今回の愛知県(出資7.8億円)・名古屋市(2.1億円)共同出資に加えて、文化庁の助成金(7.8千万円)も受けている「あいちトリエンナーレ」国際芸術祭での慰安婦像展示騒ぎで、またしても明らかになったことだが、この国の文化人やジャーナリズムの見識の浅さは尋常ではない。
主に愛知県の主催、つまり、公費で開催される国際芸術祭で、よりによって、もっとも典型的かつ代表的な慰安婦像、つまり、「日本軍によって誘拐された20万人以上の婦女子が日本軍の性奴隷とされた」というあまりに問題ある碑文と対になっている慰安婦像を展示しておいて、「さほど深刻な政治問題にはならない」と考えていたこと自体、あまりにナイーブで非現実的であり、精神の混沌と歪みと麻痺の極致であると言える。
韓国による「慰安婦像と〝捏造史〟碑文をセットで世界中に建てて、慰安婦にまつわるあり得ないデマを世界に拡散し、国際社会と慰安婦の嘘と妄想を共有することによって、日本を徹底して貶める」反日運動のために、どれほど歴史が捻じ曲げられ、日本と日本人が傷つけられ、恥かしめられているか、主催者側は、何も認識していないのか。まったく信じられない思いである。
「情の時代…。」今回の芸術祭における「表現の不自由展・その後」展の展示企画のテーマらしいが、情というのは、昭和天皇陛下の御影を焼いて灰を踏みつけることなのか、韓国の侮日プロパガンダの象徴である慰安婦像を擁護することなのか。
そういう他者を傷つける表現を展示することに胸が痛まない者に、〝情〟を語る資格があるとは到底思えない。これでは、まるで、サイコパスの展示を見にいくようなものだ。
日本の歴史を不当に貶める、ありえない嘘が、まるで本当のことであるかのように、世の中に撒き散らし通用させてしまう。左派リベラルは、この異常さと恐ろしさに、どうして気づかないのだろうか。


「展示が中止に追い込まれ、表現の自由が危機に陥っている」と非難する人たち(韓国人言うところの『日本の良心的勢力』)の口にする「表現の自由」とは、いったい何なのだ。彼らの主張する表現の権利とは、『芸術の名を騙って、健全な精神を破壊する悪意を表現する権利』に他ならない。慰安婦像展示を擁護するメディアの論調は、そうした公共の福祉に反する自由を擁護しているに等しい。
芸術監督を務めた津田大介氏は「想定外の抗議が来た」と述べたが、そもそも国・県・市の公金で運営される公的な芸術祭で、ソウルの日本大使館前に設置されているものと同じ慰安婦像、日本人の誰も容認できない過激な反日捏造碑文とセットになっている慰安婦像そのものを展示しておきながら、国民的な抗議を想定できなかったということが、あまりにも浅はかとしか言いようがない。
敢えて言うなら、昭和天皇の焼かれた姿、そして慰安婦像を展示をすることに、「胸に痛みを感じない」ということが、彼ら企画展の実行委側には、まったく「情が通じない」ということを端的に示している。
「抗議をするにしても、情が通じない者に、いったい、どんな言葉で訴えれば、彼らの心にまともに通じるのだろう?」
国民の多くが、そう感じていることに、彼らはいまだに気づいていない。そこが、救いがたいのだ。
『テロとは、言葉が通じない相手からの理不尽な暴力によるダメージに耐えきれなくなった者たちが起こす最終手段である。』
だからこそ、テロを誘発しないように、気をつけて欲しいと願うが、残念ながら、彼らには通じそうもない。
芸術祭実行委の愛知県側が、企画展自体を3日目で中止することに決め、企画展実行委の側が「一方的だ」と県を相手に裁判で訴える考えだとも聞くが、いかにも裁判好きな極左グループの考えそうなことである。
