今日の日本の外務省は、アメリカ一辺倒で事足りていた冷戦時代のお手軽で安逸で極楽とんぼのおめでたい世界観と依存心を、今だに引きずっているせいか、はたまた、戦前の陸軍省、海軍省から尾を引く「組織防衛を第一義とする」〝組織大事〟の愚か極まる噴飯ものの忌むべき縄張り意識と因習に囚われているせいか、あるいは、個々の官僚の間で、保身と怠惰と無教養と世間知らずと事なかれ主義が蔓延しているせいなのか、選民意識とプライドばかりが目立ち、「この国の最前線に立って、この国の国民と国益を守っている」という自覚と自負と責任感が、まったく欠如しているように思える。
このように、「定められた規則に従って仕事をしていれば、それで、公僕としての義務を果たしているのだ」「諸外国に対しては、前方位に、文句も言わずに、ひたすら友好的にやっていれば、それが外交だ」「ともかく、アメリカに従っていれば日本は安全なのだ」と大きな勘違いをしている、軍事オンチで、国際感覚に乏しく、安易に流れることしか知らない〝ふやけきった〟外務省の存在は、この国の国益に完全に反する弊害の大きい組織なので、とりあえず解体した方がいいのではないだろうか。
今、日本国に必要なのは、急変する世界情勢の中、世界を知り尽くし、人間性というものを熟知した深い見識を持ち、この国の尊厳を守りうる哲学を内に秘めつつ、この国の安全保障を維持する透徹した確かな戦略を構築して、常に国家と国民のために〝戦う外務省〟である。
日本人は、一般に、説明下手で、パフォーマンスに乏しく、人に訴えかける能力と堂々たる論戦能力に乏しく、「国を挙げての情報戦や宣伝戦が国運を左右する」という切迫した重要性の認識に欠ける。しかし、風雲急を告げる今日の国際関係の中で、外務官僚までが、そうであっては、この日本が滅びる。
今、この国の生存のために、外交に求められているのは、この国の存在価値に対する深い認識に基づく日本独自の立場と価値観を打ち出し、精神的、理念的、政治的、経済的、軍事的な自立の方向性を、しっかりと定めつつ、現実的な外交使命を果敢に遂行することである。そして、そのために、寄与できる有能な外交官を、我々は切実に必要としている。
外務省は、日本の国益のために、どのような情報戦を展開しているのか、各国のプロパガンダにいかなる戦略で抗しているのか、ほとんどわからないし、まったく目立たない。
「沈黙は金」というのは、世界一の礼節の国である日本の中でしか通用しない優等生の態度なのだ。しかし、一筋縄ではいかない群雄が割拠し、ならず者どもひしめく外交の世界で、この国が生き残りを賭けて戦っていく上で必要なのは、責任回避の怠惰な沈黙ではなく、トランプのような『国力を背景とした戦略的饒舌』である。
今の外務省には、そうした発想力も使命感も危機感も、まったく感じられない。世界第3位の国力を有する大国の外交が、これでは、ぜんぜんダメだ。話にならない。
国民の努力によって築かれた国力(経済力と科学技術)の上にあぐらをかき、また、安全保障はアメリカとの関係におんぶに抱っこの状態で、これまで、どれだけ恵まれた環境条件に守られてきたのか、どこまでも無自覚なまま、ただ、無為に時を過ごし、ふんぞり返っているのが仕事なのか?
私は、外務省のすべてを否定したいわけではない。しかしながら、国際環境の変化に対応した、この国の外交の方向性を、どのように舵取りしていくつもりなのか、その指針がまったく見えない現状では、この国の将来は、はなはだ心許ないと言わざるを得ない。
そうした危機意識を、外務省が強く認識し、抜本的改革に取り組むことを、一国民として切望するのみである。時間は、そんなに残されていない。
このように、「定められた規則に従って仕事をしていれば、それで、公僕としての義務を果たしているのだ」「諸外国に対しては、前方位に、文句も言わずに、ひたすら友好的にやっていれば、それが外交だ」「ともかく、アメリカに従っていれば日本は安全なのだ」と大きな勘違いをしている、軍事オンチで、国際感覚に乏しく、安易に流れることしか知らない〝ふやけきった〟外務省の存在は、この国の国益に完全に反する弊害の大きい組織なので、とりあえず解体した方がいいのではないだろうか。
今、日本国に必要なのは、急変する世界情勢の中、世界を知り尽くし、人間性というものを熟知した深い見識を持ち、この国の尊厳を守りうる哲学を内に秘めつつ、この国の安全保障を維持する透徹した確かな戦略を構築して、常に国家と国民のために〝戦う外務省〟である。
日本人は、一般に、説明下手で、パフォーマンスに乏しく、人に訴えかける能力と堂々たる論戦能力に乏しく、「国を挙げての情報戦や宣伝戦が国運を左右する」という切迫した重要性の認識に欠ける。しかし、風雲急を告げる今日の国際関係の中で、外務官僚までが、そうであっては、この日本が滅びる。
今、この国の生存のために、外交に求められているのは、この国の存在価値に対する深い認識に基づく日本独自の立場と価値観を打ち出し、精神的、理念的、政治的、経済的、軍事的な自立の方向性を、しっかりと定めつつ、現実的な外交使命を果敢に遂行することである。そして、そのために、寄与できる有能な外交官を、我々は切実に必要としている。
外務省は、日本の国益のために、どのような情報戦を展開しているのか、各国のプロパガンダにいかなる戦略で抗しているのか、ほとんどわからないし、まったく目立たない。
「沈黙は金」というのは、世界一の礼節の国である日本の中でしか通用しない優等生の態度なのだ。しかし、一筋縄ではいかない群雄が割拠し、ならず者どもひしめく外交の世界で、この国が生き残りを賭けて戦っていく上で必要なのは、責任回避の怠惰な沈黙ではなく、トランプのような『国力を背景とした戦略的饒舌』である。
今の外務省には、そうした発想力も使命感も危機感も、まったく感じられない。世界第3位の国力を有する大国の外交が、これでは、ぜんぜんダメだ。話にならない。
国民の努力によって築かれた国力(経済力と科学技術)の上にあぐらをかき、また、安全保障はアメリカとの関係におんぶに抱っこの状態で、これまで、どれだけ恵まれた環境条件に守られてきたのか、どこまでも無自覚なまま、ただ、無為に時を過ごし、ふんぞり返っているのが仕事なのか?
私は、外務省のすべてを否定したいわけではない。しかしながら、国際環境の変化に対応した、この国の外交の方向性を、どのように舵取りしていくつもりなのか、その指針がまったく見えない現状では、この国の将来は、はなはだ心許ないと言わざるを得ない。
そうした危機意識を、外務省が強く認識し、抜本的改革に取り組むことを、一国民として切望するのみである。時間は、そんなに残されていない。