「アメリカは日本を守るために血を流すが、日本はアメリカを守らない」という片務的な日米同盟の破棄は、トランプ大統領が同盟解消について言及しようがしまいが、冷戦後の時流の当然の流れである。どれだけ日本が金を積もうと、アメリカに、日本を命がけで防衛する義務はない。お金でアメリカの若者たちの命は買えない。遅かれ早かれ、日本国内の米軍基地が、すべて撤収する日が、いずれ遠からずやってくるのは間違いないだろう。
そうすれば、いよいよ、日本も自主防衛への全面的転換を迫られることになる。独自核武装、シーレーンのタンカー保護のための海自艦隊のホルムズ海峡への常駐、沖縄の海と空を、海自と空自のみで守る術も考えなければならない。
下地島空港の空自による使用は当然だが、それだけでは足りない。嘉手納基地も空自で使用することになるだろう。
兵器についても、抑止力として、自前のスティルス戦略爆撃機や原子力潜水艦や大型空母や軍事衛星が必要になる。その他、海上兵力も航空戦力も陸戦隊も、大幅に増強する必要がある。
そして、研究開発費など諸々考えれば、現在、5兆円規模の防衛費は、少なくとも、今の3〜4倍には増額しなければならないだろう。いずれ、GDPの3〜5%程度は、国防費にぶち込む必要が出てくることは間違いのないところだ。
それでも、中国の軍事費には及ばないし、アメリカの軍事支出の1/3程度にしかならないのではあるが。
欧州のスイスなどは、永世中立とは言っても、周囲を囲むNATO諸国とは、良好な協力関係にある。それと異なり、日本には、アメリカを除いて、周辺に良好な集団安全保障的協力関係の構築が望める国がない。
中国、ロシア、北朝鮮、韓国と、油断できない国ばかりである。そして、アメリカとの軍事同盟も解消するとなると、さて、どうなるだろうか。
さあ、よくよく覚悟したほうがいい。

さらに、9条について言えば、日本国憲法がどうであれ、国家の防衛は〝統治行為〟であり、したがって、国防のあり方については、9条に違反しているとかいないとか、裁判所の判断できる範疇にはない。例えば、抑止力保持の是非については、最高裁の違憲審査権の行使の範囲を超えているということだ。
当然のことながら、憲法を改正しようがしまいが、アメリカの核の傘がなくなったとしたなら、政府は核武装を含む独自防衛の方策を構築しなければならない。嫌でも抑止力を自前で持たねばならなくなるのである。そして、主権者である国民もまた、否応無く、この現実に向き合わねばならなくなるだろう。
この国を守る最終的な責任は、主権者である国民にあるのだから。

そもそも、こんなことは、ごく当たり前のことであって、世界最強の軍事国家である超大国アメリカに、防衛を全面的に依存できたこれまでが、あまりにも日本に都合が良すぎる、世界史上においてもまれな異常事態だったのだ。
そろそろ、日本国民は、非現実的で自分都合な〝太平の夢〟から醒めて、現実の世界に戻るべきだ。
日本国民が、深刻な〝平和ボケ〟から本格的に覚醒するためには、日米同盟の解消が、一種のショック療法として、いいきっかけになるかもしれない。
そもそも、世界第3位の経済国家が、自国の独自防衛の意思も気概もないというのでは、その未来には、カルタゴ並みの惨めな最期しか用意されていないだろう。
現在、日本の周辺国を見渡せば、中国はGDP比で2%、韓国は2.5%、アメリカは3%、ロシアは4%以上を国防費につぎ込んでいる。日本だけが、アメリカの軍事力に依存して、国防費GDP比1%程度で済ませている状態だ。
これが、いつまでも続くと思い込んでいることが、そもそもおかしい。

以上の理由から、私は、トランプ大統領が「日米同盟」破棄を望むなら、それもよかろうと考える。
ただし、私の日米同盟破棄歓迎の意図は、共産党志位委員長の「トランプ大統領の日米同盟破棄の意向が本当なら結構なことだ」「たとえ日米同盟がなくなっても、何の痛痒も感じない」という意見とは、まったく立場の異なるものだ。むしろ、正反対の意見と言っていいだろう。
私は「アメリカが日本の独自核武装を容認する」という条件の上で、日米同盟破棄に賛成と言っているのだ。
当たり前のことだが、トランプの主張は、基本的にこの路線に基づいている。北朝鮮、中国、ロシアという、それほど友好的でない核武装国家に囲まれている日本の独自核武装を非難できる国は、現在の世界に存在しない。

しかし、共産党の志位委員長は違う。玉城デニー知事もそうだが、彼らは日本が核兵器禁止条約に参加することを望んでいる。
そして、核兵器禁止条約では、独自核武装を認めないばかりか、核による威嚇もまた禁じている。つまり、同盟国の核による抑止力の保持も禁じているということだ。
だから、志位委員長も、玉城デニー知事も、アメリカの「核の傘」による庇護さえも要らないと言っているわけだ。そもそも、彼らは「核によって核を抑止する」という核抑止力の考え方そのものを否定しているのである。
簡単に言うと、「周囲の全員が銃を持とうと、自分は銃を持たない」ということだ。個人的信念や信仰としては素晴らしい。しかし、政治家が、そのような個人的信仰に基づいて、国を統治するのは、はなはだ無責任である。付き合わされる国民は、たまったものではない。政治家は、現実主義者でなければ困るのだ。
しかし、おそらく、彼らは、実際にホンモノの爆弾が落ちる、その日まで、ハッとすることすらないに違いない。いや、それどころか、この日本の国がなくなっても、何の痛痒も感じず、永遠に目覚めないのかもしれない。

戦争をしたくないなら、そして、この世界でサバイバルしていく気があるなら、抑止力としての強力な独自防衛の枠組みを構築するのは当然のことだ。
そういう当たり前のことに、国民一人一人が、気づかねばならない。もう、漫然と眠ってはいられない時期が来ている。