いずれにせよ、おそらく、今回のようなサヨク思想のプロパガンダ的傾向が極端に強い企画展示は、少なくとも、公金の投入されている芸術祭や美術館においては、今回で終わりになるのではないだろうか。是が非でも、そう願いたいものだ。


ともかく、この国の知識人の表現、世界観、道徳観、すべてが、はなはだ心許ない。
沖縄タイムスの社説など、「芸術祭で慰安婦像や天皇陛下の遺影を焼いた作品を展示して何が悪い」「慰安婦像の展示に抗議して、脅迫めいた言動で中止に追い込んだ国民こそ、批判すべき」という主張である。
さすが、沖縄県内に慰安婦の碑を建て、さらに慰安婦像までも設置しようとしている天皇制反対の人々と深いつながりを持つ県内メディアは言うことが違う。相変わらず、頭が膿んでいるようだ。『チュチェ思想』の勉強しすぎかもしれない。
私としては「どんなに相手を傷つける表現であっても、反日であればアートであり、それ以外はヘイトなのか?」と、朝日や沖縄タイムスに尋ねたいのだが。
慰安婦像を建てるということは、「日本死ね!」と罵声を浴びせるのと同様に、明らかに日本への強烈なヘイト行為である。そういう不特定多数へのヘイトなら許されるのか。では「韓国死ね!」なら、どうなのか。
また、朝日新聞は、大村愛知県知事のアホな発言の尻馬に乗って、「河村名古屋市長の芸術祭での慰安婦像展示中止要求は検閲だ」と主張している。
政府や行政や権力への批判や攻撃を意図した作品の展示に対して、待ったをかけるのは確かに検閲だろう。しかし、『日本国民、日本政府、日本人すべてを愚弄し貶める意図を持って制作された歴史捏造と反日プロパガンダの道具』を展示しないように要求するのは検閲でもなんでもない。公共の福祉に反する自由の制限に過ぎない。
「日本軍が朝鮮半島の各地で〝慰安婦狩り〟を行い、20万人以上もの韓国の少女たちを強制的に性奴隷とした」という邪悪な神話のシンボルを展示しておいて、何が検閲だ。バカすぎる!
陛下の御影を灰にして踏みつける映像や慰安婦像は問題外だが、サヨクとウヨクの思想的表現を同じ比重で展示して、右と左を激突させるならまだわかる。例えば、沖縄の反基地闘争の表現の隣に、「蛍の光」の全歌詞を掲示して、4番までの美しい合唱を聴かせる、とか。
「情の時代…」を意識するなら、思想的に凝り固まらず、もう少し、芸があってもよかったのではないだろうか。


日本の知識人が、これほど見識が乏しいとなると、世界中に「日本軍が20万人の少女を自宅から無理やり連れ去って性奴隷にした」と酷い嘘を記した碑文付きの慰安婦像を、韓国内にも世界にも、無数に建てまくっている韓国に対して、とても太刀打ちできないだろう。
毎日新聞も、酷い。無理矢理過ぎる妄想史である「日本軍の強制性奴隷20万人慰安所運営説」を今だに言い張り続ける吉見義明氏の主観的な慰安婦論評を無批判に掲載しているのである。
しかし、史実は明らかに違う。日本軍は、慰安婦の公募はしたが、兵士が自宅から強制的に少女を連れ去ったりはしていない。そもそも、未成年の少女の公募は禁止で、日本の官吏は厳しく違反業者を取り締まっていた。また、慰安所の経営権は民間の業者にあり、軍は慰安所の運営に直接関わってはいない。さらに、将校も兵士たちも、客として民間業者にお金を払ったし、慰安婦には当時としては高額の給料が、民間経営者から支払われていた。
加えて、最初に慰安婦を公募したのは、日本の内地であって、韓国では後に補充分の人数を公募したに過ぎない。そして、慰安婦20万人というのは、完全なデマで、せいぜい数万人程度である。最もとんでもないのは、サヨク研究者らが、女子挺身隊の徴用と慰安婦を混同したことで、これは悪意の確信犯としか思えない。
