲惨な過去の現実から目を背けて、長い間、素知らぬ顔をして生きてきた。それが、戦後日本人すべてに突きつけられている、いわば〝原罪〟です。
周囲の人すべてを利用し尽くして、徹底して個人的な欲望を追い続ける雪穂の姿は、戦後日本人の空虚な生き方を顕在化させた象徴的存在と思えるのです。特に、ラストシーンでの虚ろな微笑みに、わたしはなぜか、とても親近感を覚えました。
人生のすべてを犠牲にして、自分を支えてくれた亮司の無残な死に際の姿から冷たく目を背け、「私は知らない」と呟いて、立ち去る姿。そして、彼の犠牲の上に手に入れた輝かしい夢の城の中に入って、優雅にゆっくりと微笑む姿。あれこそが、戦後を生きてきた人間のなれの果て、白い闇の中に生きる現代人の空虚な微笑そのものではないでしょうか。
おそらく雪穂は、この後も、事業の発展を続け、魔性の魅力で次々と有力者たちの心を支配し、どこまでも権力の階段を登り、栄華を極めるのでしょう。耐えがたいほど虚しく冷たい心を抱えながら。いつか、魂に復讐される、その日まで。(雪穂のその後の生き様については、続編とされる「幻夜(2004)」という作品で、描かれているようです。)
一方、自分のすべてを犠牲にして雪穂を支えた亮司の姿は何を象徴しているのでしょうか。雪穂が外の世界を凌辱することで、自分を凌辱した世界に対価を払わせようとしているのに対して、亮司は世界から背を向けて、自己の内面を追求し続け、自分にとって、この世界で唯一の愛しいものを守り通そうとしました。そして、世界からも雪穂からも打ち捨てられ、孤独で無残な死にざまをさらします。彼こそは見失われた雪穂の魂であり、この世界すべてに見捨てられたイエス(救世主)そのものです。
ある意味、二人を最後まで執念深く追い続け、真相を突き止めようとした笹垣刑事は、イエス(亮司)の生涯に寄り添おうとした唯一人の使徒であり、成就しなかった「福音書」の書き手と言えるかもしれません。さらに、亮司の罪を引き受けて死んでいった同棲相手栗原典子の行為は、まるで聖母マリアのようでした。けれども、マリアの贖罪も、使徒の献身も、亮司を救うことはできませんでした。亮司を救えたはずの存在は、雪穂だけでした。
雪穂の〝母性〟が、遠い昔に陵辱され、閉ざされていることが、未来の希望を消したのです。

ひるがえって、わたしたち自身はどうでしょう。地位、名誉、権威、権力、お金、安定、安心、自分を守ってくれる好意や愛情、秘めたる個人的な野望や欲望、それ以外に、あなたが心の底から求めているものがありますか。
思うに、わたしたち皆が、今、「白夜行」を生きているのです。薄明かりの中、儚い幻のような、か細い不確かな絆に支えられて、幽霊のように彷徨い、かろうじて生きています。「風と共に去りぬ」の主人公スカーレットのように、飢えと野望だけを生きる糧として。ただし、スカーレットとは違って、守るべき何物も持たず、空っぽの心を抱えながら。飽食と悲惨の交差する世界で、何の良心の痛みもなく、策略の限りを尽くして、他人を踏み台に砂上の楼閣を築こうとしているのです。
わたしたちは、今、何処に向かっているのでしょうか。あなたは、誰かに優しい思いやりを持って生きていますか。どんなに苦しくても、辛くても、心底理解したい相手がいますか。本当に信じられる人がいますか。

あなたの〝母性〟は、目覚めていますか。

母性とは、母なる存在(グレートマザー)の根源をなす性質です。人の感情の源にあって、尽きせぬエネルギーを汲み出す力です。その性質は、受け入れること、守ること、深く理解すること、信頼すること、愛すること、祈ることです。
この現代日本で、人々の心の中で、母なる存在は、消えかけています。子を見捨てる親は数しれず、虐待死させる親もいれば、餓死させる親もいます。子どもの心をまったく理解できない親や教師は、今や〝当たり前〟です。通常は、理解しようとさえしないものです。
こういう母性を喪失した親に育てられた「良い子」の〝思いやりの心〟など、自分に被害が及んだり、犠牲をしいられた途端に消し飛んでしまいます。さらに、明らかに危害を加えられたと感じたとたんに、自己防衛のためには、どんな策略も無慈悲も許されると考えます。そして、また、一人の雪穂が、誕生するのです。
彼女たちの口癖は「(私は)知らない」という呟きです。
わたし自身もまた、一人の〝雪穂〟に産み落とされ、一人の〝亮司〟に育てられた子どもです。そして、遠い昔に喪くした自分自身の母性を取り戻すために、この一生をかけているのではないか、と思うことがあります。



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