また、公募順から考えても、一番多かったのは日本人慰安婦(2万人程度)であり、次に多かったのが朝鮮人慰安婦だった。一部の朝鮮人の人買い業者の横暴や少女の人身売買は、伝統的に、特に朝鮮半島で昔から横行していたが、それは、むしろ、朝鮮社会自体の問題だ。実際には、一年の労働で荒稼ぎをして、朝鮮に帰って家を建てた慰安婦もいるのだ。そうした状況から、次第に、大きく稼ごうと外地に出る朝鮮人業者や朝鮮人慰安婦も増えたと考えられる。


事実、戦後も、韓国では、慰安婦の数が、さらに増え続けた。しかも、韓国では、慰安所は国家が直接運営し、慰安婦は国家に奉仕する愛国者(挺身隊)とされたのだ。こうした〝挺身隊〟の用法は、韓国独特のもので、日本にはない。
一方で、韓国軍は、戦時には、済州島や韓国内や北朝鮮や南ベトナムで、民間の婦女子を、何十万人も強姦、虐殺したり、慰安婦として強制連行したりした。慰安婦にされた女性たちは、韓国軍の第5種補給品として最前線まで、兵士たちに調達された。彼女たちは確かに性奴隷であった。また、多くの未成年の少女が拉致されたのも事実である。
そして、1954年に公設慰安所が閉鎖された後も、私設慰安所が数多く運営された。1960年代、韓国の民間業者による米軍向け慰安所の慰安婦たちは、「ドルを稼ぐ妖精」「真の愛国者」とも呼ばれ、韓国のGDPの25%を稼ぎ出していた。彼女たちは、国庫に多くの利益をもたらしたのである。
韓国では、業者の運営する軍のための慰安所は、1990年代まで存在した。ところが、日本軍慰安婦の問題が騒がれ始めると、韓国の慰安婦たちは、突然に慰安婦と呼ばれなくなった。代わりに「基地の女性たち」と呼ばれるようになった。詭弁である。
これら上記の内容は、全てファクトである。だから、慰安婦碑文の文章に関しては、何もかもすべてが嘘と言っていい。
なぜ、吉見氏も日本のメディアも韓国の人々も、こうした現実を無視して、慰安婦問題を、日本を攻撃するための材料として悪利用するのだろうか。
日本を貶める酷すぎる嘘を世界中に撒き散らしている像と碑文が、どうして「平和の像」になれるのか。到底、無理な話だ。
日本では、現在のところ、韓国の「ボイコット・ジャパン」のような「ボイコット・コリア」を叫ぶ、韓国製品不買運動や韓国旅行の自粛の呼びかけなどが、表立って行われている様子はない。けれども、個人の「ボイコット・コリア」意識は、むしろ、表に発散されない分、逆に深く進行しているのではないか、という気がする。
現状は、日本人の怒りが、〝内心〟という名の溶鉱炉の中で、マグマを温めている状態だ。しかし、このような反日プロパガンダが、日本国内で無神経にはびこるようになると、国民の嫌韓の炎が吹き出すのも時間の問題である。


もしも、製作者に本当の良心があるなら、日本軍の慰安婦の問題を取り上げる代わりに、韓国軍の慰安婦の問題を取り上げただろう。韓国軍慰安婦の方が、はるかに大規模(累計で100万人を超える)で長期にわたっており、直接軍が運営していた時期もあった上、期間もごく最近まで存在した(1990年代まで)だけでなく、なおかつ、その境遇は、はるかに過酷であり、一部では、特に、朝鮮戦争期やベトナム戦争期には、戦地において全面的に性奴隷的扱いが横行していたのだから。
実際、彼らは済州島や保導連盟関係者や北朝鮮住民や南ベトナムにおいては、10代半ばの少女の拉致も、おおっぴらに大々的に行なっている。まさに〝慰安婦狩り〟である。
そういう真実の説明を、「韓国軍慰安婦の碑」に記せばよいのだ。本当に良心があるなら、日本の過去を捏造するより、自国のもっと深刻な問題の方を、取り上げるべきだろう。
だが、そんな活動は、イギリスで行われている「ライダイハンの正義」以外、何処にも存在しない。
だからこそ、この慰安婦像作品が、「平和への願いをこめた像だ」などというのは、あまりにも、あり得ない製作者の白々しい言い分だとわかるのだ。はっきり言えば、良心のカケラも感じられない。なぜ、韓国軍に強制的に性奴隷にされた済州島の少女や保導連盟の少女やベトナムの少女の像を製作しないのだ。私には製作者自身がサイコパスにしか見えない。
そもそも、日本の募集した慰安婦は少女ではない。「帝国の慰安婦」の著者朴裕河さんが著書の中で明らかにしたように、太平洋戦争当時の韓国人慰安婦の平均年齢は25歳であった。しかも、軍によって無理やり拉致された韓国人慰安婦など一人もいない。それを、「日本軍によって無理やり拉致された少女の像」などというかたちに表現するのは、観る者に歴史的な事実を見誤らせる邪悪な策略である。
同じことは、徴用工像にも、福島の放射能への懸念による輸入規制にも言えることだ。韓国のすべての対日外交戦略は、日本を貶めるという目的に集約される。そして、慰安婦像は、その象徴である。
ところが、この像を展示するにあたってのテーマが「情の時代…。」だという。はたして、政治的プロパガンダとデマゴーグとルサンチマンに加担することによって、『情の時代』は花開くだろうか。かえって、〝情〟を卑しめ、〝情〟への侮蔑が生まれるだけではないか。
大村知事も、津田氏も、本当に、どうかしている。精神を正して、はやく正気に戻って欲しいと切に願う。


とは言え、日本は、韓国と違って、基本的には、世界で最も同調圧力の低い多様性を基とする民族である。そのことは、例えば、姓名の種類の多さにも現れている。また、中国や韓国のような官製デモも行われることはない。
したがって、「韓国は嫌い」という人もいれば、「韓国が好き」という人もいる。〝嫌韓〟の意見を持つ人(韓国でよく言われる日本の極右勢力)もいれば、〝親韓〟の意見を持つ人(韓国人言うところの良心的日本人)もいる。それは、それで結構なことである。
だから、大村知事や、津田さんが、あくまでも慰安婦像を展示したいなら、公費を使わず自費で展示することで自分の意思を表現すればいいと思うのだ。日本は「表現の自由」が保障された国であるのだから。
もっとも、時期が時期であるし、韓国の(嘘つき)慰安婦像プロパガンダや(嘘つき)徴用工プロパガンダの凄まじさを考えると、自宅の庭に慰安婦像を建てているだけでも、相当風当たりはキツイだろうし、周辺住民から非難もされるだろう。ある意味、命がけだとは思う。それでも慰安婦像の展示にこだわるなら、それ相応の覚悟と信念を持って、自己責任でやって欲しい。
そして、そこまで、慰安婦像を擁護する理由について知りたいと考える反対派の人たちと、堂々と議論すればいい。ネット上の公開討論でもいいのではないかと思う。
公金が絡まない場での個人対個人の対立であるなら、反対派も、理想を言えば、本来、脅しや嫌がらせとかではなく、堂々と反対意見を述べるべきだ。
しかし、その場合、実りのある議論になるかならないかは、双方の当事者である本人次第だとは思う。
大村知事や津田氏が、韓国の主張する慰安婦の嘘(性奴隷、20万人、軍による慰安婦狩りの虚妄性)をはっきり認めようとしないなら、議論は不毛なものになるだろう。


以前から何度も言っていることだが、日本は、歴史戦を受けて立ち、歴史戦を通して、戦わねばならない。そして、韓国の歴史認識が完全に間違っていることを、事実に基づいて主張し続け、韓国にも全世界にも、真実の歴史を伝え続けなければならない。
それこそ命がけで。
そうしなければ、韓国は、自らの反米反日の正統性を疑うことなく、文在寅の思惑通り、すべての責任を日本(とアメリカ)に押し付けながら、遂にはアメリカ軍を追い出して、核保有国である北朝鮮との統一を成し遂げるだろう。今現在、すでに文在寅もトランプも、その方向に動き始めている。トランプにしても、歓迎されていない国に自国の兵士たちを置いておく気はさらさらないようだし、文在寅も早く出て行って欲しいというのが本音であることは、トランプにも、もう気づかれている。
南北朝鮮の統一。それは、実際には、長い目で見れば、韓国国民にとって、苦難と滅びの道なのだが、彼らの多くは、当分の間、そのことに気づくことがないままだろう。
なぜなら、韓国の反日は、政府によるものというより、むしろ、国民的価値観であり、同時に国民統合の唯一の原動力でもあるからだ。そして、その国民統合の象徴が竹島であり、慰安婦である。
そうでなければ、韓国のNHKにあたるテレビ放送の終了後に、テレビの画面に竹島が映されるわけがない。日本であれば、日の丸が映されるところで、韓国では竹島が映される。つまり、日本の日の丸にあたるものが、韓国では竹島であるということだ。また、現在、韓国では、官民の協力によって、国内に100以上の慰安婦像が建てられている。さらに、海外にも、もう何十もの慰安婦像を輸出している。
これが、平和のため?
冗談ではない。日本を足の下に踏み付け、韓国の日本に対する道徳的優位性を永遠不動のものとするためである。そして、日本を封殺し、反日によって国論を統一(反対派を親日派として封殺する)することで、北朝鮮との統一を果たすというのが、韓国民の半数を占める従北左派の悲願なのだ。
とは言え、韓国では、伝統的に、メディア、知識人、政治家ら、両班(ヤンバン)の反日意識と庶民の親日意識との乖離が甚だしい。そして、知識階級の側に、庶民をバカにする差別意識があまりに根深い。
だから、韓国社会の表面には、常に、反日性向の発言が飛び交うが、庶民意識の実相とはズレが大きいのも事実だ。


私は、沖縄にいるので、そうしたことが、非常によく見える。なぜなら、沖縄にも、特に学識者の中に多いのだが、慰安婦像を沖縄中に建てようとする人々、自宅の神棚に慰安婦像のミニチュアを置き、沖縄に韓国の恨の碑を建てた人々、アメリカ軍を沖縄から追い出そうと反基地闘争をする人々、中国への依存によって生きようと考える人々、毎年、金正恩の誕生日を祝い、チュチェ思想を学び、いずれは北朝鮮の核によって守られたいと願う人々などが、たくさんいるからだ。
しかも、彼らは、互いに深い関係性を持ち、メディアとも繋がりながら、精力的に政治活動を繰り広げている。こうして、太田知事、翁長知事、玉城デニー知事が生まれた。
沖縄の反基地への同調圧力は根深い。反基地勢力は「オール沖縄」を称し、反基地を主張しさえすれば、猫も杓子も選挙で当選する勢いだ。沖縄の独立志向の原動力は、反米反日、そして親中だが、その背後には親北の意識が潜んでいる。
韓国の民族主義志向の場合も、それと同じ状況だが、その同調圧力の度合いは、沖縄の比ではない。中でも、反日と親北の勢いは強く、特に反日への同調圧力は凄まじい。保守であろうが革新であろうが、反日でなければ、選挙に当選しないどころか、少しでも親日的な言動をすれば、社会的に抹殺されてしまうほどだ。
沖縄でも、県内サヨクにとっては、反基地は当然のことであって、基地容認派は、県内では取るに足りない異端者であり、無視して構わない無価値な存在に過ぎない。また、反基地の闘争を支えているのは、日本への不信感と反感である。
だから、沖縄に住んでいると、韓国では反日史観が当然過ぎるものとして在り、「反日意識を醸成するために、史実を捏造して何が悪い」という感覚が、社会にまかり通る様子がよくわかるのだ。そして、核保有国としての朝鮮統一国家を、内心夢見ている人たちが、どれほど多いかも、容易に想像がつくのだ。
しかし、実際に、南北の統一が実現した場合、この東アジアの大変動は、日本にも大きな影響を及ぼす。
その大きな波を、私たちは乗り切れるだろうか。すべての鍵は、反日の呪縛を打ち破れるかどうかにかかっている。だからこそ、私たちは、反日の呪縛を打ち破るために、日本の正当性を、歴史戦を通して、明らかにしていかなければならない。
歴史認識問題を避けていてはいけない。それは、長い目で見て、この国の滅びの道である。受けて立たねばならないのだ。
歴史戦について勘違いしているサヨク系の人たちにはっきりさせておくが、歴史戦とは韓国の歴史捏造に対して、真逆の歴史修正イデオロギーで対抗するということではない。あくまでも、韓国・中国・日本国内サヨクの歴史捏造を許さず、事実に基づいて厳しく批判し続け、歴史の真実を追究していく姿勢と行動である。
そして、世界の人々に、学者や政治家やジャーナリストから草の根の人たちまで、裾野広く真実の歴史への理解を求め、プロパガンダバスター「テキサス親父」さんのような日本の理解者を、一人でも多く増やしていくことが必要だ。


それにしても、この問題が、日本という国家の存亡、日本民族の存亡そのものに深く関わっている大問題であることを、いったいどれぐらいの国民が自覚しているだろうか。
例えば、週刊文春のアンケートによると、今回の慰安婦像展示に反対の国民の割合は、わずか75%(←これが韓国人が言う『一部の日本の極右勢力』)しかいない。さらに、展示に賛成という人が16%(←これが韓国で『良心的日本人』と呼ばれている人たち)もいる。加えて、どちらとも言えない(どちらでもいい)が9%もいる。どちらでもよいのか、展示賛成なのか、ともかく、この展示に何も痛みを感じない人が、日本国民の四人に一人はいるということだ。無視できない人数だ。
言うなれば、日本人の四人に一人は、日本が貶められ、傷つけられても、何とも思わないということだ。もう、この国は、間に合わないかもしれない。手遅れなのか。日本は、このまま、滅びていくのだろうか。
今、「日本軍による慰安婦の強制連行などなかった」「韓国人のほとんどは自分の意思で日本に渡った」「慰安婦や徴用工には休日もあり、辞める自由もあった」「朝鮮人の奴隷労働などなかった」「慰安婦や徴用工には、給料がきちんと払われていたし、日本人との賃金格差や差別扱いなど、まったくなかった」「反日民族主義の妄想をやめよ!」と、ソウルの中心で激しく主張し、慰安婦像や徴用工像の前で「こんなデタラメの像をつくって、歴史の歪曲をするな!」と抗議の叫びをあげている李宇衍(イ・ウヨン)さんのような若き気鋭の学者たちが、韓国には何人も現れている。
韓国内での激しいバッシングを物ともせず、韓国国民を目覚めさせるために、「真実の歴史の回復」に命がけで尽力する、信念の塊のような良心的韓国人の研究者の方々の活動に、おんぶに抱っこの状態で、日和見の沈黙を続ける日本の研究者たちは、いったい何をしているのだ。
日本の言論人の主張の多くは、ごまかしだらけで、どっちつかずの煮え切らない言葉を継ぎ合わせただけである。大局を論ずることなく、当たり障りのない話題でお茶を濁すばかりで、何の信念も責任感も感じられない。
それどころか、吉見氏などサヨク学者の主張する「慰安婦の広義の強制性」などは、ほとんど詭弁の領域である。そうしたタチの悪い議論すらもまかり通るのは、本当に情けない話である。
この国では、腹の座った本気の言論は、なかなか出てこない。これでは、とうてい、韓国との歴史戦に勝つことはできないだろう。
それでは、いつまでたっても、この国のいわれなき恥辱を拭い去ることはできない。無念である。